南蛮文化は西洋文化?
室町時代末期から安土桃山時代頃に日本に伝わった南蛮文化は、どのような特徴を持っているのでしょうか。伝来の仕方や、日本の文化に与えた影響について解説します。
宣教師や貿易商人によって持ち込まれた文化
南蛮文化とは、16~17世紀頃に西洋から持ち込まれた文化です。南蛮というとポルトガルのイメージが強いかもしれませんが、スペインやイタリアなどの国も含まれています。
ヨーロッパの文化が日本に伝わったのは、キリスト教の伝来がきっかけです。キリスト教を日本に根付かせようとした宣教師や貿易商人との交流によって、幅広い知識がもたらされました。
キリスト教の影響を強く受けた南蛮文化は、日本では新鮮なものとして受け入れられたのが特徴です。キリスト教の伝来とともに伝わった文化のため、「キリシタン文化」とも呼ばれています。
桃山文化との違い
桃山文化は、豊臣秀吉が天下統一を果たした桃山時代に栄えた文化であり、富や権力の大きさを感じさせる豪華さが特徴です。仏教色が薄く、南蛮文化からの影響も見られました。
桃山文化を代表する建築物としては、大阪城や聚楽第(じゅらくてい)などの壮大な建物が挙げられます。城内には壁画や屏風などの障屏画(しょうへいが)が描かれました。
千利休が確立したことでも知られる、茶の湯の文化が栄えたのもこの時代です。
▼関連記事はこちら
日本に伝来した南蛮文化「物品」
南蛮から伝わったものとしては鉄砲が有名ですが、他にも砂糖やタバコなども伝来しました。南蛮文化の伝来とともに持ち込まれた物品を見ていきましょう。
火薬・鉄砲などの武器類
南蛮文化の伝来とともに、鉄砲などの火薬を使った武器類が日本に持ち込まれました。1543(天文12)年にポルトガル人が乗った船が流れ着き、種子島に鉄砲が伝えられたのが始まりです。
鉄砲が日本に持ち込まれたことは、その後の戦にも大きな変化を与えました。1575(天正3)年に織田信長が長篠の戦いで鉄砲隊を率い、武田軍の騎馬隊を破った話は有名でしょう。
鉄砲の登場により、刀や槍などの武器が主だったそれまでの戦い方は変わっていきました。ポルトガルから鉄砲が伝わったことは、本格的に南蛮貿易が始まるきっかけにもなったのです。
タバコ・葡萄酒などの嗜好品
南蛮から伝わったものには、タバコなどの嗜好品もありました。ポルトガルやスペインで作られた葡萄酒(ワイン)も、南蛮貿易によって伝わったものの一つです。
タバコが伝わった正確な年代は分かりませんが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615年)には絵画などに喫煙の記録が残っています。タバコは庶民の間にも広まり、国内でタバコの栽培が始められました。
葡萄酒が日本に持ち込まれた時期には諸説ありますが、15世紀の文献に、葡萄酒らしきものに関する記録が残っています。その後、南蛮貿易が盛んになるとともに日本に入ってくるようになったようです。
また、宣教師のフランシスコ・ザビエルが、大名に葡萄酒を献上した記録もあるといいます。
砂糖・野菜などの食品
砂糖は南蛮貿易が始まる前から、中国から少量の輸入はありましたが、薬種として使われる貴重なものでした。南蛮貿易が始まって以降は、南蛮船が中国から砂糖を運んできてくれるようになり、比較的安定した供給が見込めるようになります。
カステラや金平糖などの南蛮菓子は、甘味料として砂糖を大量に使うのが特徴です。こうした菓子に触れることで、長崎や福岡といった土地にも砂糖を使った食文化が広がりました。
今では身近な食材であるさつまいもやカボチャも、元々は南蛮から伝来したものです。カボチャを漢字で「南瓜」と書くのもその名残で、貿易によって持ち込まれた野菜や果物は他にも数多く存在します。
日本に伝来した南蛮文化「技術」「宗教」
南蛮文化の伝来によって、印刷や医療などの技術も日本に広まりました。技術はもちろん、宗教なども含めそれまでの日本にはなかった新しい文化をチェックしてみましょう。
印刷技術
宣教師のすすめにより、ヨーロッパへ天正遣欧使節が派遣され、金属の活字を利用した活版印刷技術と印刷工が日本へと持ち込まれました。グーテンベルク印刷機などが導入された後、宣教師は布教の一環として日本で印刷所を開きました。
こうして出版された印刷物には聖書など宗教的な教えの他に、イソップ物語など豊富な題材が取り上げられていたようです。
宣教師による印刷物は「キリシタン版」と呼ばれ、日本語やローマ字などのバリエーションがありました。日本人はキリスト教や西洋の文学を学ぶとともに、新しい印刷技術を獲得したのです。
医療
南蛮文化とともにポルトガルやスペインから伝わった医療は、日本では南蛮医学と呼ばれています。南蛮医学では、当時はまだ日本では一般的でなかった外科治療を行っていたのが特徴です。
宣教師の中には宣教医として医療活動を行う人も存在しており、医療は布教の手段として利用されていました。その後外科治療が発展するものの、キリスト教が禁教とされたことで南蛮医学も勢いを失ってしまいます。
また、長崎では海外に渡った職人が眼鏡細工を扱っていました。耳にかけて使う現在の眼鏡とは異なるものですが、眼鏡細工も南蛮から伝わった代表的な医療技術です。
キリスト教
イエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルは、布教活動の中で1549(天文18)年に鹿児島に到着しました。イエズス会が主に九州で布教活動を行ったことで生まれたのが、実際にキリスト教に入信する「キリシタン大名」です。
ザビエルが日本に来た背景には、ヨーロッパで起こった宗教改革の影響がありました。従来のカトリックから分裂したプロテスタントの勢力が大きくなったため、カトリックはアジアでの布教を目指したのです。
また当時のヨーロッパは、海外貿易を進める大航海時代の真っ只中にありました。そのためカトリックの修道会であったイエズス会は、アジアへの布教のため活動をスムーズに行うことが可能だったのです。
▼こちらの記事も参考に
今も残る南蛮文化とは?
400年以上前に栄えた南蛮文化ですが、現在にも残る芸術品や文化が少なくありません。日本で親しまれている美術や、身近な言葉をチェックしましょう。
南蛮屏風
南蛮屏風とは、ポルトガルやスペインとの間で行われた貿易の様子を描いた屏風のことです。貿易のためにやって来た船の様子や、イエズス会の宣教師などが描かれています。
南蛮のイメージが描かれた作品もありますが、絵の中に当時の風俗を読み取れるのがポイントです。多くの作品は16世紀末から17世紀にかけて作られており、日本の伝統的な大和絵の技法が使われています。
狩野内膳による南蛮屏風は、重要文化財にも指定されている作品です。貿易で取引されていた物品に加えて、象や馬などの珍しい動物がモチーフとして盛り込まれています。
日本語になったポルトガル語も
金平糖・パン・天ぷら・コロッケといった食べ物の名前は、ポルトガル語がそのまま定着しました。このように自国語として利用されるようになった海外の言葉を外来語といい、タバコも元はポルトガル語です。
食べ物だけでなく、南蛮貿易によって日本に持ち込まれた物品もポルトガル語の名前が使われています。ラシャやサラサなどの生地や、衣類ではカッパやジバン(襦袢)などが代表的です。
正月の遊びとして親しまれているカルタも、「カード」を意味するポルトガル語が由来となっています。洋服に付いているボタンや、南蛮貿易で伝わったガラスも同様です。
南蛮文化の影響を探してみよう
16世紀以降に日本に伝わった南蛮文化は、日本の食生活や芸術などさまざまな分野に影響を与えました。南蛮文化を伝えたのは、キリスト教の布教のため来日した宣教師や南蛮貿易の商人です。
火薬とともに武器として使われた鉄砲も、南蛮貿易が行われるようになったきっかけの一つです。さらに当時の日本にはなかった、活版印刷や外科医療などの技術も南蛮から伝わりました。
キリスト教の布教とともに南蛮貿易が行われた結果、野菜や砂糖など現在でも親しまれている食材が伝わりました。普段何気なく使っている言葉も、当時伝わったポルトガル語が元になっている場合もあります。今に残る南蛮文化からの影響を探してみるのも面白いかもしれません。
こちらの記事もおすすめ
構成・文/HugKum編集部