【森のようちえんピッコロ】自然の中で「信じて待つ」保育で子どもに育つ力ってなあに?

未来を生きる子どもたちに必要な力は何だろう?大人が子どもたちにしてあげられることは?
近年、これからの子育てについて、キーワードとしてよく耳にするようになった、子どもの「創造性」や「自主性」。山梨県北杜市にある「森のようちえんピッコロ」では、子どもの「創造性」や「自主性」を育むことを目的の一つとして、自然の中で「信じて待つ」子育て(保育)をしています。この度「森のようちえんピッコロ」の保育の日々を追ったドキュメンタリー映画『life ライフ〜ピッコロと森のかみさま〜』が完成。「森のようちえん」に興味をお持ちの方、必見です。

ひとりの母親の思いから始まった「森のようちえん」


1950年代中ごろ、デンマークのひとりの母親が「子どもたちに幼い頃から自然と触れ合う機会を与え、自然の中でのびのびと遊ばせたい」と願い、毎日子供をつれて森に出かけたのがきっかけではじまりました。ドイツでは1990年代になって急速に増え、現在では幼稚園として認可され、ドイツ国内に150以上の森のようちえんがあります。
森のようちえんには、様々なスタイルがあります。ドイツの森のようちえんは園舎を持たず、毎日森へ出かけていくスタイルです。

日本では自然環境の中での幼児教育や保育を「森のようちえん」と呼びそのスタイルは様々です。園舎を持つようちえんも持たないようちえんもあります。共通しているのは自然環境の中での幼児教育と保育です。
そして多くの森のようちえんは、意図的に大人の考えを強要せず、子どもが持っている感覚や感性を信じそれを引き出すようなかかわり方をしています。(森のようちえんピッコロH Pより一部抜粋)

「森のようちえん」が教えてくれる、これからの時代の子育てのヒントとは
日本でのはじまりは1980年代。独自の保育文化として根付いてきた「森のようちえん」   そもそも野外での保育活動は、日本でも...

保育士と保護者が共同運営する「森のようちえん ピッコロ」

15年前、幼稚園や保育園の教育に疑問を持ったことをきっかけに、また、自分も子どもと一緒に成長したいという保護者の意向を受けて中島久美子先生が設立したのが自然の中で「信じて待つ」保育を実践する「森のようちえん ピッコロ」です。

ピッコロでは保育士と保護者による共同運営というスタイルをとっていて、保育士に加え保護者も毎日数名が交代で保育に参加しています。保護者は自分の子どもだけではなく、子どもみんなの育ちについて広い視野を持ちながら参加します。

自然の中で保育をするのは、子どもたちは“いのち”がまわりにある場所に暮らした方が良いという思いからで、中島先生がアラスカのテント暮らしを経験した時に感じた「自然の環の中に人間がいる尊さ」が原点にあるそうです。

また、ピッコロが掲げる「信じて待つ」保育の出発点は、怒る保育や褒める保育への疑問や違和感。子どもを怒って動かすのでもなく、褒めて動かすのでもない「子ども自らが動く保育」として実践されています。

ピッコロの保育が子どもに育むものとは


登園したら自由遊び、朝の会が終わったら、森や川に行って、お弁当を食べて、遊んで、終わりの会、というのがピッコロに通う子どもたちのスタンダードな1日の流れです。
いわゆる普通の保育園や幼稚園で見られるような、大人が子どもに指示をしたり、みんなで一斉に同じことをしなくてはならないということはありません。
子どもたちは、自分たちで話し合い、森に行くのか、川に行くのかを決めます。

自然が自分や他人を受け入れる心を育んでくれる

中島先生によると、自然は、適応能力、創造性、体力、危険予知能力、多様性、科学する心、揺れる心、五感、体験など、多くのことを得るチャンスを与えてくれるといいます。

整備された平らな道とは違い、山道はでこぼこです。晴れたり、雨が降ったり、風が吹いたり、肌に感じる空気や土や草を踏む感覚も毎日違います。そんな中で、子どもたちは転ばないようにしたり、転んだ時に立ち上がる体の使い方、上手な転び方も学んでいきます。

また、石も葉っぱも一つとして同じ形がない森の中にいれば、人間だってみんな違うのはあたりまえ。自然が自分や他人の個性を受けいれる心を育くむことを助けています。

個性を認め合い、それぞれが尊重される安心感が、中島先生の「ピッコロの保育で感じる事は、何度も指示を出さなくても子どもたちが動く、1人1人がゆったりしている、子どもたちの意識が集団全体に行くという事です」という言葉に繋がっているのではないかと感じます。

子どもの自己肯定感は、小さな成功体験の積み重ねで育つ

蜘蛛の巣に触れようと子どもが一生懸命ジャンプしています。ひょいっと大人が抱き上げたら届きそうな高さですが、ピッコロの大人(保育士と保護者)は手を出さずに見守ります。
すると子どもは、どうやったら手が届くか考え、台になりそうなものを探しにいきます。見つけたブロックが重くて一人で持てなければ、友達と力を合わせてそれを運ぶ。高さが足りなくて失敗、ブロックを重ねてみてやっと手が届いた!
この達成感は、大人がすぐに手を貸してしまっていたら得られなかったものです。

また、ピッコロの大人は子どもが失敗しそうな場面でも失敗の芽を摘まずに見守り、失敗に見えることでも大人の価値観で勝手にそれが失敗であるとすぐに判断しないように心がけます。

「野外で子どもたちがそれぞれ自分のご飯を炊いて、ある子のご飯が焦げた時。「失敗しちゃったね、次は上手にできるといいね」と声をかけてしまいそうな場面ですが、実はその子はおこげが作りたくて「うまくいった!」と思っていた。大人の目から見たら失敗でも、子どもにとってはそうでないことが意外とあるのです。本人がうまくできたと思っているのに、大人がそれを失敗と言ってしまったら、なんだかチグハグになってしまう」と中島先生。

失敗しても直してまたやってみればいい

ある子が「失敗しても直してまたやってみればいい」と言ったそうですが、この子のように失敗を通過点として見ることができるのは、きっと、失敗を消化して乗り越えた自信があるからでしょう。ピッコロでは、自己否定のためにではなく、自己肯定のために失敗が存在しているようです。

中島先生は「自己肯定感は小さな「うまくいった!」の積み重ねで育っていく」と言います。大人がその“積み重ね”のチャンスを潰してしまうことなく、見つけて大切にしてあげられたら良いですね。

子どもと一緒に親も育つ「信じて待つ」保育

「子どもの安全を守るために必要な時には待たないし、子どもの心が折れちゃうかなというタイミングにも待たない。ただ見ている、ただ待っているのが“信じて待つ”保育ではなくて、待つべきこと、待たないことを判断していくことが、“信じて待つ”保育」なのだと中島先生は言います。また、「迷いながら、それをみんなで背負いながら、答えのないところで子育てしている」とも。

「オレ、天才!」「私はなんでもできる」「失敗しても大丈夫」と自信を持って卒園していくピッコロの子どもたちの姿の横には、迷いながら考えながら、子どもに寄り添い、一緒に育った大人の姿があります。

子どもも大人も育まれる。
それが「森のようちえんピッコロ」の、自然の中で「信じて待つ」保育です。

 

構成/小野寺裕美

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