キリスト教を広めたイエズス会とは。日本への布教の経緯も解説【親子で歴史を学ぶ】

フランシスコ・ザビエル

 

イエズス会」は、歴史の教科書に、必ず出てくるほど有名なキリスト教の団体です。日本にも、多くの宣教師を派遣し、布教に努めました。イエズス会設立の背景や活動内容を知れば、歴史をもっと楽しめるでしょう。イエズス会の概要と、日本との関わりを解説します。

イエズス会とは、なに?

イエズス会は、いつ頃、どのような経緯で発足したのでしょうか。発足当時のキリスト教を取り巻く状況と、関連人物を見ていきましょう。

カトリックの男子修道会

イエズス会は、「カトリック」の男子修道士の団体です。カトリックは、神の代理人・ローマ教皇を中心としたキリスト教の教派で、中世の西ヨーロッパを支配する、大きな宗教勢力でした。

カトリック信徒や観光客でにぎわうサンピエトロ広場。カトリック信徒数は、現在では全世界に12億人以上といわれる(ヴァチカン市国)

 

しかし16世紀前半に起こった宗教改革により、聖書の教えを中心とする新しい教派「プロテスタント」が台頭します。急激に勢いを増すプロテスタントに対抗し、カトリック教会を立て直そうと考えた7人の修道士によって、イエズス会は創設されました。

彼らは、当時の教育機関としては最高峰とされる、「パリ大学」の学友でした。1534年にパリ郊外の「モンマルトルの丘」にあった教会堂に集まり、生涯、神に仕えるという誓いを立てます。この誓いの日が、イエズス会の出発点とされています。

関わりの深い人物

イエズス会発足メンバーの中でも、特に覚えておきたい重要人物が「イグナティウス・デ・ロヨラ」と「フランシスコ・ザビエル」です。

ロヨラは、イエズス会発足の中心人物であり、ザビエルは、日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名です(1549)。ザビエルは、大変頭がよく、行動力があったことから、国外にカトリックを広める宣教師の代表として活躍します。

インドやアフリカ、日本などの国々に先陣を切って乗り込み、布教の拠点を作りました。その後も、イエズス会はさまざまな宣教師を世界中に派遣して、布教活動を強化します。

中国・明(みん)では、イタリア出身の「マテオ・リッチ」が、服装を中国式に改めるなど現地の風習に合わせた活動を行い、布教に成功しました。一方、「ジュゼッペ・キアラ」のように、鎖国中の日本に潜入して捕らえられ、棄教した宣教師もいます。

イエズス会の活動の目的

イエズス会の活動目的は、主に、カトリック教会の改革と、非キリスト教徒のカトリックへの改宗でした。それぞれについて、具体的に見ていきましょう。

かつてイエズス会の本拠地だったジェズ教会(イタリア・ローマ)。

カトリック教会の改革

イエズス会発足のきっかけとなったのは、腐敗しきったカトリック教会の体質です。当時、西ヨーロッパを牛耳っていたカトリック教会では、聖職者による汚職や不正が当然のように行われ、拝金主義がまかり通っていました。

イエズス会のメンバーは、勢いを増すプロテスタントに対抗するためには、まずカトリック教会自体が変わらなければならないと考えます。そこで不正に手を染めている聖職者を糾弾し、取り締まりに乗り出すのです。

またプロテスタントが優位になっていたドイツなど、ヨーロッパ各地に赴いて、カトリック勢力の挽回にも努めました。

海外への布教活動

熱心な活動は、やがて1540年にローマ教皇に認められ、海外への布教活動を託されるようになります。その頃、ヨーロッパの国々は盛んに海外に進出し、植民地化や貿易によって莫大な利益を上げていました。

しかし現地の人々は、もちろんキリスト教など知りません。非キリスト教徒の改宗を目標にしていたイエズス会にとっては、海外での布教活動は願ってもないチャンスでした。こうして多くの宣教師たちが、希望を胸に世界各地へと旅立っていったのです。

イエズス会による日本への布教の歴史

イエズス会が布教活動を始めた時期は、日本の戦国時代にあたります。宣教師は、南蛮(なんばん)貿易の利益をちらつかせて戦国大名に取り入り、順調に信者を増やしました。

江戸幕府の政策によって、長い間日本から遠ざかりますが、明治時代になると、再び来日し、深い関係を築きます。フランシスコ・ザビエルの初来日から現在に至るまでの、日本での布教の歴史を見ていきましょう。

フランシスコ・ザビエルの来日

フランシスコ・ザビエルは、当初、インドのゴアを中心に布教していましたが、マラッカで「ヤジロウ」という名の日本人に出会ったのをきっかけに、1549年(天文18)に日本を訪れます。

ザビエルは、ヤジロウの出身地、鹿児島に上陸して領主から布教許可を取り付けた後、天皇や将軍に会うため、京都に向かいました。しかし面会は叶わず、戦国大名の大内氏に山口での布教許可をもらったところで、体制を整えるためインドに戻っています。

ザビエル公園。中央にフランシスコ・ザビエルの胸像がある。鹿児島の祇園之洲に上陸したザビエルは、約1年を当地で過ごしている(鹿児島市東千石町)

 

ザビエルの後継者として京都に入ったのが、「ガスパル・ヴィレラ」と「ルイス・フロイス」です。

当時の将軍・足利義輝(よしてる)に京都での布教を許されましたが、義輝が暗殺されたことで京都を追放されて堺(さかい)に逃れました。その後ヴィレラは九州へ移りましたが、フロイスは1668年に上洛した織田信長に謁見(えっけん)し、畿内での布教許可を得ることに成功しました。

フロイスが日本滞在中に見聞きした出来事を書き残した『日本史』は、戦国時代後半の日本の様子が分かる貴重な資料です。

キリスト教の信仰の禁止

新しい時代を切り拓こうとした戦国の覇者・織田信長の保護のもと、布教は順調に進みます。信長の後を継いだ豊臣秀吉(とよとみひでよし)も、南蛮貿易の利益を優先したいとの思いから、当初はキリスト教を容認していました。

しかしイエズス会が、長崎を領地化したことで、態度が大きく変わります。秀吉は「バテレン追放令」を出して、宣教師を追い出そうとしたのです。ただ南蛮貿易は続いていたため、完全な追放は行われず、一部の宣教師たちは布教を止めませんでした。

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キリスト教の布教を完全に禁止したのは、徳川家康(いえやす)です。当時、日本のキリスト教信者は50万人ともいわれており、このままではイエズス会の背後にいるスペインに、日本が侵略されると警戒を強めました。

そこで家康は布教を禁じ、宣教師や有力な信者を国外に追放したのです。その後も、江戸幕府はキリスト教に対して非常に厳しい態度で臨み、信仰が許されることはありませんでした。

現代のイエズス会

徳川家康に締め出されたイエズス会ですが、世界での活動は続きます。パリ大学出身のインテリ集団が創ったイエズス会は、教育活動にも熱心に取り組み、フランシスコ・ザビエルは、日本で大学を設立する夢を持っていたとされています。

明治時代には、ザビエルの遺志を引き継いだイエズス会の修道士が日本を訪れ、1913年(大正2)、上智(じょうち)大学を設立しました。長い空白期間はありましたが、イエズス会は、日本の歴史や文化に大きな影響をもたらしたといえるでしょう。

上智大学。イエズス会出身初の教皇フランシスコが、2019年11月26日に四ツ谷キャンパスを訪れている。大学の左手前の茶色い建物が「聖イグナチオ教会」(東京都千代田区)

 

現在も、六大陸の112か国、会員数約2万人の大きな会派として存在感を示しており、第266代のローマ教皇フランシスコもイエズス会から選ばれました。

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キリスト教を広めたイエズス会

神に身を捧げたイエズス会宣教師たちの熱意は、外国人の心を動かし、多くの信者を獲得します。言葉が通じず、気候も食べ物も違う異国での布教活動は、苦労の連続だったはずです。命の危機にさらされることも珍しくなかったでしょう。

なぜ、そこまでして布教活動に身を投じたのか、なぜ、人々はキリスト教に惹かれたのか、考えてみると、新たな気付きがあるかもしれません。

歴史背景をもっと知りたい方におすすめの本

ドンボスコ社 絵で見る「はじめてのキリスト教~子どものためのカトリック入門」

イエズス会を理解するためには、基本のキリスト教とカトリックについて知る必要があります。本書は聖書の物語、カトリック教会の歴史、聖人たち、教会の教えなどをわかりやすく紹介。親しみやすいイラストも満載で、子どもだけでも楽しく読めるキリスト教の入門書です。

単行本 原書房 「イエズス会の歴史」

こちらは本格的に深堀りしたいパパ・ママのための参考図書です。近代初期に誕生したカトリック修道会であり、地球規模の活動によって歴史や学術に多くの足跡を残したイエズス会の全体像をくまなく解説した名著の完訳です。世界史好きの方におすすめです。

構成・文/HugKum編集部

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