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神戸から山口への移住。決め手は、現地視察での市の職員さんの温かな対応でした
父の仕事の関係で、私は子どものころから各地を転々としていましたが、最後に落ち着いたのが兵庫県神戸市で、20年近く暮らしていました。移住をぼんやり考え始めたのは、30歳前後に闘病をしたことがきっかけです。
それまでは皮革素材の販売や、皮革製品の製造などに関わっていましたが、転職を余儀なくされ、なんとなく今後の人生について考え始めたのです。ちょうどそのころ皮革販売店時代の後輩の靴職人が、和歌山県へ移住したことにも感化されたと思います。
そうしているうち妻と結婚。2年が経って結婚生活も落ち着いたころ、移住を真剣に考えるようになって、自治体が主催する「移住フェア」に参加して、西日本を中心に情報を収集し始めました。
そんな中で、山口市がいいなと思ったのは、視察に訪れたときに案内してくださった山口市の職員さんの印象がとても良かったからなんです。
「地域おこし協力隊」制度が移住をバックアップ
私が志望した「地域おこし協力隊」は、2009年、総務省が制定した制度で、都市部に住んでいる人が少子化や過疎化などの課題を抱える地域に移住して、「地域協力活動」を行いながら、定住・定着を図る取り組みで、市町村ごとに指定した1~3年間の活動期間、地域に根ざしたミッションに従事。その一方で、協力隊の仕事をしている以外の時間で、他の仕事をしたりして、協力隊としての活動期間を終えた後の自身の生業も模索できるという制度です。
視察した当時、私は「地域おこし協力隊」の業務がきちんとできるかどうか不安だったんですよね。でも、お目にかかった職員の方は、「中岡さんのスタンスで楽に決めてもらっていいんですよ」と言葉がけをしてくださって、その一言で肩の荷が下りました。
また、視察時、地元の議員さんがわざわざ会いに来てくださって「不安なことがあったら、いつでも相談にきてください」と言われたのも印象的でした。神戸に住んでいたら、議員さんと話をすることなんて考えられません。移住者に対して市をあげて真剣に取り組んでいるのだと実感できました。
魅力的な立地と、充実した地域住民へのサービス
山口市の立地も好感度が高かったですよね。山口市は海も山も近くにあって、車で15分ほどで行ける田舎ですが、交通の便がよく、ユニクロの本社が置かれているように流通の拠点としても機能している。この地の利をうまく活用したらより発展する可能性を感じたのです。また、地域住民へのサービスにも熱心で、子育てや教育、健康保持やボケ防止などテーマごとにさまざまな交流センターがあるのも魅力的に映りました。
移住してから双子の息子を授かりました。夫婦で山口市との「ご縁」を感じています
妻も移住には意欲的だったんです。当時、妻は動物病院で動物看護士として15年務めていたのですが、仕事に疑問を持ち始めていたこともあり、何か新たな展開を求めていました。
また、私はまったく信じていませんが、移住先を探している際に占いをしてもらったら、「山口へ移住したら双子が生まれる」などと言われたことも、後押しになったようです(笑)。じつは、子どもがほしくて不妊治療をしていたのですが、なかなか結果が出ず、疲弊していた時期でもありまして、何かにすがりたかったのかもしれませんね。
でも、結果として移住後すぐに子どもに恵まれた! それがなんと双子でした(笑)。そういった意味では、山口にはなんらかのご縁があったのだなと思います。
5LDKに家族4人+猫4匹でゆったり暮らしています
現在は、山口市が用意してくれた5LDKの一軒家に住んでいます。神戸に住んでいたときは50㎡の2LDKのマンションだったのですが、4匹猫を飼っていたので人間がくつろぐスペースがほとんどなかったんですよね。だから、それより広い住まいをオファーしていたので、ゆったり暮らせて満足しています。
ニューツーリズムを業務として担当し、アフターコロナを見据えて活動を模索中。経験を活かしてレザークラフト教室も
2019年3月に着任してから1年間は、地域のことを知るために地元のイベントやお祭りなどに積極的に参加して、地域に関する情報収集をしていました。方言にはじまって、風土や地勢、文化や人間関係など、ほとんどわかっていませんでしたから、とにかく山口の人たちと交流して、山口の暮らしを知ることに専念していました。
そうして2年目。いざ活動をしようと思ったところで、コロナ禍になってしまいました。イベントの中止も多く、人との集いもできない。正直言うと、これまでにあまり活動できていないのが現状です。でも、そうした中でもいくつか活動をしてきました。
「ジビエフェスタ」と「収穫祭」で、地元住民にも地域の魅力や課題を発信
協力隊としては、移住前に従事していた仕事の関係で学んだ皮革の知識を活かして、2020年9月に「ジビエフェスタ」を開催しました。これは害獣対策問題を、地域の皆さんに知ってもらいたいと企画したイベントです。
県内の害獣問題のプレゼンテーションをしたうえで、鹿肉を試食。その後、鹿皮を使ったワークショップを開催しました。ジビエという言葉は知っていても、なかなか実際に食べたり、見たりしたことがない人が多いので、体験していただいたことで意義があったのではないかと思います。
また、11月には「収穫祭」を開催。地元で無農薬栽培をしている農家さんに協力をお願いして、収穫体験だけでなく、稲を天日干しするなどの昔ながらの米作りを地域の方々に体験してもらいました。
市内には田んぼや畑がたくさんあって、農業というのは身近な存在なのですが、この地で生まれて育った人でも意外と農業体験をしていない人が多いんですよ。そうした方々に、農業の大切さや、食のことを考えるきっかけになってもらえたらいいなと思って企画したのですが、とても好評でした。
経験を活かして「レザークラフト教室」を開催
こうした業務を展開する一方で、個人として活動する時間を使って行ってきたのが、レザークラフト教室と、自作のキッチンカーでの鹿肉カレーの提供です。
レザークラフト教室は、移住して3カ月目から展開している教室で、月1回、2か所で開催しています。手帳カバーやスマホケースなどの小物からトートバッグなど、さまざまな作品を作る教室です。2年間続けて受講していただいている方もいて、少しずつネットワークもできつつあると感じています。
キッチンカーやカフェで「鹿肉カレー」を販売
また、鹿肉カレーは、キッチンカーで移動販売をしたり、新山口駅北地区にできたシェアキッチンで提供したりしています。
どれもアフターコロナに向けての試みで、まだまだ模索をしている最中ですが、今後はこれまで山口で自分が体験して得た知識や思いを活かしつつ、協力隊の活動と個人活動をうまくリンクさせていきたいと考えています。
移住して変わった価値観。いまは子どものために生きていく覚悟ができました
県外だけでなく、県内からも移住者が多いエリア。妻も子育ての交流がうまくいっています
移住して2年半。現在、妻は育児に専念しています。子育ての交流センターへ行って、ママ友もできたようで、地域には無理なくなじんでいるのではないでしょうか。私も、自治体の活動に参加したり、地域のゴミ係を務めたりしています。
子どもが1歳になったので、妻はそろそろ仕事復帰も考えているようです。動物看護士としてのキャリアを活かすのがスムーズな就職につながるのだとは思いますが、私は妻が新たな気持ちで、自身がやりたいと思う仕事に就いてほしいと思っていて、そのためには全面的に協力していきたいと思っています。
私たちの住まいのある山口市の南部地区は、開発が進むエリアのため、県外からだけでなく、県内からの移住者も多いので、そういった意味では気持ちを共有できる人も多く、旧来の地元民との壁のようなものもほとんどなく、暮らせています。
移住を体験したことで、人生の選択肢の可能性を実感しました
移住して、いちばん大きく変わったのは私の価値観ですね。協力隊の活動で多くの人と関わるようになったことが影響したのだと思うのですが、人に対して心がオープンになったと感じています。
また、子どもができたことで、生活形態だけでなく、人生に対する意識も大きく変わりました。子どものためにできることを考えていると、いろいろな可能性がわいてきて、どんなことにも前向きになれるんですよね。
大病をしたり、コロナ禍に遭遇したり、きっとこれからもさまざまな困難に遭遇すると思うのですが、今の私は、それも自分のなんらかの収穫になる次のステージだと思えるんです。自分でもたくましくなったなあと思います。移住するという体験をしたことで、人生には選択肢がほかにもたくさんあるのだと実感することができた。それが大いに影響していると思います。
中岡さん一家が移住した山口市は、JR新山口駅に隣接する「山口市産業交通拠点施設」が2021年夏にグランドオープン。県内最大規模のホールや会議室施設、幅広い世代が利用できる人材育成施設や、市民の健康づくりや企業の健康経営促進を目的とした施設など、さまざまな分野の新しい拠点ができていて、それとともに人口が増えているエリアです。
山口市地域おこし協力隊FB https://www.facebook.com/yamaguchishi.chiikiokoshi
すむ住む山口 https://www.sumusumuyamaguchi.jp/
地方暮らしを希望するみなさんのための移住相談センター「認定NPO法人 ふるさと回帰支援センター」
東京・大阪を除く45道府県の自治体と連携して無料で個別の移住相談に対応しています(要予約)。
取材・構成/山津京子