福沢諭吉とは?
「福沢諭吉(ふくざわゆきち)」といえば、日本で、その名前を聞いたことがない人はいないほどの偉人です。しかし、具体的な功績や人柄を知らない人もいるかもしれません。まずは、諭吉がどのような人物なのかを見ていきましょう。
明治時代の教育者
諭吉は、幕末から明治時代に活躍した教育者であり、「学問のすゝめ」(1872)を著した人物です。明治維新後は教育活動に専念し、人々に学問を教え続けました。
諭吉が生まれた江戸時代末期には、現代のような教育システムがありませんでした。しかし、勉強で得た知識は、決して無駄にならないと悟った諭吉は、これからの時代は学問こそ力になると広く世に知らしめたのです。
また、諭吉は、オランダ語や英語を習得した翻訳者でもあります。「liberty=自由」「speech=演説」「society=社会」など、現代では当たり前のように訳語として使われている言葉を、初めて英語から日本語に置き換えたのは、諭吉だといわれています。数々の洋書の翻訳を通して、多くの西洋文化を学び、日本の近代化に貢献しました。
慶應義塾大学の創設者
20歳(1855)から緒方洪庵(おがたこうあん)の「適塾(てきじゅく)」で学んでいた諭吉は、わずか2年で塾生たちを追い抜き、最も優秀な生徒である塾頭になります。翌1858(安政5)年に、中津藩(現在の大分県)からの命令を受け、江戸へ向かい、蘭学の私塾を開いたのです。
1868(慶応4)年に、諭吉はこの塾を「慶應義塾(けいおうぎじゅく)」と改めました。日本の難関大学の一つに「慶應義塾大学」があります。諭吉が開いた慶応義塾が、この大学の前身です。
「慶應」は元号から、「義塾」は西洋のパブリックスクールが由来となっています。1871(明治4)年に、三田キャンパス(現在の東京都港区)に移転し、1890(明治23)年に大学部が発足しました。
諭吉はその他にも、一橋大学・早稲田大学・専修大学・国立感染症研究所(当時は私立伝染病研究所)など、数々の教育研究機関の設立にも関わっています。
1万円札の肖像に
1984(昭和59)年から発行された1万円札の肖像に、諭吉が選ばれました。財務省によると、銀行券の肖像には「国内外問わず知名度のある、明治以降の文化人」が選ばれるとのことです。
2004(平成16)年には1000円札が夏目漱石から野口英世へ、5000円札は新渡戸稲造(にとべいなぞう)から樋口一葉へ変わりましたが、1万円札には引き続き諭吉の肖像が採用されています。
それ以前の1万円札の肖像は、「十七条の憲法」や「冠位十二階」を制定した聖徳太子でした。聖徳太子も諭吉も高い教養で国を導き、日本を代表する偉人です。なお2024(令和6)年からは、渋沢栄一が肖像となった新1万円札が発行される予定となっています。
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福沢諭吉の生涯
福沢諭吉は日本にとって、偉大な功績を残しました。いったいどのような人生を送っていたのでしょうか? 幼少期からの諭吉の生涯を紹介します。
幼少から強い向上心を持つ
諭吉は1834(天保5)年12月12日、中津藩の下級武士の家に、大坂の藩蔵屋敷で生まれます。子どもの頃から勉強が好きで、家の手伝いをしながら、塾で漢文を習っていました。
1854(安政元)年、19歳のときに長崎へ向かい、蘭学を学びます。黒船が来航してから、幕府はオランダ語が理解できる人材を育てようとしていたのです。このとき諭吉は、他の弟子に疎まれるほど勉学に励みます。
1858年、諭吉が江戸に蘭学の私塾を開いた頃、日本は欧米と貿易を始めていました。諭吉は外国人でにぎわう横浜へ出向きましたが、そこでは、オランダ語は一切通じず、諭吉はオランダ語より英語が主流であることを知ります。すると今度は、世界で発信される有益な情報を真っ先に手に入れるために、英語の習得に意欲を燃やしたのです。
使節団として西洋の文化を学ぶ
1860(万延元)年、日本はアメリカに使節団を送ることになりました。軍艦奉行・木村摂津守(きむらせっつのかみ)に熱意を買われ、諭吉は使節団の一員として念願だったアメリカのサンフランシスコへ渡ります。
諭吉は西洋の科学技術に関して、本から知識を得てこそいましたが、実際にその豊かさを目にしたのは初めてでした。さらにアメリカには身分制度のようなしがらみがないことを知り、自由と平等の大切さを学びます。
帰国した諭吉は、幕府に雇われて洋書の翻訳に携わりました。1861(文久元)年、諭吉は再び使節団の一員として、今度はヨーロッパの国々を訪問することになり、そこで西洋の政治の仕組みを学んだのです。
文明開化を牽引、日本を独立国へ
1862(文久2)年にヨーロッパから帰国した福沢諭吉は、そのときの記録をもとに西洋の文化や社会について紹介した本「西洋事情」を出版します。「西洋事情」は日本人に衝撃を与え、25万部を売り上げました。
大政奉還の後に、明治天皇により幕府が廃止されると、1868年、ついに明治時代が幕を開けます。諭吉は新政府から官職に就くように求められましたが、それを断り、教育者であることを選びました。
日本が真に生まれ変わり、西洋諸国と対等に渡り合っていくには、国民それぞれが独立し、自分で道を切り拓かなければなりません。その近代国家の姿を、諭吉自らが人々に示さなければならないと思っての選択です。
1872(明治5)年、ついに代表作となる「学問のすゝめ」を発表します。諭吉は、その後も次々と啓蒙書を出版し、それらの著書は明治時代の人々にとって新時代を生きる指針となったのです。
福沢諭吉の名著「学問のすゝめ」
約150年たっても、なお名著とされる「学問のすゝめ」は、どのような内容なのでしょうか。「学問のすゝめ」に込められた福沢諭吉の思いを解説します。
340万部のベストセラー啓蒙書
明治時代の啓蒙書「学問のすゝめ」は、1872年に初編が刊行されました。そこで評判となったため、シリーズ化され、1876(明治9)年までの4年間で17編が出版されています。
あまりの売れ行きから「海賊版」まで出たほどで、すべてを合わせると、340万部の大ベストセラーになりました。当時の日本の人口は約3500万人ということを考えれば、驚異的な売り上げといっても過言ではないでしょう。
また諭吉は、著作権制度の確立にも大きく関わっていたといわれています。海賊版を、文化の発展を妨げるものとして決して許さず、偽物を作って流布していた者と容赦なく争ったそうです。
冒頭に込められた思想
学問のすゝめの冒頭には、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の一節があります。分かりやすく言い換えると「生まれながらの格差などはない」ということです。
諭吉は続けて「しかしながら実際の社会には明らかな格差がある。それを埋めるために勉強が必要なのだ」とも説いています。身分制度がなくなり、平等になったからこそ、どれだけ知識があるかで人生に差がつくのです。
勉強の必要性は、個人だけの問題にとどまりません。国民が勉強しなければ、当然ながら、国の発展もないでしょう。日本を西洋に劣らない独立国とするためには、国民全員が勉強に励まなければならないと厳しく説いたのです。
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親子で読みたい福沢諭吉が分かるおすすめ本
学ぶことの大切さを説いた福沢諭吉自身や、その著書「学問のすゝめ」については、大人はもちろん、子どもにも知ってほしいものです。小学生でも分かりやすい書籍を3冊紹介します。
まんがでわかる 福沢諭吉『学問のすすめ』
ためになる本は、どんどん読んでもらいたいものですが、小学生に「学問のすゝめ」の現代語訳はハードルが高いかもしれません。特に低学年の子どもであれば、読みやすいまんがから入ってみるとよいでしょう。
「まんがでわかる 福沢諭吉 『学問のすすめ』」は、「学問のすゝめ」の内容をうまくストーリーに織り込んで解説しているのが特徴です。現代人の男性がタイムスリップし、諭吉と出会うところから物語が始まります。主人公になった気持ちで疑問を持ったり驚いたりすることで、難しい部分も感覚的に理解しやすくなるでしょう。
コミック版 世界の伝記 福沢諭吉
「コミック版 世界の伝記 福沢諭吉」は、諭吉の生涯を、まんがで読める1冊です。諭吉が生きた幕末から明治にかけては、日本が大きく変わった時代であり、大人でも時代背景を把握するのは簡単ではありません。
その点、まんがであれば、文字だけではなく絵からも情報を得られるため、比較的抵抗なく読み進められるはずです。本作には、諭吉を取り巻く人間関係やエピソードがテンポよく描かれており、楽しみながら知識を増やせるでしょう。
現代語訳 童蒙おしえ草 ひびのおしえ
諭吉は自分の子どもたちに、大切な約束事や常識を、毎日、半紙に書いて教えていました。その教えをまとめたものを現代の言葉に訳したものが、「現代語訳 童蒙おしえ草 ひびのおしえ」です。
物語や寓話(ぐうわ)を取り上げて、命の大切さや日々の心掛けを子どもたちに教えてくれます。なぜ大切にしなければいけないのか、なぜやってはいけないのか、子どもの素朴な疑問にやさしく答えてくれる1冊です。
本書は、慶應義塾幼稚舎の教諭によって訳されており、小さな子ども向けではありますが、大人が読んでも得られるものが大きいでしょう。
福沢諭吉は勉強の大切さを広めた人
1万円札の肖像でも知られる福沢諭吉は、江戸時代末から明治時代初期にかけて活動した教育者です。開国で揺れていた日本に、欧米と対等に渡り合うためには勉学が重要と説き、自らもオランダ語や英語を熱心に学びました。
江戸時代までは、生まれた家によって、人生が決まっていたようなものでした。それが当たり前だった明治初期の国民にとって、生まれながらの平等や国を発展させるための勉学の重要性を説いた「学問のすゝめ」の内容は、あまりにも大きな衝撃だったでしょう。
諭吉はその生涯を、教育者として、人々を教え導くことに費やしました。慶応義塾をはじめとする多数の教育研究機関を創設したり、外国の文化を紹介する書籍を出版したりした諭吉の働きがなければ、日本の近代化はもっと遅れていたかもしれません。
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構成・文/HugKum編集部
参考:
PHP研究所 子どものための偉人伝 福沢諭吉
Teamバンミカス 学問のすすめ (まんがで読破)
あさ出版 まんがでわかる 福沢諭吉『学問のすすめ』