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人生には大きな変化があったほうが、豊かになる! そう考えて大阪から和歌山に移住を決意しました
――まず、大阪から移住をしたきっかけを教えてください。
かつらぎ町のことを知ったのは、夫の仕事の関係で訪れたのが最初です。夫は大手通信会社に勤める傍ら、再生可能エネルギーの普及に関連した会社を立ち上げていて、その仕事の関係で太陽光設備を設置する場所を探す目的で、2016年に家族でかつらぎ町へ訪れたんです。すると、夫が美しい山並みが続く町の風景に一目惚れしまして、なんと『ここで暮らしたい』と言い始めたんですよ。
でも、私は大阪生まれの大阪育ち。縁もゆかりもないこの町で暮らすイメージは、まったく思い描けませんでした。それでなくても当時、私は年子で生まれた2歳の長男と乳飲み子の次男の子育てに奮闘中。育児ストレスはマックスに達していましたので、田舎に移住するなんて考えられなかったんです。
――それが2年後に移住。それには、どのような心境の変化があったのでしょう。
最初は夫の言葉にはまったく耳を傾けなかったのですが、『きれいな空気を吸いにいこう』などと言われて、週末、何度も夫に連れられてかつらぎ町を訪れていました。そんなことが20回ほど続いたときだったでしょうか、海外留学といっしょで‶人生には大きな変化があるほうが豊かになるんじゃないか〟と思うようになったのです。
大阪とは180度異なる環境のかつらぎ町で暮らすことは、私たち家族にとって、何かのプラスになるかもしれないと思ったんですよね。正直言って半分賭けのような気持ちだったのですが、その直感を信じて移住することを決めました。いまから考えると、夫に徐々に洗脳されていたのかもしれません(笑)。
眺めのいい土地を購入し、平地にすることから始めた家づくり
――移住は、具体的にどのようにして進めたのですか。
住む場所はインターネットで検索して、候補地をいくつかリストアップ。そこへ実際に見学に行って、まず土地を購入しました。その場所は、かつらぎ町で最初に見学した土地でした。高台にあって、夫の気に入った山並みが一望できる眺めのいい場所です。
でも、その土地は60年近く放置されていた所で、ボロボロの崩れかかった平屋が建っていて、庭もジャングルのよう。しかも、接道もされていなかったんですよね。だから、平地にすることからスタートしました。家を建てるまでは建築会社を5社巡りまして、試行錯誤のうえ、ようやく完成しました。
移住を決意したとき、私は三男を妊娠していたのですが、出産後は育休が明けたら会社へ復帰する意欲満々でしたので、子どもたちの保育園は便の良い高速道路の入り口に近い園に入園させることにしました。大阪から引っ越したのは2018年3月で、その翌月4月に三男を出産しました。
自然とふれあい子どもたちがどんどん元気になっていく姿を見て、会社を退社。子どもたちにとっていい社会を作りたいと決意しました
――随分と大変だったのですね。しかも、ご夫婦で大阪まで通勤するつもりだったとは驚きました。
かつらぎ町から大阪までは、車で約90分。通えない距離ではないんです。それに、私が務めていた会社は新卒からお世話になっていた会社で、仕事にもとてもやりがいを感じていました。子どもを出産してからも会社全体が協力的で、とてもいい感じだったんですよね。だから、会社を辞めようとなんて思ってもいませんでした。
――それが、移住して1年後に退社したのはどうしてですか。
移住後、子どもたちが自然とふれあううちに、どんどん元気になっていく姿を見て、『自然というのはすごいものだ』と思うようになりました。ご近所の農園で、子どもたちがブルーベリーを摘んで食べては喜んでいる姿を見て、夫も私も涙が出るほどうれしかったんです。
そんな子どもたちの姿を見ていると、子連れでも疲れない新しい観光農園を、私だったらつくれるんじゃないかと思ったのです。子連れのお出かけで散々疲弊してきた私だからこそ、そんな場所が作れるんじゃないかと思ったんですよね。
そんな想いを抱きながら、三男を抱っこして周囲の景色を観ていたら『この自然を子どもたちのために残したい』という気持ちが心の底からどんどん湧いてきたのです。
とはいえ、会社の仕事にはとても愛着があったので、大いに悩みました。2か月かけて悩み抜いた末、『このまま何もしなかったら、私は死ぬときにきっと後悔する』という想いに至り、退社しました。まずは、私が農家となって子連れ家族がくつろげる観光農園とキャンプ場を作ろうと決意しました。
小さな子ども連れでも、くつろげる観光農園とキャンプ場を4年かけてオープン
――そんな経緯を経て、2022年1月にオープンしたのがキャンプ場を隣接した観光農園「くつろぎたいのも山々」なんですね。
はい、そうです。私自身の子育て体験を活かして、とにかく子連れであってもママがくつろげる仕掛けが盛りだくさんの自然体験施設です。小さな子どもを抱えての外出は荷物が多いだけでなく、おむつ替えや授乳スペースを探すのもひと苦労じゃないですか。外食をしても周囲の人に気を使うし、子どもの面倒を看ながら食べるので、ゆっくり味わうこともできません。
『くつろぎたいのも山々』は、そうしたストレスをママやパパが抱えずに過ごせる空間なんです。
利用者は土・日・祝日は小学6年生以下の子連れグループ限定(平日は大人だけ、企業で貸切可能)で、キャンプ道具はすべてレンタルできるので初心者でも安心。滞在中はスタッフがお子さんと遊んで面倒をみるサービスも提供しています。
おかげさまでオープン以来、これまでに900人もの方たちに利用していただいています。約70件の口コミはなんとオール5つ星、中には東京から飛行機で来てくださったご家族もいるんですよ。『1回も子どもを怒らなかったお出かけは初めて!』『子連れなのにゆっくりご飯が食べられた!』などの感想をいただいていまして、皆さんに喜んでいただいています。
大変だったのは行政の認定や補助金の受託。何度落ちてもあきらめずにトライして突破!
――この場所を創設しようと思ってから、オープンまでは4年かかったんですね。
コロナ禍があったせいもありますが、資金調達をはじめ、さまざまなことをクリアーしなければなりませんでした。まず、観光農園を作るには、私が認定新規就農者という審査に合格して資金調達することが必要だったのですが、それまでが一苦労でした。書類申請をする段階で、『女性で子どももいる人に農業なんてできない』と言われたりもしました。『ネットで集客なんてできない』『こんな田舎に人は来ない』という理由で、審査を落とされたんですよね。そんな合理性のない落選理由には納得がいかないじゃないですか。そこで、農林水産省に電話して談判したり、行政窓口や審査員の方々にプレゼンをしたりして、やっと審査を通過。農園オープンのために3700万円の借金をし、そのた、補助金制度も利用することができました。
けれどもその一方で、ママ友をはじめ応援してくださる方もたくさんいました。途中で資金ショートしたときに、クラウドファンディングに挑戦。733人もの方から1000万円のご支援をいただいただけでなく、200人ぐらいの方が実際にかつらぎ町へ来てくれたんです。その中から20代の移住者が2人誕生しました。
子どもが安心して食べられる無添加のおやつ作り。農商工連携制度を利用して実現しました
――猪原さんは、もう一方で、廃棄処分の果物を使った『無添加こどもグミい~。』の開発事業も展開なさっていますね。
この事業は、観光農園の創設事業とほぼ同時で進めてきたものです。農林水産省と経済産業省が推進している農工商連携事業の補助金制度を利用して、おかげさまで2020年10月、商品の販売まで漕ぎ着けました。
きっかけは2016年、長男が2歳のときに陥った私の‶おやつストレス〟なんです。当時、長男はカラフルなグミが大好きになって与えるととても喜ぶんですが、市販のグミには着色料や添加物が入っていて、私はできたらあげたくなかったんです。そこで無添加のお菓子を探したのですが、茶色くて硬くてグミのような食感が楽しめない。また、市販のグミは与えたくないと思っていても、子どもに泣かれたら静かになるのでつい与えてしまう。そうすると、そのあとに私自身が罪悪感に陥ってしまうんですよね。そして、その罪悪感を持ちたくないので、長男がおやつをねだると怒鳴ってしまう……。そんなことが日々繰り返されていました。
そんな日々の中、かつらぎ町を訪れたときに鮮やかなオレンジ色の柿がたわわに実る姿を目にしました。そして、それと同時に規格外の柿が畑でたくさん捨てられているのを見てしまった。『なんてもったいないんだろう』と思いまして、そのとき『これで無添加のグミを作ろう』と思ったのです。
――思い立ってから、すぐに行動に移したのですか。
「はい。アイデアがひらめいてからは行政の補助金制度を利用するために、めっちゃ頑張りました。新規就農者認定のときと同じで何度も審査で落とされたのですが、めげずに挑戦しているうちに一筋の光が射したんです。ある審査員の方が応援してくれて、活用できる行政制度が他にもあることを教えてくれたり、私の事業に役立ちそうな人たちを紹介してくれたのです。
それが契機となって、最終的に大阪市立大学と畿央大学と連携ができることになり、開発が一気に進みました。時間はかかりましたが、こちらも販売を開始して以来、好評で、売り上げも順調に伸びています。
小規模農家の方々が栽培した規格外果物及び、廃棄果物を、障がい者の方々が働く施設に委託して加工していただき、それを私の会社「やまやま」で販売するという‶農工商連携〟で運営しています。昨今注目されているSDGsの追い風も受けまして、ビジネスコンテストでグランプリも受賞させていただいたんですよ。
来春からは、規格外の桃を使ったジェラートみたいな食感のアイスクリームを新たに発売する予定です。この商品もグミ同様に農工商連携によって実現した商品です。大阪のパティシエ専門学校と1年かけて共同開発して完成させました。
『ママの子どもでよかった』と言ってもらえたら悔いなき人生です!
――大変なご苦労をされましたが、その甲斐がありましたね。
これまで頑張れたのは、今まで応援してくれたみなさんのおかげです。家族にも感謝 しています。私がしようとすることを常に心から応援してくれました。
――移住して5年。これまで近隣の方たちとのことで悩んだことはありませんでしたか。
地方は都会に比べて人間関係がとても濃いです。
なので、例えばママ友から『〇〇さんちのおばちゃんが、有紀子ちゃんのことを○○と 話していた。』などと言われるわけですね。そう言われると、そのおばちゃんのことを 私は知りませんが、とても気になってしまう。そんなことが続いたので、周囲の人たち には正直に『私に一時情報以外は言わないで』とお願いしたことはありました。
でも子育てしている身としては、近所にどんな人が住んでいて何をしているのかが分か る田舎の方が安心して暮らせるので、安心と噂話はトレードオフの関係だと思っています(笑)。
かつらぎ町の方たちは、皆さん優しくて、町をあげて応援してくれていますし、特にママ友は私と同じ育児の大変さを経験しているので、いろんな人を紹介してくれました。
起業家として「子どもにとっていい社会をつくる」が信念
――最後に今後の目標や抱負を教えてください。
仕事に関しては、『子どもにとっていい社会をつくる』という使命を果たしたいです。プライベートでは、『子どもたちに、意志があれば何でもできる』ということを伝えたいですね。私が農園をやろうとしたとき、周りの多くの人たちはやれると思っていませんでした。でも、できるまで続けたら実現できました。そして、何より子どもたちが『ママの子どもでよかった』と思ってくれたら、私は1ミリの悔いなく幸せな人生だったと思って死ぬことができると思っています(笑)
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「くつろぎたいのも山々」
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取材・構成/山津京子