教育と訳されるeducationの語源はeduce。「能力や可能性を引き出す」という意味です。本来の意味を知る福沢諭吉はeducationを「発育」とすべきと主張したそう。この連載では、教える側ではなく学ぶ側を主体とした発育をコンセプトに、最先端の教育事情を紹介します。
新型コロナの感染拡大にあたり「家にいろ。自分と大切な人の命を守れ。SFCの教員はオンラインで最高の授業をする」というメッセージを、いちはやく学生に届けたことで知られる慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)。次世代を担うユニークな人材を多数輩出する同校ですが、その力はどのように育まれるのでしょうか?
多くの社会起業家を輩出する慶應SFCで育まれる力
1990年に開設した慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)。日本で初めてAO入試(Admissions Office の略。学力だけでなく多面的、総合的に評価する自由応募入試。現・総合型選抜)を導入したように、いち早く大学改革に挑んできたことでも知られます。学力ではない力で選抜をするにあたり、学生のどの力を重視しているのでしょうか。2019年、45歳の若さで環境情報学部学部長に就任した脇田玲先生に伺いました。
「これはSFCの特徴ですが、学生に一般的な学力だけを求めているわけではありません。算術やロジック、言語など近代に重視される能力だけでなく、アート的な思考や空間を把握する能力、対人的な能力など人間的な多様な能力を見たいと考えています。AIが進化している今、そういった力こそ人間ならではの知能と考えるべきでしょう。SFCには、インテリジェンスとは何かを幅広く捉えようという根源があります」
「多様性」のもつ強み
現在、年4回のAO入試を実施しているSFC。コロナで話題になった9月入学も開講当初から実施しています。筆記試験で数値化できる一般選抜は合否を点数で判断できますが、総合的な力を評価することは教員側にとっても難しい作業です。
「SFCではあえて入試を多様化しています。入試の多様化によって、人材の多様化を担保しているという状況です。それは、コミュニティには多様な人材が必要だと考えているから。生き物の進化は、環境の変化によってそれにたまたま適応した種が生き延びたという積み重ねです。いろいろな種類がいた中で、環境に適応した個体が生き延び、他のものが滅びたというだけのこと。ということは、いろいろな考えや能力を持つ人がいるというのが、生物学的にはいちばん強いといえます。この自然界の強さをキャンパスの強さに変換すると、多様な人材がいるということになると考えています」
いかに人と違うか。「特異性」という価値観
実際、SFCの卒業生は経営者や起業家、アーティストとして、さまざまな分野で活躍しています。学生たちはどんなカリキュラムを学ぶのでしょうか?
「SFCでは、授業は最低限の必修以外、自由に選択ができるので同じ学部でも勉強する科目はバラバラです。もともと学科という境界がなく、専門性を極める研究もありつつ、教員も学生もそれを横断した活動を行っているため、あらゆる分野を串刺しする、あるいは越境することができます。そうして自分とまったく違う研究テーマや価値観をもった人たちと共に過ごす中で、人は違って当たり前という意識をもつのです。私自身もそうですが、小・中・高と、学年や学力、エリアなど共通点の多い友人環境で育ってきた人ほど、SFCに入ると世界の見方が大きく変わります。
これからは、いかに人と違うかということが価値を持っていく時代だと感じています。普遍的な知識はもちろん大切ですが、そのベースがあったうえで、いかに人と違うか。普遍性と特異性の両方をもつ人がこれからの時代に必要だと感じています。それを意識して自己プロデュースができるかどうかは、社会に出たときに非常に重要です」
楽しんで好きなことをする子がいちばん強い
脇田さんは、変動性が大きく、先の見えない社会が続いている今、人がつくったルールの中で最適化して行動する力ではなく、ルール違反と思うようなことも含め広い枠組みで物事を考え、新しい答えを見出し、自分で考えて行動できる人が求められていると言います。
「人と違う特異性が武器になることを考えると、”こういう人が優秀”という型があるわけではありません。最初から飛び抜けた子もいるし、コツコツ頑張る子も、人間関係でうまく切り抜けていく子もいます。その中でも、大学の研究室を見ていると、好きなことをひたすらやっている子は強い。自分の好きなことをやっていて、その中で深い専門性を身につけていきます。SFCは人と違うことを強みと考え、自己肯定ができる子をたくさん育てようとしています」
アーティストとしても活躍する脇田さんは、学校というのは自分のやりたいことを見つける場所だと語ります。「小学校から大学までに好きなことを見つけるというくらい、ゆるやかな時間軸でいいでは?」とも。
「初等教育は、基礎的な学びをおろそかにすることはできませんが、今の日本で圧倒的に不足しているのが、好きなことに没頭させるという学びです。これまでは、テストで良い点をとるシステムの中で生きられる人をひたすら育てていましたが、いちばん大事なのは、好きなことをがむしゃらにやらせること。初等教育でその時間や環境があれば、中等教育やその先で専門的な知識を興味をもって学ぶことができます。
親の役割は子どもの特異性を伸ばすこと
「親は、子どもが好きに没頭しているのをじゃましないことが大切だと思います。ついつい口や手を出したくなってしまいますが、自分でやらせて失敗させる中で好きなことに気づかせる。中学、高校になって、難しい歴史の本を読んだり、フランス語で資料を読んだりといった、親が引いてしまうくらいの知識を持つようになったら、しめたもの。親の役割があるとすれば、人と違うことを許容し、その違いをさらに研ぎ澄ますようにサポートすることではないでしょうか」
多くの社会起業家を輩出する慶応SFCならではの、「育成」のヒントがうかがえます。
お話をうかがったのは…
脇田 玲 さん
慶應義塾大学環境情報学部学部長 教授。科学と現代美術を横断するアーティストとして、数値計算に基づくシミュレーションを駆使し、映像、インスタレーション、ライブ活動を展開している。ArsElectronica Center、 Mutek、 WRO Art Center、 清春芸術村、 日本科学未来館などで作品を展示。2016年からは小室哲哉とのコラボレーション・プロジェクトとして Ars ElectronicaFestival や RedBull Music Festival で作品を発表。
「発育のススメ」は『小学一年生』別冊HugKumにて連載中です。
記事監修
1925年の創刊以来、豊かな世の中の実現を目指し、子どもの健やかな成長をサポートしてきた児童学習雑誌『小学一年生』。コンセプトは「未来をつくる“好き”を育む」。毎号、各界の第一線で活躍する有識者・クリエイターに関わっていただき、子ども達各々が自身の無限の可能性に気づき、各々の才能を伸ばすきっかけとなる誌面作りを心掛けています。時代に即した上質な知育学習記事・付録を掲載しています。
『小学一年生』2020年10月号 別冊HugKum 写真/小田駿一、写真AC 構成・文/山本章子