絶対王政とは? 歴史や国ごとの特徴、専制君主制との違いを解説【親子で歴史を学ぶ】

世界の歴史を学ぶとき、国家の政治体制への理解は欠かせません。中世ヨーロッパの「絶対王政」も、必ず押さえておきたい政治体制の一つです。絶対王政が始まった背景や、国民及び周辺国への影響、代表的な王についてわかりやすく解説します。

絶対王政とは、どんなもの?

「絶対王政(ぜったいおうせい)」とは、どのような政治体制を指すのでしょうか。統治方法や、体制を支える仕組みについて見ていきましょう。

国王中心の政治体制のこと

絶対王政とは、16~18世紀のヨーロッパ諸国に出現した、国王中心の政治体制を指す言葉です。国王直属の官僚機構や軍隊が設置され、財源を確保するために植民地開拓や商業重視の政策が盛んに行われました。

このように特異な構造をしているため、歴史のうえでは、他の時代や地域における国王中心の政治体制と区別されています。また、絶対王政によって繁栄した国家としては、フランス・イギリス・スペインの3カ国が有名です。

絶対王政の政治理論とは

絶対王政は、「王権神授説(おうけんしんじゅせつ)」と呼ばれる政治理論に基づいています。王権神授説は、国王の権力を、キリスト教によって強化する考え方です。国王の統治権は、神が特別に授けた神聖なものであり、誰も邪魔できないとしています。

当時のヨーロッパ社会では、宗教勢力や有力貴族が政治に介入し、国王と対立するケースも珍しくありませんでした。国王にとって王権神授説は、彼らの干渉を受けずに国を統治するために欠かせない、大変都合のよい理論だったのです。

後に市民階級が台頭して、絶対王政を疑問視したときにも、国王は王権神授説を盾(たて)に自らの統治を正当化しています。

マドリッド王宮(スペイン・マドリッド)。国王の別荘として使用されていた城塞をカルロス1世と、その息子・フェリペ2世が、1561年に公式の住まいとした。1734年の火災で焼失したが、フェリペ5世が実に17年の年月をかけて新宮殿を完成させた。一般公開されている。

絶対王政を支えた官僚制と常備軍

神から権力を授かったとはいえ、国王一人だけでは国を統治できません。絶対王政を維持するためには、国王の手足となって政務を補佐するスタッフが必要でした。そこで国王は、貴族たちを組織して官僚制を整え、実務に当たらせます。

国王直属の常備軍が設置されたのも、絶対王政の大きな特徴です。それまでは、軍隊は戦争のときだけ組織されるものであり、平時には存在しませんでした。

いつでも出動できる軍隊があれば、国王に敵対する勢力は、うかつに手出しできなくなります。チャンスとみれば迅速に敵国に侵攻し、領土を広げることも可能です。

絶対王政は国王の存在感だけでなく、有能な官僚や強い軍隊によって成り立っていたと考えてよいでしょう。

財源を確保するための政策が行われた

官僚体制や軍備の維持には、莫大なお金がかかります。農民が納める年貢だけでは賄(まかな)いきれず、新たな財源を求めて「重商主義(じゅうしょうしゅぎ)」と呼ばれる経済政策が行われました。

重商主義は、下記の2種類に大別されます。

・重金主義:植民地から金や銀を奪う
・貿易差額主義:輸出を増やし輸入を減らす

当初は重金主義が主流でしたが、金銀の産出量には限りがあるため、徐々に貿易差額主義へと移っていきます。輸出量を増やすため、良質な商品を分業で効率的に生産する「工場制手工業 ( マニュファクチュア )」が発達し、後の工業発展につながりました。

絶対王政のメリット、デメリット

どのような政治体制にも、メリットとデメリットがあります。絶対王政の実情を、メリット、デメリットの両方から見ていきましょう。

強いリーダーシップで国を統一できる

絶対王政の良さは、従来の「封建国家」から脱却し、国をまとめやすくなる点にありました。封建国家は、国王と貴族との間に交わされる、土地を仲立ちとする契約関係で成り立っています。

封建国家の仕組みは、国王が貴族に土地を与え、貴族は国王の求めに応じて軍役を果たすというものです。実際に、土地や人民を支配するのは貴族だったため、地域によって法律や税率などが異なる、複雑な状態となっていました。

絶対王政では、封建国家のような契約関係は存在しません。国王のリーダーシップによって、バラバラだった制度が統一され、一つの国としてまとまることが可能となったのです。

領主(貴族)からの制限を受けず、国内で自由に商売できるようになったため、商業が発達したのも絶対王政のメリットといわれています。

権力や富の集中が起こりやすい

権力と富がすべて国王に集中した結果、悪政を招く可能性があることが、絶対王政の大きなデメリットです。絶対王政では、予算を決めるのも軍隊を動かすのも、すべて国王の采配にゆだねられます。

もし、国王が国の発展につながらない、もしくは悪影響を及ぼすような政策を実行しようとしても、止められる人は誰もいないのです。実際に、宮殿建設に多額の費用をつぎ込んだり、無意味な戦争を続けたりして国民を苦しめた王もいました。

絶対王政は、一歩間違えれば国が傾いてしまうことになりかねない、危うい体制だったともいえます。

さまざまな国の絶対王政

ヨーロッパ諸国の中でも、フランス・イギリス・スペインの3カ国は、絶対王政の下で特に繁栄した国として知られています。それぞれの国について、最盛期を築いた国王と具体的な政策を紹介します。

フランス

フランスの絶対王政期に君臨したのは「太陽王」と呼ばれたルイ14世(在位1643~1715年)です。「朕(ちん)は国家なり(私は国家そのものである)」という有名な言葉を放ち、貴族の力を抑えて意のままに国を統治しました。

多額の費用をかけ、パリ郊外に豪壮な「ヴェルサイユ宮殿」を建てたことでも知られています。さらに、ルイ14世は優秀な官僚に恵まれた国王でもありました。

特に有名な人物が、神学者の「ボシュエ」と財務総監の「コルベール」です。ボシュエは絶対王政の基本理論である王権神授説を確立し、コルベールは重商主義を推進して財政再建と商工業の発展に貢献しました。

ルイ14世の銅像(フランス・ヴェルサイユ宮殿内)。4歳で即位したルイ14世の在位期間72年は、フランス史上最長である。1533年にイタリアから「バレエ」が持ち込まれ、太陽王の異名も宮廷で上演されたバレエで、14世がアポロ(太陽)に扮したことに由来するという。

イギリス

イギリスは、エリザベス1世(在位1558〜1603年)の時代に、絶対王政の最盛期を迎えています。軍事力・経済力ともに当時世界最強だったスペインを破り、勢いに乗りました。

エリザベス1世は、東インド会社の設立や北アメリカの植民地開発により、莫大な富をもたらした功績でも知られています。

なお、イギリスでは他国のように官僚機構や常備軍が発達せず、「議会」が中央政府としての役割を担っていました。地方の行政は、「ジェントリ (郷紳)」と呼ばれる地主階級が担当します。

ジェントリたちが建てた工場で生産された毛織物は、世界中に輸出され、イギリスの財政を大いに潤しました。

スペイン

スペインにおける絶対王政の象徴といえる国王が、フェリペ2世(在位1556~1598年)です。植民地政策に力を入れ、南米・東南アジア・中国・アフリカなど世界中へ勢力を広げました。

ポルトガルを併合してイベリア半島統一を果たすと、世界のスペイン領のどこかで、必ず太陽が昇っている状態が実現します。このため、当時のスペインは他の国から「太陽の沈まぬ国」と呼ばれていました。

1584(天正12)年には、日本の戦国大名が派遣した「天正遣欧少年使節」がフェリペ2世に謁見(えっけん)しています。

天正遣欧少年使節顕彰之像(長崎県大村市)。1582(天正10)年、九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として、ローマへ派遣された4人の少年たちを中心とする使節団。1590年に彼らが持ち帰った印刷機で、日本初の活版印刷が行われた。

専制君主制との違いは?

絶対王政と似た政治体制に「専制君主制」があります。両者の違いはどこにあるのでしょうか。

一人の支配者が統治する専制君主制

専制君主制は、一人の君主が強大な政治権力を持ち、国を支配する体制を指します。基本的に君主は世襲で決まり、国民に選ぶ権利はありません。

したがって、国王中心の絶対王政も専制君主制の一つといえます。絶対王政が中世ヨーロッパの政治体制を指すのに対して、専制君主制は時代や地域を問わず用いられます。

かつての日本も、天皇家や将軍家が支配者として君臨する専制君主制でした。

王が強い権力を持つ絶対王政

現在、世界の国々では国民が主体となって国の方針を決める、民主的な政治体制が主流となっています。君主が存在する国もありますが、その多くは憲法に基づいて国民が政治に参加できる「立憲君主制」を採用しています。

このため、一人の国王が強大な権力を振るう時代があった事実は、子どもには理解しにくいかもしれません。絶対王政の特徴をしっかりと把握して、正しい歴史を教えてあげましょう。

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構成・文/HugKum編集部

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