浅草寺へ行こう!「神仏のデパート」「おみくじは凶が多い?」…その歴史や見どころを詳しく解説

都内最古の仏教寺院・浅草寺、その本尊が意外な場所から現れたことを知っていますか? 浅草寺は霊験あらたかな寺院として、有名な武将たちからも信仰を集めてきました。歴史や見どころとあわせて、参拝以外の楽しみ方も確認しておきましょう。

浅草寺とは

「浅草寺(せんそうじ)」は、東京で最も古いといわれる寺院です。いったいどれくらい昔から浅草にあるのでしょうか。「霊験(れいげん)あらたか」と有名になるまでの歴史を紹介します。

多彩な神仏を拝める寺社

台東区の浅草周辺は、かつて庶民文化が栄えた江戸随一の繁華街でした。浅草寺は、今も親しみやすい雰囲気を残す町の一角にあります。

浅草寺のご利益は一つや二つではありません。境内や子院にはそれぞれのご利益に特化した神仏が祀(まつ)られていて、神仏の数だけご利益の種類があります。その多さは研究者の間で「神仏のデパート」と称されるほどです。

浅草寺は「板東(ばんどう)三十三観音札所」の、第十三番霊場でもあります。霊場は関東の1都6県に点在していますが、都内では浅草が唯一の札所です。

参考:第11番~第20番 | number | 坂東三十三観音 公式サイト

約1400年の歴史を持つ古刹(こさつ)

浅草寺の名前は、1192(建久3)年、歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」に初めて登場しました。吾妻鏡は鎌倉幕府の公式記録です。

しかし、寺の伝承によると、本尊である聖観世音菩薩像(しょうかんぜおんぼさつぞう)は、628(推古天皇36)年に隅田川(すみだがわ)から現れたとされています。漁をしていた兄弟が投げた網に観音像がかかり、草ぶきのお堂に祀られたのが浅草寺の始まりだそうです。

その後、慈覚大師(じかくだいし)によって浅草寺が聖地として広まりました。源氏一族に信仰されて有名になった後は、足利尊氏(あしかがたかうじ)や徳川家康といった武将も祈念したと伝えられます。

金龍山浅草寺「宝蔵門」(右)と「五重塔」(東京都台東区)。浅草寺を聖地として広めた慈覚大師は、延暦寺の僧で、第3代天台座主・円仁(えんにん)のこと。入唐八家の一人。開山したり、再興した寺院は、関東に209寺、東北に331寺あるという。平泉中尊寺、立石寺、瑞巌寺などがそうだ。

 

やがて江戸時代になると、浅草寺と庶民の結び付きが強まり、現在のように民に愛される寺院となっていきました。

聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺 公式サイト

浅草寺の見どころ

浅草寺には、年間約3000万人もの参詣客が訪れます。多くの人に愛される浅草寺には、どのような魅力があるのでしょうか。

参拝者必見の、浅草寺の見どころを紹介します。

赤い大提灯が出迎える「雷門」

浅草寺にたどり着くと、大きな赤い提灯(ちょうちん)が目に飛び込んできます。この大提灯を下げた門が、浅草門の総門となる「雷門(かみなりもん、正式には風雷神門)」です。雷門は浅草のランドマークでもあり、記念撮影をする参拝者も多いでしょう。

門の左右を守護するのは風神・雷神です。風雨の被害を避け、五穀豊穣を祈っています。提灯の底面に施された、雄々しい龍の彫刻にも注目したいところです。

浅草寺「風雷神門(雷門)」。1865(慶応元)年に焼失後は、仮設の門が時折建てられていたが、1960(昭和35)年に常設の門が再建された。実業家・松下幸之助の寄進。大提灯は、三社祭と台風のときだけ畳まれる。

 

雷門の先にある朱塗りの「宝蔵門(ほうぞうもん)」は仁王像に守護されており、かつては「仁王門」と呼ばれていました。国の重要文化財である経典「元版一切経」や宝物が納められています。

観世音菩薩が安置される「本堂」

本堂は、628年の創建以降、焼失と再建を繰り返してきました。徳川家光が建てた旧本堂(国宝だった)も、東京大空襲により焼け落ちています。現在の本殿は、1958(昭和33)年に再建されたものです。

浅草寺「本堂」。1958年の再建にあたり、建設資金を捻出するために、瓢箪池(ひょうたんいけ)の敷地、約2400坪が江東楽天地などに売り払われた。2009(平成21)年から翌年にかけて「平成本堂大営繕」が行われ、2007(平成19)年の宝蔵門の屋根改修でも用いられたチタン瓦を採用している。

 

畳敷きの内陣には、本尊が祀られている御宮殿(ごくうでん)があります。本殿を訪れた際は、お座敷に上がって参拝することもできます。

十二支ごとの守り本尊が祀られる「影向堂」

本殿への参拝が済んだら、本殿左手奥にある「影向堂(ようごうどう)」にも足を延ばしてみましょう。

影向堂は、慈覚大師の生誕1200年を記念し、1994(平成6)年に建設されました。観世音菩薩の教えを陰ながら支える、八体の守り本尊「影向衆」を祀っています。

影向堂のすぐ近くには、お祈りすると霊験があるという「六角堂」(室町時代の建立で、境内最古の建物)や「一言不動」、さらに関東屈指のパワースポットで知られる三峯(みつみね)神社の末社「三峯社」もあります。

境域にある池にかかった「石橋(しゃっきょう)」は都内最古とされ、618(推古天皇26)年に建設されました。

浅草寺を、もっと楽しむには?

お参りがメインの浅草寺ですが、子どもと一緒なら、レジャー要素があったほうが楽しめるかもしれません。レアな御朱印を手に入れる方法やうわさのおみくじ、おすすめの浅草グルメを紹介します。

レアな御朱印をいただけるかも

浅草寺の影向堂では、「本尊・聖観世音菩薩の御朱印」と「浅草名所七福神・大黒天の御朱印」のほかに、「板東三十三観音霊場の御詠歌の御朱印」もいただけます。

御詠歌とは、仏教の教えを和歌で示したものです。浅草寺にも「ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば」という御詠歌があります。

御詠歌の御朱印は、常にいただけるとは限らない少しレアな御朱印です。見本にも出ていないため、「板東の御詠歌の御朱印をお願いします」と申し出てみましょう。

なお、御朱印は参拝した証ですから、参拝せずに御朱印だけいただくのはマナー違反となるため注意しましょう。

凶の確率が高いって本当? おみくじで運試し

浅草寺のおみくじは「凶が出やすい」とささやかれています。しかし、浅草寺では、伝統的な「観音百箋(ひゃくせん)」という方式に従い、特におみくじの比率を変えてはいないそうです。

おみくじは引く場所によって吉凶の比率も異なるため、ほかのおみくじと比べると、凶の確率が高いと感じる人が多いのかもしれません。

「吉ならうれしい、凶ならがっかり」というのが一般的な感覚ですが、浅草寺の参拝者の間では、凶の確率が高いことが、かえって人気になっているようです。

凶が出たからといって落ち込む必要はなく、誠実に過ごせば吉に転じるといわれます。「浅草寺の裏名所」とも呼ばれる運試しに、チャレンジしてみてはいかがでしょうか。

仲見世。雷門から宝蔵門に至る長さ約250mの表参道の両側に、土産物などの商店街がある。商店は、東側に54店、西側に35店。仲見世の発祥は、1685(貞享2)年、近隣の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに、小屋掛けの店を出す許可を与えたことによる。

参拝後は浅草グルメを食べ歩こう

仲見世を中心とした浅草寺周辺は、グルメの名所として有名です。

「雷おこし」は浅草寺土産の定番ですが、できたてのほんのりとした温かさと香ばしさは、また違うおいしさを味わえます。

ふわふわのまんじゅうを、サクっと揚げた「あげまんじゅう」も絶品です。中のあんは、スタンダードなこしあんやごまなどのほか、もんじゃ、カレーといった変わり種もあります。

しょっぱいものが食べたくなったら「メンチカツ」がおすすめです。揚げたて熱々のメンチをかじると、中から肉汁がじゅわっとあふれ出し、肉のうま味が口の中に広がります。

十分にお腹を空かせてから訪れて、お気に入りグルメを探してみるのも、浅草寺散策の楽しみ方の一つです。

浅草寺で歴史とグルメを堪能しよう

浅草寺は、江戸時代から庶民の身近にあったためか、どこか親しみやすい雰囲気があります。しかしその実、約1400年という古い歴史を持つ、有名武将からも信仰を集めた由緒ある寺院です。

浅草寺を訪れたなら、浅草の名物グルメも外せません。野外で食べられるワンハンドグルメから老舗の料亭、名物のお土産まで幅広く楽しめるため、子づれファミリーも楽しめるお出かけとなるでしょう。

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構成・文/HugKum編集部

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