津田梅子とはどんな人物? 女性教育の先駆者として活躍した生涯と功績【親子で偉人に学ぶ】

津田梅子は明治時代に活躍した偉人です。従来の女子教育のあり方を変え、日本の女性の地位向上に尽力しました。活動の原点となったアメリカ留学のエピソードや帰国後の日本での功績など、津田梅子の人物像を分かりやすく解説します。

津田梅子とは?

「津田梅子(つだうめこ)」は、新しい女子教育のスタイルをつくり、女性の自立を推進することに力を尽くした人物です。日本を代表する人物の一人に選ばれるほど、彼女の功績は現在も高く評価されています。

2024年から五千円札の図柄に

2019(平成31)年4月に、日本政府は2024(令和6)年度から発行する新紙幣の図柄を発表しました。このうち、五千円札の表面に描かれる肖像として選ばれた人物が、津田梅子です。

近年は紙幣の肖像を選ぶ際、主に以下の条件が考慮されます。

・日本人として世界に誇れる功績を残している
・一般によく知られている
・政治家ではない
・偽造防止のため、精密な写真や絵を入手できる

日本が近代国家へと変わろうとしていた明治時代に「女子教育の近代化」に尽力し、写真も残っている梅子は、新紙幣の肖像にふさわしい人物といえるでしょう。

参考:新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します : 財務省

新紙幣の顔。上から渋沢栄一(一万円札)、津田梅子(五千円札)、北里柴三郎(千円札)。

津田梅子の生涯

津田梅子は、どのようにして、人生を女子教育の改革に捧げたのでしょうか。誕生から亡くなるまでの略歴を紹介します。

1864年に東京で誕生

梅子は、「大政奉還」が行われる3年前の1864(元治元)年に、江戸の御徒町(おかちまち)で幕臣の「津田仙(つだ せん)」の次女として誕生します。

仙は、英語やオランダ語に通じており、梅子の誕生時は、江戸幕府に通訳として仕えていました。1867(慶応3)年には幕府の遣米使節に加わってアメリカへ渡り、進んだ社会の様子を目の当たりにしています。

維新後は農学者として、西洋の農作物の普及や、農学校の設立など、日本の農業と教育の発展に尽くしました。梅子の思想や行動にも、そんな父親の存在が大きく影響していたといわれています。

岩倉使節団に、最年少で参加

津田仙を含む幕府の遣米使節一行は、アメリカ人女性の教育レベルや社会的地位の高さに大変驚かされました。

使節の一員だった黒田清隆(くろだきよたか)は「日本も女子留学生を派遣するべき」と主張し、政府の許可を得ることに成功します。

黒田清隆と同じ北海道開拓使で農学者として勤めていた仙は、この情報を聞き、まだ6歳だった梅子を留学させることに決めました。

梅子は他の留学生とともに、1871(明治4)年11月に「岩倉使節団」の一員となって日本を離れます。留学生43名のうち女性は5人で、梅子は最年少でした。

サンフランシスコで使節団を離れた梅子は、ワシントンへ移り、ランマン夫妻の家で暮らすことになります。夫妻には子どもがいなかったこともあり、梅子を実の子のようにかわいがったそうです。

アメリカで初等・中等教育を受ける

梅子は、ほとんど英語を話せない状態で日本を出ましたが、ランマン夫妻の元ですくすくと成長し、8歳のときにはキリスト教の洗礼を受けるほど現地の暮らしになじんでいきます。

小学校を終えた後は、女学校に進み、フランス語をはじめとする他言語や物理学、天文学などを学びました。10年の予定だった留学期間を、本人の希望で1年延長したことからも、大変熱心に学んだ様子がうかがえます。

17歳の夏に帰国したときには、出国時とは逆に、日本語を忘れていたほどでした。

帰国後、女性の地位向上のため尽力

帰国した梅子は、日本とアメリカとの間で、女性の地位に大きな差があることに衝撃を受けます。当時の日本には、女性が高等教育を受ける機会はほとんどなく、自立にはほど遠い状況でした。

11年も国費で留学したのに、重要な仕事を与えられず、結婚をすすめられてしまう現実に、梅子はとても失望したようです。

華族(かぞく)女学校(後の学習院女子大学)の英語教師として働きはじめた梅子は、24歳のときに再びアメリカへ渡り、ブリンマー大学で生物学を学びます。

留学中に、女子教育の重要性を改めて感じた梅子は、後に奨学金制度や「女子英学塾(現在の津田塾大学)」を創設し、日本の女性の地位向上に尽力しました。

津田塾大学(東京都小平市)。創設したころの「女子英学塾」(千代田区)は、華族平民の別なき女子教育を目指し、一般女子の教育を行った。開校時の学生は10人だったが、8年後の1908(明治41)年には150人に達している。1931(昭和6)年、落成した小平の新校舎(上写真)に移転し、梅子の死去から4年過ぎた1933(昭和8)年には、校名を「津田英学塾」と改めた。

64歳で生涯を終える

1900(明治33)年に、35歳で女子英学塾を創設した梅子は、経営を軌道に乗せるために熱心に働きます。自ら教壇に立ち、生徒を厳しく指導して、英語教師として立派に自立できるよう導きました。

しかし、52歳のときに糖尿病を患い、間もなく塾長を引退します。鎌倉の別荘で闘病生活を送るも、病状は回復せず、64歳で生涯を終えました。

日本語よりも英語が得意だった梅子は、日記も英語でつけており、亡くなる直前には「Storm last night(昨晩は嵐だった)」と書いていたそうです。

津田梅子の人物像が分かるエピソード

「女性に学問や仕事は不要」とされていた時代に、女子教育の場を創った津田梅子は、胸の内にどのような思いを秘めていたのでしょうか。彼女の人物像がよく分かるエピソードを紹介します。

独身を貫き、女子教育を広めることを決意

梅子が最初の留学から帰国したころ、日本の女性は16歳ごろまでに結婚し、家庭に入るのが当たり前とされていました。それまでに結婚できなければ「売れ残り」と呼ばれるような世の中でしたから、17歳を過ぎていた梅子も、周囲から何度も結婚をすすめられます。

アメリカの自由な空気になじんだ梅子にとって、日本人の結婚観は、とても時代遅れに見えたことでしょう。

家庭に入るよりも、女子教育を通して女性の地位向上を目指す道を選んだ梅子は、すすめられた縁談をすべて断り、生涯独身を貫く覚悟を決めました。

津田梅子が残した言葉

梅子は、女子英学塾の開校式で、以下のような言葉を残しています。

・教育には物理的な環境以上に、教師の熱意と学生の意欲が重要
・人にはそれぞれ個性があるため、教育も個性に合わせて行うべきである
・学生は広い視野を持つ女性「all round women」を目指して欲しい

女子英学塾は、英語教師を目指すための学校ですが、真の目的は英語を通して視野を広げ、国際的教養を身に付けた女性を育成することにありました。

そのため、単に設備をととのえただけでなく、教師の資質や学生の個性を重視した、独自の学校経営を目指したのです。

また、梅子は学生に向けて、「英語の先生になってもならなくても、常に高尚な生活を心がけるように」とも伝えています。

「何のために学ぶのか」を考えるとき、梅子が残したこれらの言葉は、現代を生きる私たちの心にも、しっかりと響くでしょう。

津田梅子(イメージ)

津田梅子が残した功績

津田梅子は、女子教育にかかわるさまざまな功績を残しています。梅子がいなければ、女子教育の改革や女性の社会進出はもっと遅れていたかもしれません。彼女が残した主な功績を見ていきましょう。

「日本婦人米国奨学金制度」を設立

梅子の最初の留学は、ほとんど父親の意向によるものでした。10年以上アメリカに滞在できたのも、恵まれた環境のおかげです。ブリンマー大学への留学も、幼少期の体験や周囲の協力がなければ難しかったでしょう。

そこで梅子は、学びたくても学べない環境にいる女性を支援するため、ブリンマー大学在学中に「奨学金制度」の設立を企画します。

日本の実情を訴える公演によって8,000ドルの寄付金を集め、奨学金制度の資金としました。梅子が設立した「日本婦人米国奨学金制度」は1970年代まで続き、25名の女性が留学の夢をかなえています。

参考:巻頭言:津田梅子と新五千円券 : 財務省

日本の女子教育の先駆者に

梅子が2度目に留学したブリンマー大学では、身分も男女の区別もなく、好きな学問ができる環境が整っていました。

当時の日本では、学校に通えるのは、華族など裕福な家庭の娘に限られます。そのうえ、学校で教わる内容も、行儀作法の延長のようなものだけでした。

梅子はこうした状況を変えようと、華族や平民の区別なく、学ぶ意欲のあるすべての女性に向けて、女子英学塾を開いたのです。自由でハイレベルな日本の女子教育は、ここからスタートしました。

女子教育に生涯を捧げた津田梅子

女子英学塾の開校から120年以上経った現在では、女性が大学に通うことも、自立した人生を送ることも珍しくなくなりました。

生涯を女子教育の充実に捧げた梅子の夢は、現実のものとなったのです。新しい五千円札を手にしたときには、梅子の功績を思い出し、未来を担う子どもたちにもしっかりと伝えてあげましょう。

もっと知りたい人のための参考図書

集英社版・学習まんが 世界の伝記NEXT 「津田梅子」

小学館版 学習まんが人物館 「津田梅子」

朝日文庫 大庭みな子著 「津田梅子」

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構成・文/HugKum編集部

 

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