中1で不登校になった息子・優が中2で突然学校に復帰!高校はN高を選び、楽しく学んだものの、大学入学で大トラブルが…【不登校の理由がわかりません|後編】

中学1年生で不登校になったつばめさんの息子、優くん。学校に行きたくない理由が自分でも分からず、先の見えない毎日につばめさんは泣き暮らしていました。
それでも、優くんとの毎日を前進させようとするつばめさん。一家の暮らしはどう変わっていったのでしょうか。

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突然学校に復帰

中1の6月から不登校が始まった優でしたが、気づけば3学期になっていました。私は優の居場所を用意したいと思い、フリースクールを探して見学に行き始めていました。

ところが、中学2年生が始まった4月。優は突然、元の中学校に通い始めたのです。親の心配をよそに、自分で考えて決めていたようです。週に1~2回休みながら、というペースではありましたが、学校に通えるようになったことは大きな進歩でした。

私自身が心の平和を取り戻せた考え方

不登校が始まったころは泣き暮らしていた私ですが、時間が経つにつれ、優に集中する気持ちを手放せるようになっていました。「優のゴールは学校に行くことではなく、生きること。生きてさえいればそれでいい」。そう思うことでずいぶんとラクになりました。息子を変えるよりも、自分が変わる方が早かったのですね。

ふっきれたのは夫の方が早かったです。夫はこれまで順風満帆だったのに突然難病になり、一時はズボンを履くことすらできなくなりました。人生、ままならないことがあると実感したのでしょう。不登校になった優に、夫はずっと優しく接していました。そんな夫の姿を見ていたからこそ、私もふっきれようと思えたのだと思います。

こんな風に、マイペースで2年生を無事に通い切り、高校受験を考える時期がやってきました。

不登校からの高校受験。N高に進学

高校受験には内申点が必要となりますが、不登校の期間は評価不可能ということで「1」もつけてはもらえません。先生からは「公立高校は難しいですね」と言われ、私立高校を勧められました。私は優が入れそうな私立を検討しましたが、肝心の本人は高校選びに気持ちが向いていない様子。

その頃、N高ができて間もない時期でした。N高は、生徒が学びたいことを主体的に学べる通信教育がメインの学校。不登校の子だけでなく、Eスポーツをやっている子や、プログラミングを学ぶために入学する子、当時は有名なオリンピック選手の子も通っていました。気になって何度か面談に行くと、優が「ここでいい」と言うので、N高に通うことに決めました。通信だけでなく、通学のコースもあったので、優は週5で通うコースを選択。当時の校舎は代々木にあるビルの中で、学校というよりは予備校のような印象を受けました。

学校に着くとそれぞれがパソコンを開き、通信制の授業が行われます。最初は「友達は作れなさそう」と言っていた優ですが、2~3カ月経つ頃には仲の良い友達ができ、学校が楽しくなっていったようです。席が決まっていないので、なんとなく似ている子同士が集まり、それぞれが勉強をして、帰っていく。大学に近い雰囲気かもしれません。優にとっては、学校の中に押し付ける力がないのは合っていました。

また、N高にも部活動がありました。人気だったのは株部です。文字通り株の学習をする部で、最初に学校側が20万円を資金として提供してくれ、損をしても返さなくても良いという仕組み。人気が集中したため優は入部ができませんでしたが、そこから株に興味を持ち、自分で勉強するようになりました。

大学の入学資金を前借りしたい

株に詳しくなった優は、あるとき「大学の入学資金を前借りしたい」と言い出しました。自分はこういう計画でお金を増やすので、そのお金を管理しながら大学にも通う、という主張です。

株に関して、かなり専門的に勉強をしていた優は、アルバイトをしなくても自分が使う分のお金を生み出せていましたし、夫に株の知識をレクチャーをしているほどでした。

私たち夫婦は、優の大学資金として400万円ほど用意していましたが、何度も話し合い、優に任せてみることにしました。

晴れてスタートした大学生活のハズが…

優は1年浪人をしたのち、明治大学の経済学部に合格しました。既にお金を渡していたので手続きも自ら行い、晴れて大学生活がスタートしました。

そんなある日、夫から「ちょっと、外を歩こう」と言われました。そんな誘いを受けたことがないので、離婚でも切り出されるのかと思いましたね(苦笑)。

歩き出すと夫は「ビックリしないで聞いて欲しい。そして、今から話すことはまだ口外しないで欲しい」と言うのです。ドキドキしながら先を待つと「実はね、優は学費を溶かしちゃったんだ。明治大学にも通っていないんだよ」。

私はその場から動けなくなりました。

「溶かす」とは、株や資産を氷のように溶かして失ってしまうという意味。預けた400万円のうちのほとんどが、溶けてなくなっていたのです。

優は、隠していたことを、夫に打ち明けたのでした。言われてみればおかしな点はありました。節約をしている感じでしたし、通学の定期を用意するように言ってもなかなか行かないし…。明治大学に合格したのは事実でしたが、お金がなくて諦めたと言うのです。「言ってくれたらよかったのに…かき集めれば、出せない額ではなかったに…」ふっきれたと思っていた私も、また深いところに突き落とされました。

打ち明けたとき、優は「悪かった」と言ってすごく泣いたそうです。そのとき夫は「貸したこちらにも責任があったし、追わなかった責任もある。そんな思いをさせて悪かったね」と謝ったと言います。優にとって信頼できる父親がいたことは、救いだなと思いました。夫も当然ショックだったと思います。でも、常に前を向いて優と家族を支えてくれる夫がいたからこそ、私も立ち直ることができました。

子どもは天からの預かりもの

現在、優は中央大学法学部 通信制の2年生です。優との距離を一定に保っている私は、今も勉強や学校のことなどを細かく聞いてはいませんが、ときどき司法試験の資料が送られてくるので、将来のために資格を取ろうと考えているのかもしれません。

不登校のとき、親は一刻も早く解決したいと思ってしまいます。でも、優のようになぜ学校に行きたくないかが分からない子もいます。小さい頃からニオイや音に敏感で、感受性の高かった優にとって、学校は色々なことが気になって過ごしにくい場所だったのかもしれません。また、私からの期待が強すぎて「自分はその期待に応えられない」と伝えたかったのかもしれません。

よく、子どもは「天からの授かりもの」と言いますが、私は「天からのかりもの」だと思っています。子どもは親の所有物ではないし、親の思うようにはなりません。それが分かってから、私たち親子はお互いにラクに過ごせるようになりました。

もし今悩んでいるご家庭があれば、こんな親子がいたと、頭の片隅に思い出してもらえたら幸いです。

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イラスト/MAI TANAKA  取材・文/HugKum編集部

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