東京大学教授・広瀬友紀先生に訊く「子どもの国語の間違いから学べること」。そうなった理由を探ってみたら、発見が!

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子どもの国語のテストやドリルを見ると、あまりのトンデモ解答に「だめだこりゃ…」とガックリくることもしばしば。でも、マルかバツかだけで考えず、「一体なんでこうなった?」に思いをはせると、子どもの発想に合点がいくこともあります。言葉の認知科学を研究している東京大学・広瀬友紀教授に、そのヒントをいただきました。

認知科学の研究に、子どもの「間違い」がヒントをくれる

 — 広瀬先生は研究者であると同時に母親でもあります。現在中1の息子さんが小学生の頃に書いたテストやドリルの解答や日々の会話などを集めて分析されたご著書を読むと、爆笑しながらも「なるほど、そういう考えだったのか!」と子どもならではの発想に目を見開かされます。

広瀬:私自身は心理言語学者で、普段、人間がどのように言語知識を運用してリアルタイムに文を理解するのかという研究をしています。もともと言葉に興味があったのですが、さらに言葉を使う人間のもつ能力やしくみ、人間ならではの限界、そうしたものにとても関心がありました。いわゆる、言葉の認知科学です。

言語知識の獲得の過程は、その最中の当事者(子ども)が実況してくれるわけではないし、一方獲得済みの大人は既に忘れてしまっています。ですがよく観察すると、私たちのあたりまえとはちょっと違う子どもならではの振る舞いや反応は、直接観察できない人の言語の認知のあり方について多くのヒントを与えてくれるのです。

子どもの「誤」活用は自分で規則をつくった結果

東京大学総合文化研究科教授・広瀬友紀先生

――幼児の頃、子どもはよく「死む」って言いますね。

「死む」という子どもの「誤」活用は以前から報告されている例ですが、著書で取り上げたら「うちでも言う!」と反応してくれる方が多かったです。これは、子どもが自分なりの規則を作り出して試行錯誤を繰り返す典型的な例です。
たとえば「読んじゃった」「飲んじゃった」は「読む」「飲む」と対応しているなら、「死んじゃった」も「死む」になると類推した結果だと考えることができます。自分がすでに知っている事例から一般化された決まりを見いだし、それを応用する能力が備わっていることを私たちに学ばせてくれるのです。

―― 幼児の頃の子どもの言葉を観察して書き留めておけばよかった、と後悔しそうです。

それがですね、あくまでかわいいい幼児の時期あるあるだと思ってたら、息子が小3のとき、母子ゲンカした後に「もうお母さんのことババアって絶対言わないから!ちかるから!」(「誓う」って言いたい)って。もはや全くかわいくはないにせよ、ある意味感動しました。試行錯誤はまだ続いているようですよ。


やがて彼は中学生になって、そのうち「自分は日本語を話せるのにどうして動詞の活用表とか勉強させられるのか」と文句を言うことでしょう。そのときに同時に「だけど覚えなくてもなぜ自分は知ってるのか」という問いを持ってくれたらいいなと思います。小さいころから、「死む」かな、違うな、「きない」かな、いや「こない」って言うのか、っていう試行錯誤をたくさん繰り返して自分でぜんぶ解明したんだよ、その表はその成果だよって、伝えたいですね。

―― 無意識に法則を見い出し、それにあてはめているところが、すごいですよね。ちょっと視点を変えれば、子どもの発想の源に触れることができるのですね。

そういえば同じく低学年の頃、英語で“Have a nice weekend!”って話しかけられて意味を尋ねるから説明したら、「そうか、土曜日が“wee”で日曜日が“ken”ってことだね!」と。全然違うんですが、とりあえず褒めておきました。

子どもの書き文字が「鏡文字」になるのは自然!?

 ――著書ではお子さんによくある「鏡文字」(左右反転している文字)についても触れています。親からすると、「これ、いつ直るの?」と心配するところですよね。

 

 子どもの鏡文字は、日本だけでなく、他の言語や文字体系でも同様に見られるんですよ。アルファベットのbとdだったりpqを間違えるのはその言語を母語とする子の定番だそうです。

そもそも人間の視覚認知においては、物体は左右の区別は関係ない形として認識・記憶すると考えられているのです。だからこそ鏡に映った人やモノとその本体は同一対象だとも即座に理解できるのです(反転したとたん別の物や人に見えたりはしない)。しかし、ことさら文字に関しては、その前提を後からわざわざ捨てなければならないということになります。

はじめての脅迫状「おかあさンにワばつおあたえる」。ひらがな全体でなく、一部分のみが反転している例が多い。

―— 「文字だから反転しては通用しない」という事態が、本来人間にとっては普通ではないっていうことですね。

 

そうなります。さらに、アルファベットでは、左右反転するとしたら常に文字全体が鏡文字になります。文字の一部のパーツが左右に離れている文字はないんですよね。つまり、上下に離れているのは”i”や”j”の点の部分がそれにあたりますが、アルファベットのひとつの文字のなかで、パーツが右と左に分かれているものはないでしょう。

一方、日本語や他の文字体系では、つながっていない複数のパーツ(漢字なら部首とか)から成り立つ文字も多く、一文字より小さい単位だけが反転するケースもあって興味深いです。上の画像のひらがなでも、例えば冒頭の「お」や「か」という字が、テンの部分を残したそれ以外の部分が独立して反転していることがわかります。こうした例は、文字が脳で記憶されるパーツの単位についてのヒントを与えてくれます。

 

――ますます、子どもの文字の間違いは、単純に「間違い」とひとことではいえないと思えてきます。

自分も子どもの頃、漢字の書き取りは苦手だった

――広瀬先生ご自身は、国語はお得意なお子さんでしたか?

漢字を書くのは苦手でした。できるようになりたいとも、どうしても思えなかったです。漢字ドリルは苦痛だったので流れ作業方式で埋めていました。漢字を10回繰り返して書く代わりに、横棒をまず10マス分、ヨコヨコヨコと書いてから次に縦棒だけタテタテタテそんな人、他にもいるでしょう?
当時は「より効率的に宿題を完成させる名案を思いついた」という認識で悪気はなく、なぜそれでほめられる代わりに叱られるのかわかりませんでした。しかし大人になってそのツケは十分まわってきています。今でも書ける自信のない漢字が多いし、書き順もわかりません。教員としては致命的ですね。

まあ、そんなわけですから、子どもは要するに自分の欠点の鏡、いやその増幅マシンです。かつての自分を振り返ると、寛大にならざるを得ません。とはいえ、もしも子どもと自分とが逆のタイプだったら、むやみに寛大になれ、と言われてもとても難しいんだろうなと想像します。

 

――文章を書くのはお好きでしたか?

課題として書く作文や感想文も、いかに労少なく所定の枚数に達せるかを考えていました。段落はできるだけ最後12文字のみ残して改行する、副詞や接続詞を冗長にする(「しかしながらそれであるにもかかわらず」とか)、漢字表記を怪しまれない程度にひらがなに開く、という様々なハックに精通したかも。けれど、驚いたことにその「技術」が、大人になって本や雑誌原稿を執筆し行数を調整する(減らす)技術として役立っています。ああ、あれの逆をやればいいんだ!って。何が血肉になって生きてくるか、わからないものですね。

ちなみに息子はハリーポッターを作文の題材にして、呪文名だけで半ページくらい稼いでました、さすが。

間違ってるかもしれないけど言ってみてもいい、という安心感を

――考えてみれば、子どもの頃を振り返れば、だれでも類推して間違えたり、謎の効率化をしたりしてきたはずです。だから、大人は子どもの間違いに対しても否定するだけでなく、時には「こう考えたんだね」と考えた道筋を認めてあげたいと思いますが、日常ではなかなか難しいですね。

 

特にお子さんが受験をする場合はそうも言っていられないと感じる方も多いでしょう。入試では明確に結果が必要なので、先生も保護者も「ちゃんと正解できるか」「そのための最適ルートは」と、子どもを導いて行かざるを得ないですよね。

ただ、正解しないと親が泣く、というのも子どもにしてみたらつらいかもしれません。たまには「おお、そういう手もあったか」って、そこに至る思考過程にも、大人は関心を持ちたいですね。子どもには、「間違ってるかもしれないけど言ってみてもいい」という安心感は失ってほしくないなと。

 

心に残ったことはいつも二つ?テンプレで読書感想文を書くということ

学校で配られるお便りに毎回ちょっとした生徒作文が数編掲載されているのですが、大半の子の出だしが見事に同じなのが面白いです。「○○で、心に残ったことが二つあります。ひとつめはふたつめは」って。実際、小学校の授業で先生が、そういうテンプレ(型)を使って読書感想文指導しているのも見たことがあります。読む本を選ぶ前から心に残ったことの数が指定されてるのはだいぶ不思議なかんじがしましたが、そのテンプレ自体は文章指導におけるある役割としては有効に機能しているのでしょう。

ただそれはあくまで、筋道の整った文章を書く練習としてのひとつの型にすぎないのか、それともそれから外れた文章は教師や採点者には評価されないことを意味するのか、子どもには区別は難しいということだろうなと思います。いや、大人にとっても悩ましいところなのかもしれませんね。なので結局、型どおりに書くのが最も確実だってことになるのでしょう。実は大学生もそうなんですが

「お、おう…」と言うしかない。もちろん本人は誠実に答えているつもり。

―― それより、一見、求められている型や正答から外れていることも、笑って「そうきたか!」という楽しめるといいですね。そうしたチャンスに一番恵まれているのは、実は子どもに一番近い保護者かもしれません。

 

何ならいっそ「これは認知科学の進歩を支えている!」くらい言ってもらってもいいかと(笑)。

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記事監修

広瀬友紀(ひろせ・ゆき)先生
(大阪府出身。東京大学総合文化研究科教授。専門は心理言語学、特に言語処理。言語発達過程の子どもがどのようにその知識を運用するかに関心を寄せる。著書に『ちいさい言語学者の冒険』(岩波書店)『子どもに学ぶ言葉の認知科学』(ちくま書房)『ことばと算数 その間違いにはワケがある』(岩波書店)がある。がある。

 

『ちいさい言語学者の冒険』(岩波書店)

『子どもに学ぶ言葉の認知科学』(ちくま書房)

 

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