ドラえもんを愛する作家・辻村深月が脚本に込めた思いとは?【映画ドラえもん のび太の月面探査記】

3月1日(金)に公開される「映画ドラえもん のび太の月面探査記」。シリーズ39作目となる本作の脚本は、直木賞作家の辻村深月さんが担当。今回は、この異色のコラボレーションのきっかけや、辻村さんとドラえもんとの出会い、この作品に込めた思いなどをうかがい、辻村さんのドラえもんへの愛情溢れるインタビューとなりました。

▼ビデオテープが擦り切れるほど見たドラえもん

―ドラえもんとの出会いを教えてください。

父が新しいもの好きだったので、小学校に上がる前には家にもうビデオデッキがあったんです。それでテレビのドラえもんを録画してくれたので、物心つく前からいつもビデオで観ていたんです。『映画ドラえもん のび太の宇宙開拓史』が大好きで、テープが擦り切れる勢いで繰り返し観ていました。

そのうちに、近所の子どもたちが集まってみんなで観るようになりました。ある時、誰かが間違えて録画ボタンを押して、『映画ドラえもん のび太と鉄人兵団』の一部が消えちゃったんですよ。それがすごくショックだったし、父にもすごく怒られて。お父さんとお母さんがいない時にこんな大事件を起こしてしまったってすごく落ち込んだのを覚えてます(笑)

―ドラえもんがすごく身近にあったんですね。

ほんとうにそうですね。ドラえもんの映画ってだいたい1時間半で、2時間のビデオテープに録ると時間が少し余るんです。父がそこに普段放送しているドラえもんを録画しておいてくれたんです。そのドラえもんでたまたま観たひみつ道具で、いまだにものすごく愛着のあるものもあるんですよ。

「カワイソメダル」というひみつ道具で(このメダルをつけた人や動物を見るとかわいそうで仕方なくなり、大切にしたくなる)、私はすごくメジャーな道具だと思っていたんですけど、自分の小説の中に「カワイソメダル」を出そうと思ったらコミックスに収録されていないお話だったのでビックリしました。藤子・F・不二雄先生は描かれた量が膨大だから、てんとうむしコミックスに収録されているお話と、されていないお話があるんですよね。漫画とアニメ、両方のドラえもんにずっとお世話になってきたんだなぁと思います。「カワイソメダル」のことは、『凍りのくじら』という小説に書きました。この小説は章タイトルがすべてドラえもんのひみつ道具の名前になっています。

―「映画ドラえもん のび太の月面探査記」にも、お馴染みのものから新しいものまで、たくさんの道具が登場しましたね。

監督(八鍬新之介さん)と私のなかに、映画を観てくれた方に最終的には原作の漫画に戻ってほしい、コミックスを手に取ってほしいという気持ちがすごくあるんです。だから、なるべく原作にある道具を使おうと話していました。

―コミックスを読み返しながら、使えそうな道具をピックアップしていったんですか?

ヒントを探して改めて原作を読み返すことはあまりなかったですね。監督もすごくドラえもん好きなので、例えば「エスパー系のひみつ道具って何があったっけ?」という話題になると、すぐにいくつも原作の道具名が挙がる。「『エスパーぼうし』はどう?」「でも、ずっとかぶり続けるにはビジュアルがかっこ悪いかも……」という会話が、資料を何も確認しないうちから出てくる。そういうところでスムーズに話が進んだのは、ほんとうに嬉しかったですね。

▼むぎわら先生からの手紙

―道具のお話だけで、辻村さんのドラえもん愛が伝わってきました。それだけに、脚本の話が来た時に最初は断られたとか?

私はドラえもんのファンですから。ファンが公式の〝原作〟を書くというのは、聖書の続きを書くようなものだと思ったんです。あまりにも恐れ多いので、お声がけいただいてとても嬉しかったですけど、最初はお断りしました。一番怖かったのは、仕事として関わることで好きでい続けられなくなってしまうのではないかということでしたね。

―それでも決心した理由は?

藤子先生がお亡くなりになった時、私は中学生だったんですけど、大人たちが「これからドラえもんはどうなるんだろう」と大騒ぎするのをメディアを通じて見た記憶があります。でも私はそれほど焦っていなくて、続くに決まってるのにと思っていました。それくらい「ドラえもん」がなくなることが想像もつかなかったんです。でも、そうやって無条件に「続く」と信じられていたことって、とても幸せなことだったんですよね。

けれど今大人になって、子ども時代のそんな自分を振り返った時に、藤子先生が亡くなった後もつなげてきてくださった人たちの存在に思い至りました。

中でも大きかったのは、藤子先生のチーフアシスタントをされていたむぎわらしんたろう先生にお話を伺う機会があったことですね。むぎわら先生の著書『ドラえもん物語~藤子・F・不二雄先生の背中~』の中には、大長編ドラえもんを引き継がれた時のことが描かれているのですが、その様子がもう本当に壮絶なんです。「先生の絵はこんな絵じゃない」、「先生ごめんなさい、描けません」と机に向き合い、そこから、「先生、これで合っていますか?」と心の中で何度も語りかけて、作品を完成していった。その映画『のび太のねじ巻き都市冒険記』を、私も当時、劇場で見ています。毎年、春になるとドラえもんの新作映画が見られるのは当たり前のことだと思っていたけれど、その「当たり前」を届けるために、毎年大事にバトンをつないでこられた方たちがいらしたんですよね。脚本の依頼は、そのバトンが今、自分の目の前に来たということなんだと。だったら、それを受け取って、次の一年のために全力で走るのが、ドラえもん映画に育ててもらったファンとしての恩返しなんじゃないかと思いました。

―気持ちが変化したんですね。

誰も藤子先生の代わりにはなれないし、先生だったらどうしたかなんていう視点には私も絶対に立てません。何かを思いついても、先生はそれよりずっとすごいことを思いついたに違いないので。ただ、私はファンなので、「先生だったらどうしたか」はわからなくても、「先生だったらこれは絶対にやらない」ということの方はわかる気がしました。迷ったらそこの基本に立ち返って、脚本の作業を進めていきました。

それでもやっぱり私が書いてしまっていいのかなとためらう気持ちは当然あったんですけど、そんな時にむぎわら先生がメールをくださって。そこには「映画ドラえもん、楽しんでください。ドラえもんたち5人も新しい世界に冒険に行けることをワクワクして待っているはずです。僕の仕事はいまも昔も先生のお手伝いです」と書かれていました。それを読んで、藤子先生が今いらっしゃるか、いらっしゃらないかということではなくて、時間を隔てても、私のこの脚本も「藤子先生のお手伝い」なんだ、と思えました。だとしたらとても幸せなことだし、藤子先生が楽しんで漫画を描かれたように、私もドラえもんたちとの冒険を「楽しもう」と思えるようになったんです。

 

▼突破口となった「異説クラブメンバーズバッジ」

―新作の舞台に選んだのは、藤子先生がこれまで描いてこなかった「月」ですね。

ドラえもんたちはこれまであらゆる世界で冒険してきたので、最初は「よく月が残っていたな」と思っていたのですが、月を舞台にしようと決めて動き始めてから、藤子先生が月に行かなかった理由がわかった気がしたんです。たぶん、あえて行かれなかったんだと思う。

藤子先生の漫画って、ぱっと見、なんでもありのように見えるけど、実はそうじゃないんです。現実の物理法則や歴史など、先生ご自身がいろんなことにお詳しくて、その前提を踏まえたうえでの不思議が登場するお話をつくられているんですよ。だから、この作品が『ドラえもん』である以上、監督とも「行ってみたら月に王国がありました、ということでは通らないよね」と話をしました。

月は近くて遠い、でも、遠いけれど近い場所。実際に行こうと思うととても遠いけれど、お話の中で「嘘」をつくにしては、近いがゆえに科学的な観測がだいぶ進んでいるんです。生き物が住める環境でないこともわかっていますし、そこに誰かがいるのなら、なぜそれが可能なのか、近くにこれだけ豊かな地球があるのになぜ月で暮らすのか、など、考えているうちに途方に暮れてしまって。その時に、ドラえもんは月に行かないというのが藤子先生の答えだったんじゃないか、と気づいたんです(笑)

―確かに、そう聞くと月での冒険はとても大変そうです。なにか光が差した瞬間があったのですか?

監督が「異説クラブメンバーズバッジ(※)はどうですか?」と言ってくれたんです。原作だと地底に行く話で出てくるんですけど、それを聞いた瞬間に「書ける!」とようやく思えました。あのバッジの力によって「月の裏文明説」が可能になる。そこを広げればきっと最後までいけるという気持ちになれました。原作にある道具を軸に話を展開させられるというのも、とても嬉しかったです。(※世の中であたりまえとされている説とは別の、異説の世界を実現するひみつ道具)

 

▼仕事と子育て

――脚本もバッジの力で生まれたんですね!辻村さんはお子さんがふたりいらっしゃいますが、執筆の苦悩もあるなかで、子育てとどう両立させているんですか?

作家は夜に書くと思われがちですが、子どもを保育園にお願いしているので、その時間が私の仕事時間です。共働きの会社員の家庭と同じですね。8時くらいに子どもたちを送り出して、それから17、18時ぐらいまで仕事をしています。子どもを迎えに行ったら、自分の仕事がどれだけ気になってもやらないと決めていて、21時か22時くらいには一緒に寝ます。それで朝、私だけ4時とか5時に起きるんですよ。そうすると、子どもを起こす7時くらいまでは自由時間なので、録りためたドラマを観たり、本を読んだり、仕事をしたり、と好きなことをしています。

初めの頃は、子供を寝かしつけてから仕事をすることもあったんですけど、眠くなるから能率が上がらないんですよね。寝落ちしちゃった時は罪悪感を翌日まで引きずるし、寝るっていう気持ちで寝なかった時の睡眠ってあんまり休息がとれたような気がしない。

ある時、子育てしている漫画家さんに朝起きるといいよとアドバイスしてもらって、最初はできるかなと思いながら始めたんですけど、今は朝のその時間が楽しみ過ぎて、今では自然と起きられます(笑)。

―お子さんもやっぱりドラえもん好きですか?

はい。テレビ放送でやっている「ドラガオじゃんけん」がリアルタイムでやりたいから、ドラガオじゃんけんに間に合う時間に家にいないとめちゃくちゃ怒られます(笑)。子どもたちはテレビで観て、録画したドラえもんも繰り返し観て、私所有のDVDも観ていますね(笑)。

でもやっぱりコミックスで接してほしいという気持ちもあって、昨年頂いた本屋大賞の副賞が10万円分の図書カードだったので、コミックスを全巻買ったんですよ。それを「君たちのだよ」と言って渡すと逆に読みたくなくなると思ったので、リビングの本棚に何も言わずに置いておいたら、手に取り始めました。3歳の娘は塗り絵と勘違いして塗ろうとしたりしていて、そういう使い方もなかなかいい感じです。

 

―お母さんがドラえもんの新しい映画のお話を書いたと知った時、お子さんはどんな反応でしたか?

公式発表までは、子どもたちにもナイショにしていたんです。発表の記者会見を終えてから、子どもたちと一緒に会見の映像を見ました。どんな反応をするかなと思ったら「次は月か!」とか言っていて。「その前になにかなかった? 辻村深月って言ってなかった?」と聞いたら「ああ、言ってた」というから、もう1回見た後に「次のドラえもんのお話を書いたんだよ」と教えたんです。そうしたら上の子は「えー!すごいすごい、やばいやばい、どうしよう!」って大騒ぎでした(笑)

既に公開された情報なのに、7歳の息子は学校の友達や先生に「次の映画は月なんだよ」ってもったいつけて教えてたみたいですね。

 

「映画ドラえもん のび太の月面探査記」のゴール

―この映画に込めた思いを教えてください。

私が小さい頃に観ていたドラえもん映画と同じ経験を今の子どもたちにもしてもらいたいというのが一番ですね。「藤子先生が描いたみたい」と言ってもらえることをずっと目標にしてきました。

『映画ドラえもん』の舞台は地底、海底、雲の上や宇宙とこれまでもいろいろありましたが、子どもたちは『ドラえもん』を通してそうした場所に接することで、自分たちと同じ心を持った存在が未知の場所にもいるかもしれない、とそれぞれ感じてきたと思うんです。そこに冒険と出会いと別れがあって、みんなが冒険の舞台に親近感を覚えて、「地底」や「海底」そのものと友達になってきた。それが『映画ドラえもん』のゴールだと思うんです。目に見えているものだけがすべてじゃないと、日常の世界に奥行きを与えてくれるんですよね。

だから私も、月を舞台にする以上、映画を観た子どもたちが月を見た時に「あの裏側に自分の友達がいるかもしれない」と、映画を観る前と後で、月の見方が少し変わるような、そんな映画を目指しました。観客や読者の皆さんに、「月」の存在そのものと友達になってもらえたら、とても幸せです。

 

映画ドラえもん のび太の月面探査記

3月1日(金)より全国東宝系の映画館で公開!

 

小説「映画ドラえもん のび太の月面探査記」

原作/藤子・F・不二雄 著/辻村深月

月面探査機が捉えた白い影が大ニュースに。のび太はそれを「月のウサギだ!」と主張するが、みんなから笑われてしまう…。そこでドラえもんのひみつ道具<異説クラブメンバーズバッジ>を使って月の裏側にウサギ王国を作ることに。そんなある日、のび太のクラスに、なぞの転校生がやってきた。

 

 

 

 

取材・文/川内イオ、撮影/田中麻以
©️藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2019

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