下関条約とは? 日清戦争や三国干渉などの重要なキーワードもチェック【親子で歴史を学ぶ】

「下関(しものせき)条約」は、明治時代の日本を取り巻く世界情勢を知るうえで欠かせない重要ワードです。明治維新以降、急速な近代化を成し遂げた日本は、条約締結後、さらに国力を強化させていきます。条約の内容と、日本や周辺諸国に与えた影響を解説します。

下関条約とは、どんなもの?

下関条約とは、どのようなものなのでしょうか。条約締結のきっかけとなった、日清(にっしん)戦争についても見ていきましょう。

日清戦争の講和条約

下関条約は、1895(明治28)年4月12日に締結された、日清戦争の講和条約です。山口県下関市の料亭が調印場所だったことが、名前の由来です。

北九州市の門司港側から見た、下関市街。

 

日本側は、伊藤博文(いとうひろぶみ)と陸奥宗光(むつむねみつ)、清側は李鴻章(りこうしょう)と李経方(りけいほう)が出席しています。

日清戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐって1894(明治27)年に起こった日本と清の戦いです。当時の朝鮮は、清に従属する立場にありました。朝鮮を足掛かりに、大陸へ進出しようとしていた日本は、朝鮮を清から切り離そうと目論みます。

朝鮮国内で起こった内乱の鎮圧を口実に兵を送った日本軍は、内乱が収まっても、そのまま居座り、朝鮮を独立させようと画策しました。

日本の強引なやり方に、清は反発し、両国は戦闘を開始します。弱っているとはいえ、清はとても大きな国です。ヨーロッパの列強国でさえ、清を「眠れる獅子」と呼んで警戒していました。

一方の日本は、世界から見れば、まだまだ弱小国です。このため日清戦争でも、ほとんどの国が、日本は負けると思っていました。しかし大方の予想に反して、日本は清に勝利し、下関条約の締結に至ります。

条約の内容を簡単に解説

日清戦争後、日本は戦勝国の立場で、講和交渉を優位に進めました。下関条約の具体的な内容を解説します。

陸奥宗光の銅像(和歌山市岡山丁岡公園内)。旧紀州藩士。伊藤博文とともに、下関条約を締結。慶応3年には、坂本龍馬の海援隊に加わったこともある。

清が、朝鮮を独立国として認める

日本が清に戦争を仕掛けた理由は、朝鮮から清の影響力を排除したかったからです。朝鮮が清から独立すれば、日本が支配しやすくなるうえに、南下してくるロシアの脅威を和らげる役割も期待できます。

このため日本は、清に朝鮮の独立を認めさせる条文を盛り込み、清が朝鮮に対して口出しできないようにしました。下関条約によって、朝鮮は完全に独立するのですが、ほどなくロシアと日本との大陸進出競争に巻き込まれることになります。

日清通商航海条約の締結

1871(明治4)年、明治政府は、清との国交を樹立するための条約「日清修好条規」を締結しています。しかし戦争が起こって破棄されたため、下関条約で新たに「日清通商航海条約」の締結が決まりました。

日清修好条規は、両国にとって平等な内容でしたが、日清通商航海条約は、戦勝国の日本に有利な不平等条約でした。この条約で、日本は清に、領事裁判権や最恵国待遇、関税自主権などを認めさせています

日本が得たもの

下関条約では、清から日本への、領土の割譲(かつじょう)や賠償金の支払いも行われました。割譲の対象は、遼東(りょうとう)半島と、台湾及び澎湖(ほうこ)諸島です。

遼東半島の割譲は実現されませんでしたが、台湾と澎湖諸島は、日本初の植民地となりました。さらに日本は、当時の国家予算の3倍以上ともいわれる2億両(テール)の賠償金を、清から受け取っています。

澎湖諸島の絶景スポット、通称「ダブルハート」(七美島)。漁業用の石垣(スーフー)である。澎湖諸島は、台湾島の西、約50㎞にある台湾海峡上の島嶼群で、大小90の島々があり、人が住んでいるのは19島。1684年、清が自国の版図としたが、1895年の下関条約で日本が領有することになった。

三国干渉により、遼東半島を返還

三国干渉」は、ロシア・フランス・ドイツの3カ国が、遼東半島を清に返すよう日本に勧告した出来事を指します。

遼東半島は、朝鮮半島と清との間に位置する重要な場所です。日本が遼東半島を支配すれば、南下政策に影響が出ると考えたロシアは、フランス・ドイツと合同で日本に圧力をかけたのです。

さすがに、ヨーロッパの列強国相手に戦争するわけにもいかないため、やむなく日本は、3,000万両と引き換えに遼東半島を諦め、清に返還しました。

ロシアは見返りとして、清から、遼東半島南端の旅順(りょじゅん)と大連(だいれん)の租借権を獲得し、満州や朝鮮への進出を本格化させます。領地を横取りされた形になった日本では、ロシアに対する敵対心が高まっていきました。

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賠償金の使い道とは?

下関条約で得た賠償金と遼東半島の返還費用は、合わせて2億3,000万両に達しました。多額の賠償金を、明治政府は、どのように使ったのでしょうか。

主に、軍事費として使われた

三国干渉で、ロシアへの反感が高まったこともあり、明治政府は賠償金を元手に、日本軍の強化に取り組みます。ロシアとの戦争に備えて戦艦を造ったり、武器を増産したりしました。

最終的には、賠償金の8割以上が軍事費として使われています。大金を投じて軍備を拡張したかいがあり、1904(明治37)年に始まった日露(にちろ)戦争で、日本はロシアになんとか勝利しました。

八幡製鐵所も建設

八幡(やはた)製鐵所」は、現在の福岡県北九州市に明治政府が建設した官営工場です。日本初の近代的な製鉄所としても知られています。

武器の生産や輸送のための鉄道の敷設には、多くの鉄鋼が必要です。明治政府は、賠償金の一部を使って八幡製鐵所を建設し、鉄鋼の国内生産を開始しました。

北九州では、石炭が採れたうえに、鉄鉱石の輸入先だった清にも近く、製鉄所の運営に適した場所だったのです。八幡製鐵所は1901(明治34)年の操業開始以降、どんどん規模を拡大して日本の鉄鋼業の発展を支えました。

八幡製鐵所(福岡県北九州市八幡区)。現在は、日本製鉄九州製鉄所の一部。1899年に建設された旧本事務所、遠賀川(おんががわ)水源地ポンプ室などが、2015年に世界遺産登録された。

日本に大きな影響をもたらした下関条約

朝鮮の独立や三国干渉の結果、日本とロシアの衝突は避けられなくなります。多額の賠償金も、日露戦争に向けての軍資金に消えました。清との戦争が終わり、講和のために締結した条約が、新たな戦争を生み出す結果となったのです。

下関条約締結は、良くも悪くも、日本に大きな影響をもたらした出来事といえます。戦争や講和の意味について、子どもと話し合うきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

時代背景をもっと深く知りたい方のために

この時代の背景や歴史的経緯をさらに深く知りたい方のために、参考図書をご紹介します。

小学館版学習まんが人物館 「伊藤博文」

農民という低い身分から出世し、わが国最初の内閣総理大臣にのぼりつめた伊藤博文。は、長州(山口)に生まれ、吉田松陰の思想に影響を受け、尊王攘夷派としてイギリス公使館焼き打ちに参加。その後、同じ長州の先輩・桂小五郎(後の木戸孝允)や高杉晋作の元で、激動の幕末を生き抜きます。初代内閣総理大臣就任後は、強い近代国家をつくるための憲法作成に力を傾け、今日の日本の礎を築きました。そんな伊藤博文の生涯を追うことで、明治維新への理解が深まります。

小学館版学習まんが はじめての日本の歴史12 「近代国家への道」

全15巻の新・日本史学習まんがシリーズ。この12巻では、日本最後の内乱といわれる「西南戦争」、大久保利通らが進めた「殖産興業」、板垣退助らがおこした「自由民権運動」など、この時代のキーワードを通して明治時代の理解が深まります。日清戦争・日露戦争の時代背景はもちろん、この時代の文学をになった夏目漱石や正岡子規、「怪談」の小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)なども登場し、明治の日本の空気をリアルに感じられるストーリーに仕上がっています。

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構成・文/HugKum編集部

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