【私たち地方移住して子育てしてます!】長男の種子島〝宇宙留学〟と同時にコロナ禍に…その後、家族全員で移住へ。離島と東京を往き来しつつ、充実した日々!

窪田康孝さん(44歳)は、奥様とお子さん3人の5人家族。2021年3月から、東京から種子島へ家族みんなで移住して暮らし始めました。そのきっかけは、2020年4月からスタートしたご長男の種子島への山村留学と、コロナ禍による働き方の変化だったそうです。移住までの道のりと現在の暮らしぶりについて伺いました。

〝宇宙留学〟という名前に魅かれて、長男が山村留学をスタート

家族みんなで種子島への移住を決意したのは、2020年4月から長男が1年間の期限で、種子島の南種子町へ山村留学をしたのがきっかけです。

JAXA」の宇宙センターがある南種子町では、町の山村留学を〝宇宙留学〟とネーミングしていて、その名前に魅かれて、私が当時小学3年生の長男に「こういう山村留学があるらしいよ」と教えてあげたんです。当時宇宙に興味があった長男に、話題をひとつ提供するぐらいの軽い気持ちでした。

宇宙ヶ丘公園にはロケットのオブジェもあり、宇宙好きにはたまりません!

南種子町の山村留学は小中学生を対象とした1年期限のものですが、留学中に農業体験などの島の生活だけでなく「JAXA」と連携し「公益財団法人 日本宇宙少年団」の分団に所属して、課外活動をしたり宇宙に関する学習体験をするといったイベントに申し込んで参加することもできました。

そうした留学制度の内容を伝えたところ、長男が「おもしろそうだから留学したい」と言って、自分から進んで宇宙留学へ応募をしたのです。

宇宙留学には、「里親留学」「家族留学」「親戚留学」の3種類があるのですが、長男はひとりで1年間、町が指定した里親の家にホームステイしながら暮らす「里親留学」へ応募しました。

また、留学制度の募集の告知には「先着順を原則として選考」とありましたが、応募の際には、親の留学への志望動機や、本人の作文を提出することが必要でした。

ロケットの水揚げシーンも間近で見られます!

その結果、スムーズに内定となりまして、2020年4月から長男の山村留学が決まりました。内定後、里親さんと島の学校の先生とは、電話でご挨拶をさせていただきましたが、私も妻も、そして長男も楽観的だからでしょうか、山村留学への不安はありませんでしたので、留学前に島を訪れたりはしませんでした。

ひとりで宇宙留学を始めた長男のタイヨーくん

コロナ禍で、留学中の体験がほとんど何もできない1年に…。親の仕事の仕方の変化もあって、家族で移住を決意

長男の山村留学に関しては、親としてあまり心配はしていませんでした。もともと外交的な子どもで、良くも悪くも鈍感力のある子だったんですよね。留学をしてからも予想通りで、ホームシックにもかかることもなく、環境の変化にも適応して現地の人たちとも和やかに交流していたようです(笑)。

しかし、2020年の初頭から新型コロナウイルスが流行し始めました。そんななか3月に種子島へ渡ったのですが、新年度が始まってからも本来そこで楽しめるはずだったイベントは軒並みなくなってしまい、長男は外に出かけることもままならず、種子島を楽しめないまま1年が過ぎようとしていました。

長女のいろはちゃん

コロナ禍の終わりは見えない中で、東京に残った下の子どもたち(長女・小1、次男・年少)も外でほとんど遊べません。それならば、種子島なら東京よりのびのび過ごせるし、東京以外の世界や価値観があることを体感させてあげられるよい機会じゃないかと、次第に私も妻も思うようになっていきました。

また、コロナ禍で私の仕事はほとんどオンラインで済ませられるようになりましたし、妻は司会の仕事をしていたのですが、コロナでほぼ仕事が無くなっていました。私と妻の仕事にそのような変化があったことも、移住を決意する大きな理由になりました。

次男のいっちゃん

それに加えて、「このまま東京に帰るのはいやだ」と年末に長男が一時帰宅したときに漏らしていたこともとても理解できたので、より移住に気持ちが傾いていきました。

それで、「じゃあ、いっそのこと家族で種子島へ行っちゃおうか」という話になったんですよ(笑)。下の子どもたちに島への引っ越しを話しましたら、みんな大賛成で、年明けすぐに家族で種子島への移住の準備を始めました。

 

長男のガイド役で島での生活はとても快適です!

家族での移住は、当初は1年間期限の予定でした。そのため、東京の家は残したまま、島での家を探し始めました。島にはほぼ不動産会社はありませんでしたので、家探しは人づてで探さなければなりませんでした。

通常であれば不動産会社の少ない島での家探しは苦労するものですが、わが家は長男が1年間島に滞在していたおかげで、最初から島の方々がいろいろとお世話をしてくださり、幸いあまり苦労せずに一軒家を借りることができました。

子どもたちの転園や転校手続きもスムーズにできまして、2021年3月、長男の島の学校の終業式への出席を目指して、家族で種子島へ移住しました。

 

現在は東京と種子島の2拠点生活。親子のふれあいが多くなりました

移住から現在までの3年間は、楽しくてあっという間に時間が経った気がしています。当初は1年間のみのつもりでしたが、子どもたちが「まだ帰りたくない」と言っていまして、帰るタイミングを考えながら、現在に至っています。

わが家は長男のおかげで、移住当初から「〇〇ちゃんのパパとママ」だという認識で、皆さんに声をかけていただけていましたが、南種子町は、宇宙留学制度の関係で住民が移住者の受け入れに慣れていることもあって、すぐに馴染むことができたのだと思います。

また、島の商店やレストランなども、長男がほとんど教えてくれたので、知っておきたい生活に必要な情報にもあまり困りませんでした。

ただ、台風になると物資が乏しくなるんですよね。携帯の電波が入らない場所も多くて、ネット工事などに時間がかかるなどの不自由さはあります。

でも、それも慣れですね。インフラ的な不自由さはありますが、島の人たちはみな親切で、困った人は助けるという精神性を強く感じます。

子どもたちが作ったてるてる坊主がにぎやかです

現在は、子どもたちは島で生活をしていますが、僕と妻は東京と島を行き来しつつの2拠点生活をしています。どちらかが交代で東京へ行き、東京の家に滞在しながらまとめて仕事をこなしては、島へ帰るという形です。

町のイベントで司会をする妻・恵美さん

妻はフリーランスで、司会やナレーションの仕事をしているんです。ですから、仕事が多くなる秋などの繁忙期には2,3カ月は東京に滞在して仕事をしています。そのあいだ、僕はワンオペで子育てをしています。

「パパひとりで大変じゃない?」とよく言われますが、でも、私は子育てが全く苦じゃないんですよね。結婚当初から妻が司会の仕事をしていましたので、長男が生まれたときから、日常的に週末は、僕がひとりで子どもの面倒をみているというのがデフォルトでした。

むしろ、いまは東京にいたときより、子どもとふれあう時間が増えてうれしいくらいなんです。子どもたちが学校から帰ってきたときに「おかえり」と言えるのは、この生活だからこそできることだと思います。

離れていてもzoomで親子の時間を過ごします
お姉ちゃんが弟くんに勉強を教えています

それは妻も同じでして、移住するまでは、週末に子どもと接する時間が持てないことに悩んでいたのですが、いまの生活をスタートしてからは、島にいる間は子どもたちと触れ合える時間がたっぷりできて、本当に喜んでいます。

家族みんなでロケットの打ち上げを間近で大迫力で見たことや、地面に大の字に親子5人で寝転んで、広大な夜空に降りそそぐ流星群を観たことは、今でも忘れられない思い出です。

休日を家族そろって過ごすことができるように。近くの海でカヤックも楽しめます

 

薩摩ならではの「郷中教育」を体験。自然の中で子どもたちはのびのびと育っています

子どもたちは、皆、大自然にふれながらのびのびと育っています。野菜が食べられるようになったり、家事をみんなでやるようになったのは、移住がもたらしてくれた良かった点です。

また、地域の人たちが皆、知り合いで、みんなで子どもたちを見守っていてくれるんです。だから、地域の大人の方たちとの関係性も、東京にいたときより深くなりました。

島の方にいただいた夏野菜

大きな変化を感じたのは、長女の性格です。以前は内弁慶で、人前で話すのがあまり得意でなかったのですが、現在は臆せずに人前で話せるようになりました。子どもたちが通う小学校は1クラスが4~5人で、東京より圧倒的に少人数なんです。そのぶん触れ合い方も密になって、緊張しないで話せるようになったんじゃないでしょうか。彼女にとっては、いい成長になったと思います。

また、「薩摩の郷中教育」というものにも感銘を受けました。

「郷中教育」とは、元は薩摩藩士の教育法で、地域の年上の子どもが、血縁を超えて年下の子どもの面倒をみるというものなのですが、長女のダンス教室の発表会で、それを目の当たりにして驚きました。大人の助けなしに、中高生が当たり前のように幼児の面倒をみていたんですよね。周囲の大人たちも、そうした気風を当然として受け止めて、見守っていました。

種子島では、自分より年上の知り合いを「〇〇兄ちゃん」「〇〇姉ちゃん」と呼ぶのですが、それは子どもの頃だけでなく大人になってもそう呼び続ける風習が残っています。

素敵な気風だと思いますね。こうした人と人とのつながりで、社会が成り立っていることが多いということを子どもたちが体験できたのは、移住したからこそできたことだと思います。

 

現在は子どもの教育を念頭に、帰京のタイミングを考慮中。

2023年に、子どもたちは長男が中学1年生、長女が小学4年生、次男が小学1年生になりました。

子どもや先生、ご近所の方たちと信頼をおいて人と深く密に関われるこの環境は、とても素晴らしい環境だと感じています。

友人(写真両脇)と一緒に屋久島旅行へ

ただ、子どもたちの教育を考えますと、島には高校が2校しかなくて、学校の選択肢が極端に少なくなることもあり、親としては、現在、東京に戻るタイミングを考えています。

もともと東京に家を残したまま、期限付きの移住のつもりでしたので、長男が中学生になるときに、東京へ戻ることも考えたのですよね。でも、下の子どもたちが「島にまだいたい」と言うのと、長男と進学先の学校を探していた際に、全寮制の中高一貫校に魅力を感じて受験したところ合格したので、長男以外は引き続き種子島での生活が続いている次第です。

 

長男の進学した学校を見て、長女も「長男と同じ学校へ行きたい」などと言っていまして、そうなると「次男はどうするか」というのも気になっています。

何度も言うようですが、私も妻も、子どもたちも島の環境はとても気に入っているんですよね。でも、親としては子どもたちには、広い視野をもっと身につけてほしいんです。

サーフィン体験にて。サーフボードに乗る前の講習の1シーン

種子島での生活を体験してみて、私も妻も「どこでも、なんとでも暮らしていけるんじゃないか」と自信が持てたので、「新たな場所で暮らしてみるのもいいかもしれない」とも思っているんですよね(笑)。

東京と種子島を行き来するなかで、子どもたちには「行こうと思えばどこでも行ける」「外にはいろんな世界が広がっている」ということは、感じてもらえているとは思うのですが……。これからどうするかという結論は、今のところまだ出ていません。

どの写真もいつもプライベートビーチになる島での暮らしは、とても贅沢な環境

移住先に過度な期待は禁物。子どもの受験勉強は親がみる覚悟が必要です

これから移住を考えている方にアドバイスがあるとしたら、「移住する場所に過度な期待をしない」ということですね。

インフラや便利なサービスは整っていないのが当たり前だ、というぐらいに思っていたほうがいいと思います。期待をするから、失望したり、不満になったりする。それより、その土地に適応するほうへ力を注いだほうが、有益だと思います。

移住をしようか、あれこれ悩んでいるなら、「行けばなんとかなる」という精神で、まず実行してみることをお勧めします。

ちょっと探せば虫もいっぱい捕まえられる自然豊かな毎日です

あとは、子どもの受験勉強は、ある程度、親が面倒をみる覚悟が必要だということですね。

移住先が離島だったからだというのが大きいと思いますが、島では受験用の学習塾はありませんでしたので、私が長男の受験勉強をサポートしていました。

また、オンラインで隔週ですが、学習塾の講座も受講していました。長男にとっては受験をする仲間ができたのは、意義があったように感じました。中学受験をする子どもは近所にいませんでしたので、受験仲間と交流することで、受験へのモチベーションを維持できたと感じています。

 

●南種子町宇宙留学制度についての詳細はこちら>>

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取材・構成/山津京子

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