「何のために」を忘れた学校
工藤先生は、千代田区立麹町中学校の校長だった2014年から2020年にかけて、宿題・定期テスト・固定担任制などそれまで学校教育の現場で「当たり前」とされていたことを次々と廃止し、大きな話題を呼びました。松丸さんはそれらをどう感じていますか。
松丸 工藤先生の本を読んで、僕が学生時代にすごくストレスに感じていたことや、なんでこうなんだろうと疑問に思っていたことが、すべて論理的に改善されていて、驚きました。
工藤 ありがとうございます。
松丸 そのなかでも「そうそう!」と強く共感したのは、「定期試験の廃止」です。定期試験について「瞬間最大風速を測るものにしかなっていない」と書いてらっしゃるのを見て、まさに! と納得しました。僕は中学高校時代、定期試験が嫌いだったんですよ。そのときだけの一発勝負で点数が決まって順位を付けられるのは、理不尽だなと思っていました。
工藤 そうですよね。学校でテストをする目的は何かと考えれば、わかることです。テストは、学んだことが生徒に定着しているかを計る指標です。瞬間最大風速を測っても、意味がない。むしろ一夜漬けの悪しき習慣を生んでいるかもしれません。麴町中学では、定期試験を廃止して、単元テストを導入しました。単元ごとに、間違ったところ・理解が足りないところを生徒に自覚してもらい、そこを学び直してもらうために、単元テストは再挑戦もできるようにしたんです。
松丸 その時にできなくても、間違ったところを復習して、次にできるようにすることが圧倒的に大事ですよね。定期試験のような一発勝負のテストで、その点が前回より上がったか、下がったかなんて、どうでもいい。単元も違うし、コンディションも違うんですから。
工藤 まさに「何のために」を忘れて、なんとなくこれがいいと思っていることをやっているだけなんですよ。今の学校には、目的と手段をはき違えていることがたくさんあります。
松丸 僕が小学生の時、「シャーペンを使うと字が汚くなるから使っちゃダメ」というルールがありました。僕はそれが納得いかなくて、校長室に行って、鉛筆とシャーペンで字を書いた紙を見せて、どっちの方がきれいですかと聞きました。そしたら校長先生は、シャーペンのほうを指して、こっちだと言う。それで、「僕はシャーペンで書いた方がきれいに書けるんですけど、鉛筆じゃないときれいに書けないって誰が言っているんですか?」と直談判したんです。ただ「ルールだから守れ」と言われたら議論にならないし、納得もできないですよね。
工藤 私が教師に就いたばかりの頃も、学校で同じことを言っていたんですよ。私自身もシャーペン派だったから、鉛筆じゃなきゃダメって言う先生の気持ちがまったくわからなかった。意味不明なルールを押し付けられている子どもたちを見て、学校って理不尽なところだなと思っていました。
プレゼンとナゾトキは似ている
工藤 授業でも、こんなシーンがよく見られます。例えば、授業で生徒にプレゼンをさせるとします。その時に、日本の学校は、なんとなく一般的に優れたプレゼンを見せてそれを習わせようとする。それに似たプレゼンをした生徒を先生は褒めるわけですが、そのプレゼンを見た人が感動するかというと、感動しないんですよ。なんでかと言ったら、プレゼンって本来、聞く人が誰かによってやり方を変えるべきじゃないですか。
松丸 確かにそうですね。
工藤 プレゼンの場合、目的は「自分が伝えたいことを相手に理解してもらうこと」ですよね。そのためには誰が対象で、その対象に理解してもらうためにどう工夫をするのかを考えなきゃいけない。相手によってはもっと簡単な言葉を使おうとか、言葉の選び方も変わるし、どんなビジュアルを使うかも変わるでしょう。その目的がどこかに行ってしまって、なんとなく一般的に優れているとされるプレゼンを真似て、それが先生に評価されてしまうのが今の教育です。
松丸 プレゼンの話は、ナゾトキにも通じますね。僕らがイベントを開催する時には、どういう問題を作るか、どういうオチにするか、どういうストーリーにするか、どういう伏線を張るかを考えますが、すべては、そのときその場に来ているお客さんに楽しんでもらうための仕掛けです。
工藤 プレゼンと松丸さんのナゾトキはすごく似ていると思います。私がプレゼンをする時は、自分の話に興味がなさそうな人、好意的に聞かない人をイメージして、その人に楽しんでもらうためにはどうするかを考えるんですよ。どうやったらその人の心が動くだろうという発想で言葉を選ぶし、話の順番も決めていきます。本当はそういう教育をしなきゃいけないんです。それをしないで、伝わらないのは相手に理解力がないからだ、とか言ってしまう人を育ててしまっている。
手段が目的化している授業やテスト
工藤 同じように手段が目的になってしまっている例が、学校には溢れています。日本はいまだにテストや大学受験で電卓を使えません。でも、海外では許可されています。なぜかというと、数学は論理的に物事を考える習慣をつけるための学習で、計算技能を高めるのが目的ではないからです。先ほどのシャーペンと鉛筆の話もそうですが、手段が目的化することでおかしな縛りが生まれている日本で、挫折感を味わっている子どもはたくさんいると思います。
松丸 電卓NGで、ひたすら手計算で解く。冷静に考えると、そのテストで何を試されているのかと疑問がわきますし、本来の目的とずれている気がしますよね。
工藤 目的を達成するための手段であったはずなのに、いつの間にか、それをやることが目的になってしまう。人間にはそういうことがよく起こるんだということを知っておくことが大事です。そこに常に疑問を感じて、いつでも原点に立ち返る。その習慣をつけておくことが、自分の生き方を変えるし、組織や社会が抱えている課題を解決することにもつながると思います。
松丸 それは、本当に大切なことですね。
工藤 私は数学の教師で、若い頃は授業をプレゼンのようにとらえていたから、勉強ができる生徒にも苦手な生徒にも楽しんでもらう授業をするにはどうしたらいいかと考えていました。でも、そのうちに、目的からずれていると感じました。私が考える学校の目的は「ひとりひとりの可能性を引き上げて、自律した子どもを育てること」です。全員の数学の点数を上げることではなく、子どもたちが夢中になれることに出会うきっかけを作ったり、子どもたちが自律することの方がずっと大事だと気づきました。
松丸 数学ができなくてもいいから、自分の好きなことを見つけてほしいという数学の先生って、すごく珍しいと思います。工藤先生みたいな先生に教わってみたかったですね。
工藤 そもそもこれ何のためだっけ? と疑問に思う人間がそこらじゅうに増えないと、とくにこれからの時代、日本は太刀打ちできなくなるかもしれません。松丸さんのような考え方をできる子どもを増やさないといけないと思います。
▶︎つづきはこちら「目標の実現のために、とことん「対話」をする教育を」
取材・文/川内イオ 写真/五十嵐美弥(本誌) ヘアメイク(松丸)/大室愛 スタイリング(松丸)/飯村友梨
プロフィール
プロフィール
東京大学に入学後、謎解きサークルの代表として団体を急成長させ、イベント・放送・ゲーム・書籍・教育など、様々な分野で一大ブームを巻き起こしている”謎解き”の仕掛け人。現在は東大発の謎解きクリエイター集団RIDDLER(株)を立ち上げ、仲間とともに様々なメディアに謎解きを仕掛けている。監修書籍に、『東大ナゾトレ』シリーズ(扶桑社)、『東大松丸式ナゾトキスクール』『東大松丸式 名探偵コナンナゾトキ探偵団』(小学館)『頭をつかう新習慣! ナゾときタイム』(NHK出版)、など多数の謎解き本を手がける。
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