2025年は生誕180周年「チャイコフスキー」ってどんな人だった? 音楽の特徴や楽しみ方をクラシック初心者向けに解説

2025年に生誕180周年を迎えるチャイコフスキー。彼がどんな音楽家なのか、特色や功績を分かりやすく解説します。また、チャイコフスキーの人間関係や人生も簡単に見ていきましょう。

チャイコフスキーの音楽家としての評価

チャイコフスキーを知る上で、まず気になるのは音楽家としての評価かもしれません。チャイコフスキーがどのような作曲家なのか、世界的な評価はどうなのかを紹介します。

ロシアを代表するロマン派の作曲家

チャイコフスキー(1840~1893年)は、ロシアの作曲家で、フルネームはピョートル・イリイチ・チャイコフスキーです。チャイコフスキーのバレエ音楽や交響曲・協奏曲は、世界的に高い評価を受けています。

チャイコフスキー Wikimedia Commons(PD)

一般的に、19世紀初め~20世紀初めごろのクラシック音楽をロマン派と呼び、チャイコフスキー音楽もロマン派に含まれます。

それより前に盛んだった古典派音楽は、整然とした形式の美しさを重視していました。一方ロマン派は、より個人的な感情を表現する傾向があります。

チャイコフスキーの曲も、美しいメロディによって愛や喜び、悲しみなどを表現する、複雑さと繊細さが特徴です。

幅広いジャンルで名曲を残している

チャイコフスキーは、幅広いジャンルで音楽的才能を示しました。作曲したジャンルはオペラ・交響曲・協奏曲・バレエ音楽・管弦楽曲・室内楽曲・ピアノ曲などです。それぞれの代表曲をいくつか紹介しましょう。

●オペラ:「エフゲニー・オネーギン」「オルレアンの少女」
●交響曲:交響曲第6番ロ短調「悲愴」、交響曲第1番ト短調「冬の日の幻想」
●協奏曲:ヴァイオリン協奏曲ニ長調、ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
●バレエ音楽:「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」
●管弦楽曲:弦楽セレナードハ長調、大序曲「1812年」
●室内楽曲:「なつかしい土地の思い出」
●ピアノ曲:ピアノ小品集「四季」

人気曲も多く、音楽会でもたびたび演奏されます。特に、チャイコフスキーの三大バレエと呼ばれる「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」は有名です。

チャイコフスキーのサイン

チャイコフスキー音楽の特徴

チャイコフスキーの音楽家像が見えてきたら、次に気になるのは音楽的特徴ではないでしょうか。他のクラシック曲とどう違うのか、チャイコフスキーのオリジナリティを説明します。

感情に訴えるメロディの美しさ

チャイコフスキー音楽で目立つのは、流れるように美しく、耳に残りやすいメロディです。

よく聞くとメロディ自体はシンプルで、同じメロディを複数の楽器で奏でることにより、厚みとバリエーションを作り出しています。楽器の組み合わせ方とハーモニーも絶妙です。

表現される感情は振れ幅が大きく、時に華やかに、時にもの悲しく奏でられます。心に訴えるメロディの美しさやドラマチックな展開は、音楽に詳しくない人でも分かりやすく楽しめるでしょう。

ロシア音楽の影響を受けつつ、西洋音楽と融合させた

チャイコフスキー音楽のもう一つの特徴は、ロシア音楽と西洋音楽を調和させているところです。

チャイコフスキーが生きた19世紀ごろ、ロマン派音楽が発展する中で、ナショナリズムを背景にした国民楽派が生まれました。

国民楽派とは、作曲活動に自国の民族音楽や文化などを積極的に取り入れた人々のことです。ロシアでは「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家グループが有名です。

チャイコフスキーもロシア音楽の影響を強く受けています。しかし、ロシア的要素を西洋的な音楽理論に落とし込んだ点に、国民楽派との違いがあります。

チャイコフスキーはどんな人生を送ったのか?

モスクワ近郊のクリンにある、晩年のチャイコフスキーの住居。現在は博物館となっている

数々の名曲を世に残したチャイコフスキーは、どんな人生を送った人だったのでしょうか。どのようにして音楽人生を歩むことになったのか、印象的なエピソードなどを紹介します。

初めは法務省の役人を目指した

1840年5月7日、チャイコフスキーはウラル地方のボトキンスクに生まれます。父親は下級貴族の鉱山技師で、また鉱山地区の監督官でもありました。

音楽家の家系ではなかったものの、チャイコフスキーは鋭い音楽的感受性を持つ子どもだったといいます。5歳から習ったピアノは、すぐに家庭教師を追い越すほどの腕前でした。

しかし両親の希望によって、10歳のとき、サンクトペテルブルクの法律学校予科に入学します。そのまま本科に進み、法務省の役人を目指すことになります。

本格的に音楽の道に入ったのは20代

チャイコフスキーが音楽にのめり込み始めたのは、14歳のときに母親が亡くなったショックがきっかけだといわれます。

そのころから彼は音楽に救いを求めるかのように、R・キュンディンガーにピアノと音楽理論を学びます。19歳となった1859年には法律学校を卒業し、法務省の役人に就職しても、音楽家になる道を捨てきれませんでした。

1861年には法務省で働きながら、ロシア音楽協会の開設した音楽教室に参加します。翌年、この教室はサンクトペテルブルク音楽院になり、1863年には法務省を辞職して音楽の勉強に専念します。

音楽の教師をしながら作曲活動

1865~1866年ごろ、チャイコフスキーは音楽院を優秀な成績で卒業し、新しく開校したモスクワ音楽院の教師になります。教師時代には、院長のN・ルビンシュテインをはじめ、チャイコフスキーに大きな影響を与えた人々と出会いました。

国民楽派の「ロシア5人組」とも交流し、この時代に作曲された曲にはロシア音楽の影響が強く見られます。

この頃に作曲された代表作には、幻想的序曲「ロミオとジュリエット」、歌曲「ただ憧れを知る人だけが」、交響曲第2番などがあります。

モスクワ音楽院。パリ音楽院、ジュリアード音楽院と並ぶ世界三大音楽院のひとつ Photo by A.Savin, FAL, Wikimedia Commons

晩年まで精力的に音楽活動を行う

1878年、チャイコフスキーはモスクワ音楽院を退職し、作曲活動に専念します。しばらくは、ロシアの避暑地とヨーロッパを行ったり来たりする放浪生活を送っていました。

チャイコフスキーは絶え間なく作曲し続け、晩年近くにもバレエ音楽「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」、交響曲第6番「悲愴」などの大作を発表しています。

チャイコフスキーが亡くなったのは1893年で、交響曲第6番「悲愴」を初演した9日後でした。死因はコレラとされていますが、同性愛者というスキャンダルを恐れた自殺という説もあり、はっきりしていません。

チャイコフスキーにまつわるエピソード

チャイコフスキーの有名な女性エピソードである、フォン・メック夫人や妻のアントニーナ・ミルコーワとの関係などを見て行きます。裏話を知れば、音楽の聞こえ方も変わるかもしれません。

チャイコフスキーを支えたフォン・メック夫人

チャイコフスキーが副業をせず、作曲活動に専念できるようになったのは、フォン・メック夫人というパトロンのおかげです。

ナジェジダ・フォン・メック Wikimedia Commons(PD)

裕福な夫人は1876年から約14年間、チャイコフスキーを経済的に支えましたが、直接会ったことはありませんでした。

二人は文通もしていて、1,200通以上の手紙をやり取りしたとされます。チャイコフスキーは、手紙の中で悩みや罪悪感を打ち明け、精神的にも頼っていたことがうかがえます。フォン・メック夫人は、チャイコフスキーにとって特別な存在でした。

かつての教え子と結婚、そして破局

1877年、37歳のとき、チャイコフスキーはアントニーナ・ミルコーワという元教え子から熱烈なラブレターをもらいます。彼は悩んだ末に結婚を決意しましたが、結婚生活は約2カ月半と短いものでした。

破綻の理由は、彼女がヒステリックで無神経だったからとも、チャイコフスキーは同性愛者で、女性を精神的にしか愛せなかったためだともいわれます。

チャイコフスキーとアントニーナ・ミルコーワ Wikimedia Commons(PD)

アントニーナによれば、この頃作曲されたオペラ「エフゲニー・オネーギン」の主人公とヒロインは、二人の関係そのままだといいます。

結局、チャイコフスキーは精神的に追い詰められて、自殺未遂を起こしました。そして、弟に連れられてヨーロッパへ逃げた後、妻とは二度と会いません。

チャイコフスキーは離婚を申し出ますが、調停は失敗します。戸籍上は死ぬまで夫婦であり、チャイコフスキーは妻に仕送りを続けました。

酷評もされたチャイコフスキー作品

チャイコフスキーの曲には、今でこそ高く評価されていますが、作った当時は酷評されたものもあります。

1875年にできた「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調」は、モスクワ音楽院院長で名ピアニストのN・ルビンシュテインから「演奏できない曲」と批判されました。

1881年に初演された「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」は、当時最も優れたヴァイオリニストといわれたレオポルド・アウアーに、やはり演奏できない曲だと初演を拒否されてしまいます。

バレエ音楽「白鳥の湖」さえ、生前は評価されなかったという説があります。全ての楽曲は後に高く評価されましたが、もし酷評を受けたチャイコフスキーが発表を諦めたら、現在まで残っていなかったかもしれません。

チャイコフスキー音楽を楽しむ

チャイコフスキー音楽を楽しみたいと思った人向けに、バレエ音楽「くるみ割り人形」「白鳥の湖」、ピアノ小品集「四季」の聞こどころを解説します。

バレエ音楽「くるみ割り人形」

バレエ「くるみ割り人形」第2幕 グラン・パ・ド・ドゥ Photo by Gabriel Saldana, CC-継承 2.0, Wikimedia Commons

バレエ音楽「くるみ割り人形」は、チャイコフスキー音楽の傾向が分かりやすく味わえます。単純なメロディを、絶妙な和音と楽器のバリエーションで聞かせる特徴がよく出ています。

「くるみ割り人形」は、クリスマス・イブに少女クララが、くるみ割り人形と一緒におとぎの国を回るファンタジックな作品です。完成し初演されたのは1892年で、チャイコフスキーの晩年でした。

音楽もかわいらしいものが多く、「花のワルツ」「金平糖の精の踊り」が有名です。

バレエ音楽「白鳥の湖」

クラシックバレエといえば、真っ先に「白鳥の湖」を思い浮かべる人も多いでしょう。

「白鳥の湖」は、白鳥になる呪いをかけられたオデット姫と、彼女に恋したジークフリート王子をめぐる、ロマンチックなストーリーです。

チャイコフスキーは、それまで素朴だったバレエ音楽を交響曲並みにしました。登場人物の心情とリンクしたメロディは、胸が締め付けられるような切なさや嵐のような爆発などが表現されています。

第2幕の初めに流れる「情景」「4羽の白鳥の踊り」「ワルツ」が代表的です。

バレエ「白鳥の湖」第2幕  4羽の白鳥の踊り Photo by Miomir Polzović – Serbian National Theatre, CC-継承 3.0, Wikimedia Commons

ロシアの風景を描いたピアノ小品集「四季」

チャイコフスキーの「四季」は全部で12曲あり、一年を通したロシアの季節や暮らしをテーマにしています。

1曲が各月に対応しており、例えば1月の「炉端にて」は、田舎のおばあさんが暖炉の側で物思いに沈んでいる様子を表した曲です。1875~76年にかけて、月刊誌「ヌーヴェリスト」に載せるために作られました。

シンプルなピアノ曲は、チャイコフスキーのベースとなっているロシア音楽の雰囲気を味わいやすいでしょう。

親しみやすく奥が深いチャイコフスキー

チャイコフスキー音楽の分かりやすい魅力は、美しく口ずさみやすいメロディや、絶妙なハーモニーです。クラシック初心者にも親しみやすいといえます。

また、聞いているうちに、チャイコフスキーの持つ繊細な感情のひだや、西洋とは異なるロシア的な音楽性にも引かれるかもしれません。

この機会に、親子でチャイコフスキーの音楽会や、バレエ「くるみ割り人形」「白鳥の湖」を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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構成・文/HugKum編集部

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