和菓子には、季節や行事に合わせて四季を楽しむ日本人の心が表されています。「白い黄金」と称された貴重な砂糖をつかった和菓子は、まず、富裕層向けに京都で発達し、将軍のお膝元である江戸に広まりました。 文政元年に、江戸・九段に出府を果たした榮太樓總本鋪。およそ160年前に、現在の日本橋の地に店を構えて営業を続け、創業200年を迎えました。和菓子を庶民に届け続けてきた榮太樓總本鋪がお届けする「和菓子歳時記」。ふだんの暮らしで親しんできた和菓子にまつわるエピソードをお楽しみください。
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こだわりの「黒みつ」は、定番の黒飴から、新作・あんこと黒みつのシュークリームまで
榮太樓の菓子作りのこだわりの一つに「黒みつ」があります。
羊羹、かりんとう、饅頭、あんみつの蜜、そして黒飴。榮太樓自慢の様々な定番商品に黒みつは使われています。新しい商品では、ファミリーマートで人気を博した「黒みつしみうま生どら焼」「あんこと黒みつのシュークリーム」があります。
黒みつの原料は何からできているか知っていますか?
黒みつの原料は黒糖です。黒糖は何からできているかご存じでしょうか?
黒糖はサトウキビから作られます。サトウキビの原産地は沖縄。それも限定された島でのみ作られているのです。
沖縄では黒糖が作られるようになったのは、今から300余年前の江戸時代のこと。製造方法を中国に学び、さとうきびの栽培も沖縄全土で盛んになりました。以来、さとうきびは沖縄を代表する農産物になり、県の耕地面積の半分にさとうきびが植えられています。
しかし、現在はその大半が上白糖などの原料(粗糖)を製造していて、黒糖になるのはわずか5〜6%ほど。かつては数百あった黒糖工場も一九七〇年代以降めっきり減りました。現在、黒糖を製造して県外に出荷しているのは、伊平屋島、伊江島、粟国島、多良間島、小浜島、西表島、波照間島、与那国島の八島のみ。(沖縄県黒砂糖共同組合HPより)
黒糖は砂糖の原型。黒糖を精製してできるのが白砂糖。
サトウキビの絞り汁を煮詰めて作る、砂糖の原型である黒糖は「含蜜糖(がんみつとう)」と呼ばれ、沖縄でも8つの離島だけに製造を制限されている貴重な原料です。
深いコクが特徴の榮太樓の「黒飴」。100余年、黒糖の自然甘みを大切にした製法を貫いています
精製技術がまた発達しておらず、白砂糖がまだ高価だった明治時代初頭、榮太樓は、手に入りやすい黒糖を使って「梅ぼ志飴」に続く代表商品「黒飴」を作りました。以来100余年、一貫して沖縄県西表島、小浜島、多良間島で収穫、製糖された黒糖を使い黒飴を作り続けています。
島々が持つ独特な風味を活かして作る黒飴は香ばしく深いコクが特徴。原材料は上白糖、黒糖、水あめ、桂皮末以外は使用せず、自然の甘みを大切にしています。
名勝・那智の滝のある和歌山県にも、奄美大島産の黒糖を原材料とする「那智黒」と呼ばれる有名な黒飴があります。日本を代表する黒飴として、「西の那智黒、東の榮太樓」と並び称されてきました。
栄養豊富な黒糖を含む「黒みつ」のおやつで、脳を活性化しましょう
その昔は、黒糖より白砂糖が珍重されていましたが、今や、その栄養価から、断然に黒糖が優勢。
白砂糖は、精製の過程で、原料のさとうきびに含まれるミネラル類が取り除かれてしまっています。そのため、体内で砂糖からブドウ糖に分解されて血管に吸収されるスピードが大変速く、白砂糖を取ることで、血糖値に急激な変化をもたらし、イライラの原因にもつながってしまうのです。
また、黒糖は、消化酵素によって素早くブドウ糖と果糖に分解されるため、短時間に脳にエネルギー(ブドウ糖)を届けることができるのです。そして、「自然の精神安定剤」とも呼ばれるカルシウム、ビタミンB1も豊富ときています。
仕事や勉強で脳が疲れて集中力が切れたとき、強い味方となるのが黒糖を原料につくった「黒みつ」のおやつです。お子さんにも最適な「育脳おやつ」と言えるでしょう。
監修:榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)の歴史は、代々菓子業を営んできた細田家の子孫徳兵衛が文政元年に江戸出府を果たしたことに始まります。最初は九段で「井筒屋」の屋号を掲げ菓子の製造販売をしておりました。が、やがて代が替わり、徳兵衛のひ孫に当たる栄太郎(のちに細田安兵衛を継承)が安政四年に現在の本店の地である日本橋に店舗を構えました。数年後、自身の幼名にちなみ、屋号を「榮太樓」と改号。アイデアマンであった栄太郎は代表菓子である金鍔の製造販売に加え、甘名納糖、梅ぼ志飴、玉だれなど今に続く菓子を創製し、今日の基盤を築きました。
構成/HugKum編集部 イラスト/小春あや