▼入社して4カ月でダウン
ICU卒、総合商社勤務。はたから見れば華々しいキャリアを歩み始めた安田さんだが、大企業は安息の地にはならなかった。配属されたのは、油田権益の投資の部署。毎日、エクセルとにらめっこしているうちに、疑問が湧いてきた。
「この仕事に意味はあるのか?」
そもそも、会社のさまざまな慣習や取り決めが理解できなかった。なぜ、皆が同じ時間に始業して、満員電車に乗るのか。なぜ、エレベーターやお店が混雑するとわかっているのに、ランチタイムが12時からと決まっているのか。一度「無意味だ」と思うと、それに従うことが苦痛で仕方なかった。
それに加えて、油田権益(資源)が途上国の紛争の原因になっているということに周囲が理解を示さないなどの出来事も重なり、あっという間に心がパンク。入社して4カ月でうつ病になってしまったのだ。
結局、安田さんは会社の規定を利用して、約1年間、休職。少しずつ快復していくなかで「自分がやるべきこと」「人が幸福になること」を突き詰めていった時に出てきたアイデアが、何らかの事情で既存の学校システムからドロップアウトしてしまった若者を対象に個別指導教育を行う「キズキ共育塾」だった。
「ビジネス経験もないし、当時はITも知らなったから、できることと言ったら勉強を教えるくらいしかなかった。そのなかで、自分は誰を助けたいのかなって考えたんです。その時に、いろいろな事情で勉強を続けてこられなかった人たちを助けることならできるかもしれないって思いました」
子どもの頃から発達障害、イジメ、家庭崩壊、非行、うつ病と常に何かに苛まされてきた安田さんは、同じような境遇にある子どもたちを救おうと、このアイデアに懸けた。2011年、商社を辞めて高校中退・不登校・ひきこもりなどを経験した子どもを対象にした「キズキ共育塾」を立ち上げ、起業したのだ。
▼まずは会話をすることから始まる。
何もノウハウがないところから、躓いてしまった子ども、若者とのコミュニケーションの取り方を学んでいった。
「うちに来る子は基本的にメンタルが非常に落ち込んでいる状態なので、まずはいかに受容して傾聴するか。そして、その子に一番効果があるのはなんだということを考えなきゃいけない。僕らは、遅刻しても決して怒らないし、例えば、いつも50分遅刻していた生徒の遅刻が40分になったら、それは褒めるべきだと思っています」
「一番大切なのは、接する講師が自分の発している言葉がどう響いているんだろうと悩みながら生徒とコミュニケーションすること。営業の仕事と同じなんですよ。営業をする時に一方的に自分の思いや考えを伝えないですよね。相手の顔色を見ながらどういう風に話したら響くかなって考えるでしょう。学校教育の現場でそれをやっている先生はそれほど多いとは言えない」
まずは会話をすることから始める。それは遠回りにも見えるが、キズキ共育塾の扉を叩く子どもや若者にとって自分の存在を受け入れてもらうこと、居場所ができることはきっと大きな安心につながるのだろう。塾はまた、多大な期待やプレッシャーをかけがちな親から距離を置く場所としても機能している。
「メンタルが落ち込んでいる子どもや若者にとって、適切なコミュニケーションをしてくれる場がない」と指摘する安田さんが目指したのは、「安心できるサードプレイスでありながら、次の場所に橋渡しできるような場所」。
そのニーズは、大きかった。起業から7年、前編に記したように塾は現在、東京に3校、神奈川に1校、大阪に1校を構え、オンラインでの受講も可能。生徒数は約500人にまで達している。さらに、塾以外にも行政から請け負う仕事や大学への講師派遣・研修も請け負うようになった。
▼もっとたくさんの人を救いたい
かつての自分と同じような苦しみを抱える子ども、若者のために受け皿を作ってきた安田さんだが、まだまだ挑戦は続く。
「僕が始めるまで、不登校、引きこもり、中退者向けの塾はほとんどありませんでした。なぜかというと、ウェブマーケティングをしていなかったからです。他の業界だったら当たり前のことなんですけど、教育と福祉の業界は遅れていたんです。そこはいまだに変わっていないので、ほかの業界の常識を取り入れるだけで、今まで救えなかった人たちをもっとたくさん救えると思っています」
昨年の文科省の発表では不登校の子どもが全国で13万人を超え、過去最高を記録した。そのなかで、安田さんの事業と接点を持つ子どもはほんのひと握りにすぎない。それを踏まえて、政策提言にも力を入れている。
2018年4月から渋谷区で始まった、低所得世帯の子どもの塾費用をサポートするスタディクーポンは、安田さんが公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事の今井悠介さんとともに、寄付が原資の塾代クーポンを配るもので、政策化も目指している。
「個人が最も幸せになれる社会が一番正しいと思っているので、そのためにできることをやっていきます。一度失敗しても、どんな人でも、それが尊重されるような社会にしていきたい」
自分がやるべきことを見つけて、まい進する安田さん。その姿自体が、「生きづらさ」を抱える子どもや若者たちにとって大きな希望になっているはずだ。
取材・文/川内イオ
1979年生まれ。大学卒業後の2002年、新卒で広告代理店に就職するも9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターとして活動開始。06年にバルセロナに移住し、主にスペインサッカーを取材。10年に帰国後、デジタルサッカー誌、ビジネス誌の編集部を経て、現在はジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして活動している。記事やイベントで稀人を取材することで仕事や生き方の多様性を世に伝えることをテーマとする。
撮影/五十嵐美弥