あなたは大丈夫?子供がつぶれる「比べことば育児」【保育者歴46年・柴田愛子さんの教え】

日本の子供は自尊感情が低いといわれます。保育者歴36年の柴田愛子さんによると、子供は生まれた時から比べられているからだといいます。ありのままでいることが受け入れられず、いつもほかのだれかと、世間と、平均点と比べられてしまう。そんな、比べられる子供の気持ちをたまには考えてみませんか。子どもに寄り添い、子供の気持ちをいつも代弁してくれる柴田愛子さんならではのお話です。

幼児の世界では「足の速い子」「絵のうまい子」はその子の特徴。それを能力にして比べたがるのが大人です

子供は1歳のときから親の顔色を見ています

子供たちは生まれたときから比べられています。公園で同じ年ごろの子が歩いていれば「あの子はもう歩けるんだ、早いな」と比べられ、雑誌やインターネットが伝える情報に比べられ、母親は少しでも成長が早ければ喜ぶし、遅ければ顔が曇る。母親の顔色に小さい子はとても敏感。理由はわからなくても母親が自分に満足していないことだけは感じ取れるんです。親の庇護がなければ生きていけないから、小さい子ほど親の顔色をうかがう。これは本能でしょうね。もう少し大きくなると大人が望む「いい子」と比べられてしまう。

やんちゃな子は「どうして、あなたはいつも落ち着きがないの!」と、静かに遊んでいる子と比べられ、おとなしい子は「あの子はちゃんと、こんにちはと言えるのに」と、挨拶のできる子と比べられる。「いい子」でいてくれれば親は鼻が高いわけです。

でも子どもにしてみれば、親はありのままの自分ではよしとしてくれないんだと、小さいころから感じるようになりますよね。

日本の子供の自己肯定感は世界的に見ても低いそうですが、1歳から、いえ生まれたときから常に比べられて育っていることと無関係ではないと思うんですよ。

学校でのマイナス評価を家庭にもち込まない。子供は傷口に塩をすり込まれた気持ちになります

幼児たちを見ていて、私がいつもすてきだなと思うのは相手を評価したり比べたりしないことです。

幼児って、相手の特徴を本当に的確にとらえているなと感じることもよくあります。けんかばかりしている○○ちゃんを「本当はけんかしたくないんだよ。けんかは嫌いなんだよ」と見事に言い当てて、こっちが驚かされます。

絵のうまい子、足の速い子、折り紙のうまい子。それはひとりひとりの違いであり、ひとりひとりの子の特徴と把握しています。自分と比べて優劣をつけたりはしません。

幼児たちを見ていて、私がいつもすてきだなと思うのは相手を評価したり比べたりしないことです。たとえば、多動で落ち着きのない子を大人は「普通じゃない」と見てしまうでしょ。普通か普通じゃないかという比べ方をするのよね。でもね、幼児たちにとっては「よく動くおもしろい子」なの。

字が読めない子は字の読める子に手紙を読んでもらったりもしていますが、字が読めない自分をおとしめたりもしません。字が書ける子が手紙を書くと「○○ちゃんは字が書けるんだよ、すごいね」と言いますが、自分が字を書けないからといって卑屈になったりはしないのです。読み書きができる子が、できない子のために字を読んだり書いたりするのが幼児の世界では自然なんです。

ところが小学校に入ると、「○○くん、絵がうまいんだよ。5なんだって」、「○○ちゃんは、正しい書き順だから100点なんだよ」に変わります。同学年の群れが同じ課題に取り組み、点数で評価される横並びの世界です。子ども自身、自分と比較せざるを得なくなります。仕方ないのかなと思う半面、点数という大人の世界の評価に子どもたちが侵食されていくような切なさを感じますね。

クラスの中での子供たちの位置づけも学校的な評価でおのずと決まってしまいます。

あの子は成績が上位でハキハキとして先頭きって手を挙げる子とかね。ま、こういう子は先生にも親にも喜ばれますよ。でも成績があまりパッとしなくて発言できない子。クラスの中では目立つような取りえがない子だっています。そういう子の学校での自己評価は決して高くありません。

私自身、小学校時代はパッとしない子だったからよくわかるんです。

子供自身、学校で比べれていることをよくわかっています。だから、せめて家では比べないでほしい

授業参観のあと「なんで手を挙げなかったの?」と聞いてませんか

学校での自己評価が低い子が自信を失わずに生き続けるためには、学校の価値観を家庭にもち込まないこと。だって子供自身、学校で比べられていることはよくわかっているんですから。だからせめて家では比べないでほしい。でも、親って子どもを脅すのよね。

授業参観があると「わかっているのに、どうして手を挙げなかったの? 手を挙げないと損よ」と言ったりします。「損よ」と言われた子は「私って損する子なの?」と言われたって、得な自分に変えることはできないのです。まして「それでもいいの」と言えるほど強くありません。

親子の関係では親が絶対的に上ですからね。でも100万回言われても心が動かなければ、子どもは手なんて挙げたくないんです。私は小学校時代に手を挙げたのは2回だけ。わかっていても手を挙げたくはなかった。

私は、遅刻や忘れ物も多かったから、母が先生からよく呼び出されていました。「先生、なんか言っていた?」と私が聞いても、母は「たいしたことじゃない」「気にしなくていいのよ」と、呼び出された理由を話すことはありませんでした。学校でのマイナス評価を家にもち込まれたら子供は傷口に塩をすり込まれた気になってきます。学校と家庭は切り離してくださいね。

わが子を少しでも優位に立たせようとする親心。でも、人と比べる優越感は挫折感と背中合わせです。

「子供のため」という心配は、必ずしも子供のためにならないことが多いような気がします

転ばぬ先の杖とばかりに、小学校入学時には字の読み書きができるようにしておいたり、英語の塾に通わせたり。ほかの子よりも早くにスタートさせれば、一時的には優位に立ちます。でも、そんなものはあっという間に追い越されてしまうんですよ。小さいころのことを考えてもそうでしょ。隣の子よりも早く歩いたと喜んでも、数か月後には隣の子も歩くようになって、3歳になればみんな同じ。小学校入学時に字が人よりも多く書けても、1年生が終わるころはみんな書けるようになっています。

優越感というのは自信にはなりません。追い越される不安や追い越されたときの挫折感と背中合わせなんです。常に人と比べているわけですからね。とても、もろいものです。

子供のためといいながら、あれもこれもと心配しても、それは必ずしも子供のためにはならことが多いような気がするんです。親の視線や追い立てるような言葉を浴びることが子供にとってプラスになっているとは思えない。

子供を優秀な子に育てようとやっきになってしまうのは、母親が自分の人生に子供を接ぎ木しているようなものかもしれませんね。接ぎ木してきれいな花が咲くかもしれません。でも子供は自分の人生を生きていると思えないのではないかしら。子供の人生を母親が乗っ取ってはダメだと思います。

思春期になると、子供は反抗的な態度をとるでしょ。あれは「お母さんの人生と、私の人生は別!」と主張しているのよ。どんなに悪態をついても捨てられる心配がないから批判しやすいしね。ありったけの力で反抗して、子供は親を乗り越えていく。それでいいんです。

でも母親に人生を乗っ取られた子は、それができない。親にいつでも世話を焼かれ、親と一体で行動することを強いられているから、反抗する気力も自立する力も残っていないんです。

 

ママ自身も好きなことをして自分を取り戻してください

わが子をほかの子と比べて一喜一憂してしまうのは、子育てがお母さんの評価だと考えてしまうからです。子どもには子どもの人生があり、お母さんにはお母さんの人生があります。

子供も親も自分の人生を生きるためには、親も子も自分の好きなことをすることだと思います。誰にも邪魔されずに好きなことをしていると自分を取り戻すことができます。そうすると、子供のことで一喜一憂しなくなりますよ。

私の母は専業主婦でしたが、家事や子育てが生活のすべてではありませんでした。大好きな絵を描く時間とお芝居を見る時間をとても大切にしていました。好きなことをするときだけは私を寄せつけない雰囲気を漂わせていましたね。その母の口癖は「人間、好きなことが何かひとつあれば大丈夫、生きていける」でした。私は学校の成績こそふるわなかったけれど、ピアノが好きでした。「愛子にはピアノがあるから大丈夫」と言ってくれましたし、私もそう思えたのです。好きでやっていると、他人の評価は気にならなくなります。

家に帰れば好きなことができて、ありのままの自分でいられる。そんなとき、子供はこの家の子でよかったと思えるんじゃないかな。親もこの子でよかったと思えたら、それがお互いいちばん幸せではないでしょうか。いつも誰かと比べていたらそういう気持ちにはなれません。ときどきは自分を取り戻して、この子でよかったという気持ちに立ち返ってほしいですね。

『あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます』(小学館)

柴田愛子 しばた・あいこ

保育者。自主幼稚園「りんごの木」代表。子供の気持ち、保護者の気持ちによりそう保育をつづけて36年。小学生ママ向けの講演も人気を博している。ロングセラー絵本『けんかのきもち』(ポプラ社)、『こどものみかた』(福音館書店)、『あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます』(小学館)など、多数。

『edu』2015/4月号所収 写真/繁延あづさ

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