渋沢栄一は、いかにして「日本経済の父」と呼ばれるようになったのか。彼がなしとげた功績・関わった事業の数は多岐にわたっていますが、おさえておきたいいくつかの重要な事柄があります。
大河ドラマ「青天を衝け」で注目の渋沢栄一。その偉業のひとつについて見ていきましょう。
官から民に下った栄一が、最初になしとげた大事業とは?
渋沢栄一は、幕臣時代にパリ万博の随行員として欧州を視察。帰国後は静岡で商売をはじめましたが、すぐに大隈重信の要望で明治新政府の民部省(のちに大蔵省に吸収)に出仕し、井上馨と組んで税制改革・度量衡の標準化・貨幣制度の整備など、多くの改革を行いました。
やがて、栄一の主張する財政削減案が政府に受け入れられなかったために、大蔵省を辞して野に下ります。しかし、ここからが実業家としての栄一の本領発揮となります。
では、民間人となった彼が最初になしとげた大きな仕事とは、どんなことだったでしょうか。
1)武道館の設立
2)海外の日本人学校の創設
3)国立銀行の設立
4)西洋画塾の開校
【正解】
3)国立銀行の設立
では、その経緯を見ていきましょう。
まんが/岩田やすてる シナリオ/香川まさひと 監修/老川慶喜
『学習まんが人物館 渋沢栄一』より
その後の渋沢栄一を知るために
「小学館版 学習まんが人物館 渋沢栄一」
第一国立銀行を設立したのち、東京株式取引所、大阪紡績、東京海上保険、日本鉄道など、渋沢栄一は多くの事業・会社の設立や経営に関わっていきます。いずれも現代にも残る公益性の強い事業・産業でした。
ここからの彼の活躍は、伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」がわかりやすく伝えてくれます。のちに『論語と算盤』として著されることになる彼の理念は、どのように形成され、また実現されていったのでしょうか。
ビジネスや経済を、私利私欲ではなく公益道徳の思想のもとに発展させていった渋沢栄一の歩みは、私たちに多くのことを教えてくれます。
構成・文/HugKum編集部