NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、のちに「日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一の激動の半生を描いて注目を集めています。
関東の豪農の息子として生まれ、紆余曲折ののち、やがて将軍家に仕える幕臣として渡欧。そこで先進資本主義国の文化に触れた栄一ですが、「日本資本主義の父」としての本領発揮はその帰国後に端を発します。
渋沢栄一の帰国後、最初の功績は?
15代将軍・徳川慶喜の幕臣として、パリの万国博覧会訪問のために渡欧した渋沢栄一が、帰国後、渡欧中の知見を活かして最初になしとげたことは何だったでしょうか。
1)静岡で商法会所をつくる
2)群馬で養蚕協会をつくる
3)水戸で朱子学の学問所をつくる
4)横浜で聖書普及協会をつくる
【正解】
1)静岡で商法会所をつくる
幕臣としてパリ万博を訪問していた渋沢栄一の一行ですが、その渡欧中に大政奉還・明治政府成立の報を受けて、急遽1868年11月に帰国します。
幕府なきあと、行き場を失った栄一は、かつて仕えていた徳川慶喜の隠居する静岡に移り住みますが……
まんが/岩田やすてる シナリオ/香川まさひと 監修/老川慶喜
『学習まんが人物館 渋沢栄一』より
その後の渋沢栄一を知るために
「小学館版 学習まんが人物館 渋沢栄一」
海外で学んだことを活かして、帰国後の静岡で、日本で最初の「株式会社のようなもの」である静岡商法会所を設立した栄一。そんな彼がある日、明治新政府から出仕を求められます。
ここからの彼の活躍は、のちに「日本経済の父」と呼ばれる功績へとつながっていきます。伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」が、彼の歩みと日本経済の近代化の物語を、大人にも子どもにもわかりやすく伝えてくれます。
構成・文/HugKum編集部