万博とは?
万博(ばんぱく)は「万国博覧会」の略称で、「国際博覧会」とも呼ばれています。具体的に、どのようなイベントなのでしょうか? 万博の目的や種類を紹介します。
万博の目的
万博は「国際博覧会条約」に基づき、正式に登録・認定されたイベントです。1928(昭和3)年にパリで署名された条約で、過去に数回改正されています。万博の定義には、公衆の教育が主な目的であることや、2カ国以上が参加するものであることなどが含まれています。
世界中から多くの人やものが集まる万博は、地球規模のさまざまな問題に取り組むために、知識や技術などを共有する場です。人々の生活が、より便利になる新しい技術や製品が誕生するきっかけになることも少なくありません。
実際に、エレベーターやワイヤレステレホン、電動自動車などが誕生するきっかけになりました。
万博の種類
万博には、「登録博覧会」と「認定博覧会」があります。登録博覧会の開催期間は、6週間以上6カ月以内で、5年以上の間隔をおいて開催されるのが特徴です。2015(平成27)年にイタリアで開催された「ミラノ博」、2010(平成22)年に中国で開催された「上海(シャンハイ)博」、2005(平成17)年に日本で開催された「愛・地球博」などがあります。
二つの登録博覧会の間に1回のみ開催されるのが「認定博覧会」です。開催期間は、3週間以上3カ月以内です。2017(平成29)年にカザフスタンで開催された「アスタナ博」や2012(平成24)年韓国開催の「麗水(ヨス)博」、2008(平成20)年スペイン開催の「サラゴサ博」などがあります。
万博の開催地は、どう決まる?
万博の開催地がどのように決められているのか、知らない人もいるのではないでしょうか。開催地決定のルールについて見ていきましょう。
加盟国の投票で決定
開催地の決定方法は、BIE(博覧会国際事務局)の加盟国による投票です。投票総数の2/3以上を獲得した候補地が開催地となります。投票総数の2/3以上獲得した候補地がない場合は、最も投票数の少ない候補地が落選となり、再び投票を行います。
2回目の投票以降も同じルールです。投票総数の2/3以上を獲得した候補地が開催国になりますが、達した候補地がなければ、最下位の候補地を外しての投票を繰り返します。
2候補地の決選投票の場合は、過半数を獲得したほうが開催地となります。
BIEとは
本部がフランスにあるBIEは、フランス語の「Bureau International des Expositions」の略です。日本語では「博覧会国際事務局」と呼ばれています。
1928年に国際博覧会条約が締結されたのを機に設立された、万博が条約に基づいて開催されるよう監督する役目を負った国際組織です。2021(令和3)年現在、加盟国は170カ国に達しています。日本は1962(昭和37)年に加盟しました。
万博の歴史
そもそも万博は、いつ頃、どのようにして始まったのでしょうか? 起源や1回目の万博、過去の主な万博などの歴史を振り返ってみましょう。
万博の起源
万博の起源は、紀元前にさかのぼると考えられています。エジプトやペルシャの国王即位の式典で、財宝や芸術品などが民衆に披露されたことや、古代ローマで戦利品や奴隷を民衆に誇示したことが始まりとする説があります。
ヨーロッパでは、都市部の交通や商業が発展したことで「市」が開かれるようになりました。次第に、ものの売買だけでなく、技術や文化などを展示する人も現れはじめ、これも万博の起源と考えられています。
始まりはロンドン
現在の万博へとつながる本格的な万博は、1851(嘉永元)年に開催された「第1回ロンドン万国博覧会」です。アメリカやフランスなど34カ国が参加したこの万博には、多くの人が足を運び、黒字となって大成功に終わりました。
大きな話題となったのが「水晶宮(クリスタルパレス)」と呼ばれるイベント会場です。巨大なガラスと鉄骨でできた美しい設計の建物でした。
この万博では、開催国・イギリスの機械や陶器、薬品なども展示され、自国の工業力をアピールすることにも成功しています。
過去に開催された万博
ロンドンから始まり、パリ・ウィーン・メルボルン・バルセロナ・ミラノ・ニューヨーク・ローマ・ベルリン・バンクーバーなど、多くの国の主要都市で万博は開催されています。
アメリカでの開催が最多で、ニューヨーク以外にも、フィラデルフィア・シカゴ・セントルイス・サンフランシスコ・シアトル・ノックスビル・ニューオーリンズで開催されました。
現代の万博のように、テーマを掲げた万博が行われるようになったのは、第一次世界大戦後です。また、1928年に国際博覧会条約が締結されたことによって、条約に基づいた秩序あるイベントへと発展していきました。
日本の万博
日本はこれまで、万博とどのように関わってきたのでしょうか? 初めての参加や開催、過去に日本で開催された万博について紹介します。
初めての参加は「パリ万博」
日本が初めて参加したのは、1867(慶応3)年の「パリ万博」です。しかし、当時の政治的背景から「日本」としてではなく、「徳川幕府」「薩摩藩(さつまはん、現在の鹿児島県にあった藩)」「鍋島藩(なべしまはん、現在の佐賀県にあった藩)」のそれぞれが独自に出展していました。
日本という一つの国として公式に参加したのは、1873(明治6)年の「ウィーン万博」が最初です。
なお、初参加の「パリ万博」以前にも、日本の遣欧使節団が視察という形で1862(文久2)年の「ロンドン万博」を訪れていました。福沢諭吉(ふくざわゆきち)が記した「西洋事情」に、そのときの様子が紹介されています。
初めての開催は「日本万国博覧会」
日本で初めて開かれたのは、人類の進歩と調和をテーマとした1970(昭和45)年の「日本万国博覧会」です。開催地が大阪だったことから「大阪万博」とも呼ばれ、約6,400万人が訪れました。
会場は、大阪府吹田(すいた)市の「万博記念公園」がある場所でした。現在、公園のランドマークとなっている「太陽の塔」は、万博のシンボルとして芸術家の岡本太郎(おかもとたろう)がデザインしたものです。
183日にわたって開催され、77カ国と4つの国際機関が参加しました。数多くの展示の中で話題となったのが、アメリカの宇宙船「アポロ」の飛行士が持ち帰った「月の石」です。
また、当時は、まだ「夢のエネルギー」といわれていた原子力発電が使われたことも、人類の大きな進歩として話題になりました。
過去に日本で開催された万博
日本では、これまでに5回の万博が開催されています。日本万国博覧会に続き、1975(昭和50)年に海をテーマとした「沖縄国際海洋博覧会」が開催されました。1985(昭和60)年に茨城・つくばで開催された、人間・住居・環境と科学技術がテーマの「国際科学技術博覧会」では、来場者数が2,000万人を超えています。
1990(平成2)年の「国際花と緑の博覧会」では、希少な植物を含む多くの草木が展示されました。2005(平成17)年の自然の叡智(えいち)をテーマとした「日本国際博覧会(通称:愛・地球博)」では、来場者数が約2,204万人に達し、目標を大きく上回りました。
2025年「大阪・関西万博」
そして来(きた)る2025(令和7)年4月13日から10月13日、大阪で「日本国際博覧会(通称:大阪・関西万博)」が開催されます。大阪での開催は2回目で、前回の大阪万博から55年ぶりになります。日本で開催される万博としても、2005年以来20年ぶりです。
大阪湾に浮かぶ人工島「夢洲(ゆめしま)」が会場となり、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、さまざまな企画や展示が予定されています。
「大阪・関西万博」が目指しているのは、「SDGs(持続可能な開発目標)」達成への貢献や日本の国家戦略「Society 5.0」の実現です。
各国の最新技術に触れられる万博
万博の起源は、紀元前にまでさかのぼるとされていますが、現在につながる万博の始まりは1851年の「ロンドン万国博覧会」といえます。日本が初めて参加したのは1867年の「パリ万博」で、日本初の開催は1970年の「日本万国博覧会」です。
2025年には「大阪・関西万博」が開催されます。日本での20年ぶりの開催となるので、各国の最新技術に触れられることを楽しみにしましょう。
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構成・文/HugKum編集部