時宗の基礎知識
「時宗(じしゅう)」とは、どのような教えの宗派なのでしょうか。開祖や総本山、信者数についても見ていきましょう。
浄土教の宗派の一つ
時宗は「浄土教(じょうどきょう)」の宗派の一つです。鎌倉時代後期に、一遍上人(いっぺんしょうにん)が開宗しました。
浄土教とは、阿弥陀仏(あみだぶつ)を信じて念仏を唱えることで、極楽浄土に往生できるとする教えを指します。鎌倉時代の初期に、法然(ほうねん)が開いた浄土宗を皮切りにさまざまな宗派が生まれ、民衆の間で広く流行しました。
なお浄土宗や時宗のように、鎌倉時代に開かれた新しい宗派を「鎌倉仏教」といいます。時宗のほかにも、日蓮(にちれん)宗や臨済(りんざい)宗、曹洞(そうとう)宗といった宗派が、鎌倉仏教に名を連ねています。
総本山と信者
時宗の総本山は、神奈川県藤沢(ふじさわ)市にある「藤澤山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)」です。時宗では、教団の指導者を「遊行(ゆぎょう)上人」と呼ぶことから、総本山は「遊行寺(ゆぎょうじ)」とも呼ばれています。
清浄光寺は、1325(正中2)年に、4代目の遊行上人・呑海(どんかい)が創建しました。以来、何度も天災や火災に見舞われるも、その都度復興して現在まで続いています。
また文化庁の調査によると、2021(令和3)年12月時点で、時宗の寺院は全国に411院あり、約8万2,000人の信者がいることが分かっています。
時宗の成り立ち
時宗は、どのようにして生まれ、広まっていったのでしょうか。開宗から教団成立までの経緯を解説します。
遊行による布教活動
時宗を開いた一遍は、1239(延応元)年に伊予(いよ、現在の愛媛県松山市)の豪族の息子として生まれます。10歳で仏門に入り、13歳から九州に渡って、浄土宗西山(せいざん)派の僧・聖達(しょうだつ)の下で学びました。
1263(弘長3)年、父の死によって一度実家に戻るも、1271(文永8)年に再び出家し、信濃(しなの、現在の長野県)の善光寺(ぜんこうじ)などで修行を重ねます。
やがて遊行(僧が布教や修行のために諸国を旅すること)に出た一遍は、1274(文永11)年に紀伊(きい、現在の和歌山県)熊野にて熊野権現の神託を受け、時宗を開宗します。
以降、51歳で亡くなるまで、一遍は1カ所に定住することなく遊行による布教を続けました。
真教上人が教団を築く
一遍は、弟子とともにひたすら遊行して生涯を終えます。そのため時宗には、寺もなければ、教団のような組織もありませんでした。寺を建て、教団としての基盤を整備したのは、2代目の真教(しんきょう)上人です。
真教は、1277(建治3)年に、九州で遊行中の一遍と出会い、最初の弟子となった人物です。出会ってからの12年間を一遍とともに遊行し、一遍の死後は全国各地に念仏道場を建てて、僧侶の育成や布教に力を入れました。
開祖の教えを継続し、さらに発展させた真教は、時宗の「二祖」と呼ばれています。
「時宗」と呼ばれたのは、江戸時代以降
一遍は、最初から自分の教えを「時宗」と呼んだわけではありません。「時宗」という名が使われるようになったのは江戸時代以降で、もともとは「時衆(じしゅう)」と呼ばれていました。
時衆とは本来、長時間の勤行や長期間休みなく続く法要などを行うときの、交代要員としての僧尼(そうに)を指す言葉です。他の宗派でも使われていましたが、次第に一遍の弟子たちを指す言葉となり、教団の名として通用するようになります。
江戸時代に入ると「衆」が「宗」に代わり、「時宗」が宗派名として確定しました。
時宗の特徴
一遍は、布教のために、他の宗派には見られない独特な方法を用いたことでも知られています。時宗ならではの布教の特徴を紹介します。
他力念仏と、ご賦算
一遍は、阿弥陀仏を信じていない人でも「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば極楽浄土に旅立てると説きました。この考えを「他力念仏」といいます。
一遍は時宗を開く前から、阿弥陀仏を信じることを条件に「南無阿弥陀佛決定往生六十万人」と書いたお札を配っていました。しかし熊野での遊行中、一人の僧にお札を渡そうとしたところ「信心が起こらないから」と、受け取りを拒否されます。
自分の布教スタイルが間違っているのではないかと悩んだ一遍に、熊野権現が神託を授けます。その内容は「信仰の有無や心の清らかさにかかわらず、誰にでもお札を配るべき」というものでした。
そうして、他力念仏の悟りを開いた一遍は、以後、無条件でお札を配ることにします。お札を配って歩いた一遍の行為は「ご賦算(ごふさん)」と呼ばれ、時宗の特徴の一つに数えられています。
踊念仏
時宗の特徴として、もっとも有名といえるのが「踊念仏(おどりねんぶつ)」です。その名の通り、太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らし、念仏を唱えながら踊り歩く行為を指します。
日本史の教科書で、一遍と時衆たちが踊る様子を描いた絵図を見たことがある人も多いのではないでしょうか。踊念仏自体は、平安時代から存在しており、一遍のオリジナルではありません。
ただし一遍が始めた踊念仏には決まった型がなく、僧も信者も一緒になって好き勝手に踊っていました。そのため、次第に娯楽の要素が強くなり、それぞれの地域で特色を持った踊念仏が生まれ、受け継がれていったのです。現在の盆踊りは、一遍の踊念仏が元になったといわれています。
時宗の葬儀について
時宗の葬儀に参列するときは、どのような点に注意すればよいのでしょうか。葬儀の流れや参列者の心得を解説します。
浄土宗の形式が基本
時宗の葬儀は、基本的に浄土宗と同じ形式で行われます。浄土宗の葬儀の特徴は、「下炬引導(あこいんどう)」と「念仏一会(ねんぶついちえ)」と呼ばれる二つの儀式です。
下炬引導は、故人が極楽浄土へ行くための「引導」を渡す儀式で、僧侶が行います。念仏一会は、焼香の後に、僧侶と参列者全員で「南無阿弥陀仏」を10回以上唱える儀式です。念仏一会を通して、参列者も阿弥陀仏と縁を結べるとされています。
時宗独自の作法も
時宗には「未敷蓮華合掌(みぶれんげがっしょう)」と呼ばれる、独自の合掌作法があります。未敷蓮華合掌は、蓮華のつぼみのように、手のひらを少しふくらませて合わせるのが特徴です。
時宗の葬儀で合掌する際は、左右の手のひらをぴったりと合わせないように注意しましょう。とはいえ、未敷蓮華合掌は大変珍しく、葬儀に参列して初めて目にする人も多いと考えられます。
どのようにすればよいのか分からず不安なときは、あらかじめ問い合わせるか、僧侶や遺族の合掌を参考にするとよいでしょう。
数珠・焼香・香典のマナー
時宗や浄土宗では、二つの輪が交差した二連数珠(じゅず)を使用します。数珠の形式は男女で異なり、男性用は「三万浄土」、女性用は「六万浄土」と呼ばれています。
ただし信者以外の人が、わざわざ二連数珠を購入する必要はありません。他の宗派の数珠でも略式の数珠でも構わないので、忘れずに持参しましょう。
焼香では左手に数珠をかけ、右手の指先でつまんだ抹香(まっこう)を額に押しいただいてから、香炉にくべます。焼香の回数は、はっきりと決まっていないため、1~3回の間で行うとよいでしょう。
香典の表書きは、通夜や葬儀の場合は「御霊前」です。葬儀に参列できず、四十九日以降に弔問する場合は「御仏前」と書きましょう。
戒名の代わりに法名が与えられる
「戒名(かいみょう)」とは、仏様の弟子になった証(あかし)として与えられる名前のことです。戒名を持つことで故人が迷わずに極楽浄土に行けるとの考えから、仏教の葬儀には欠かせないものといっても過言ではありません。
ただし宗派によっては、戒名以外の呼び方をすることもあります。実際に、時宗の信者に与えられる名前は、戒名ではなく「法名(ほうみょう)」と呼ばれます。
弔問の際に、位牌に書かれた名前を見て「よい戒名ですね」などと言わないように注意しましょう。なお男性の法名には阿弥陀仏の「阿」が、女性には「一」や「弌(いち)」、「仏」の文字がよく使われます。
鎌倉仏教の一つである時宗
時宗の開祖・一遍は、自らの足で全国を遊行し、ご賦算と踊念仏によって阿弥陀仏の功徳を広めました。便利な交通手段もなく、安全も保障されない時代の布教活動は苦労の連続だったことでしょう。
そのような苦労を乗り越え、一遍が広めた教えは、弟子たちによって受け継がれ、現在も多くの信者が存在します。葬儀に参列する際には、時宗の歴史や特徴をしっかりと頭に入れ、心を込めて故人をお見送りしましょう。
こちらの宗派も要チェック!
構成・文/HugKum編集部