ギリシャ文明とは、いつ、どこで生まれたもの?
「ローマ文明」と並んで有名な「ギリシャ文明」とは、どのような文明だったのでしょうか。ギリシャ文明が誕生した時代背景や、特徴について解説します。
古代ギリシャ人が生み出した文明
ギリシャは、地中海の東部に位置しており、東南ヨーロッパにあるバルカン半島の南端にあります(下地図参照)。エーゲ海やイオニア海に接していて、小さな島が多いことから観光地としても有名です。
ギリシャ最大の島であるクレタ島を中心に、紀元前3000年頃に栄えたとされるのが「エーゲ文明」です。エーゲ海を挟んで小アジアと接していたことから、ギリシャ文明は、アジアの影響を受けながら発展しました。
エーゲ文明が起こってから紀元前ローマに支配されるまでの期間を、「古代ギリシャ時代」と呼ぶのが一般的です。ただ、区分けには諸説あり、エーゲ文明の後に生まれた「ポリス社会」が成立してから滅びるまでを古代ギリシャと考える説もあります。
古代ギリシャと、ギリシャ文明の歴史
古代ギリシャでは、エーゲ文明やポリスなど、さまざまな文明が栄えました。ギリシャ文明が生まれてから、ローマの支配下に置かれるまでの流れを見ていきましょう。
ギリシャ文明の始まり
紀元前の古代ギリシャに起こったとされる、最も古い文明をエーゲ文明と呼びます。初期のエーゲ文明は、エーゲ海の南部に位置するクレタ島で発展したため、「クレタ文明」と呼ばれるのが特徴です。
クレタ文明は、バルカン半島から南下してきたアカイア人によって、紀元前1400年頃に滅ぼされたとされています。その後、文明の中心はクレタ島から、ペロポネソス半島のミケーネへと移ったのです。
出土した粘土板から、クレタ文明と次に栄えたミケーネ文明では、異なる線文字が使われていたことが明らかになりました。クレタ島に「クノッソス宮殿」があるように、ペロポネソス半島は「ミケーネ遺跡」の存在で知られています。
都市国家・ポリスの成立
エーゲ文明が滅亡した後、ギリシャ各地にポリスと呼ばれる都市国家が発展しました。現在も都市の名前が残っているアテネや、「スパルタ教育」で知られるスパルタなどが、代表的なポリスです。
紀元前800年頃になると、ギリシャ民族と呼ばれる人たちが、まとまって同じ場所に住むようになりました。彼らは小さなポリスを形成して、貿易や工業などを行ったのです。
アテネなどの大規模なポリスでは、富裕層が誕生し、貴族たちが中心となって政治を行いました。スパルタでは、自ら小麦などの穀物を育てていたため、貿易を必要としなかったそうです。
ペルシア戦争の勃発と、ギリシャ文明の最盛期
古代ギリシャでの代表的な戦争といえば、ペルシア帝国とポリス連合との間で起こった「ペルシア戦争」です。現在のイランを中心としたペルシア帝国は、専制政治を行っており、アジアで強大な勢力を誇っていました。
ペルシア帝国の植民地であったイオニアの反乱をきっかけに、ペルシア戦争が始まります。ギリシャのポリスが、イオニアへを援助したことから、ペルシア帝国は報復としてギリシャ遠征を行ったのです。
50年にわたって4度の戦いを繰り広げたポリス連合は、ペルシア帝国に勝利しました。専制政治を行うペルシア帝国に勝利したこともあり、ギリシャの民主的な政治は、この時期にピークをむかえたのです。
ポリスの衰退により、ギリシャがローマの支配下に
ポリスはペルシア戦争での勝利で最盛期をむかえますが、アテネでは、次第に民主政治が衰退していきました。アテネでの混乱やポリス同士での対立などもあり、ポリスは勢いを失っていったのです。
紀元前338年には「カイロネイアの戦い」が起こり、ポリス連合は、ギリシャ北部の「マケドニア王国」に敗れます。ギリシャ全土を支配したマケドニアの「アレクサンドロス大王」は、東方への遠征を行ったことでも有名です。
アレクサンドロス大王の死後、マケドニアという名前になったギリシャは、ローマによって滅ぼされます。紀元前146年には、ギリシャ全土がローマの支配下に置かれたのです。
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ギリシャ文明の文化
ギリシャ文明で栄えた文化としては、「ギリシャ神話」が特に有名です。そのほか、アジアの影響を受けた「ヘレニズム文化」など、ギリシャならではの文化について紹介します。
多くの神々を信仰
ギリシャ文明では、原初の神々が大地や天などの世界をつくり、ほかの神々を次々に生み出したと考えられています。ギリシャ本土やエーゲ海、地中海沿岸などで口伝(くでん)されてきたのが、有名なギリシャ神話です。
ドラマチックな展開と、登場する神々のキャラクターが魅力的なギリシャ神話は、現在の日本でも親しまれています。
オリュンポスの神々を支配する最高神ゼウスやその正妻のヘラなど、ギリシャ神話には、個性豊かな神々が登場します。星座にまつわるエピソードも多いため、星が好きな人も興味を持ちやすいのが特徴です。
オリエント文化との融合
ギリシャを支配下に置いたマケドニア王国のアレクサンドロス大王は、東方への遠征を行いました。それをきっかけとして、ギリシャ文化は、現在のエジプトや西アジアなどの地域にも広まっていったのです。
エジプトやメソポタミアなど、大きな河川の周辺に広がった農耕文化をオリエント文化といいます。オリエント文化はギリシャ文化に大きな影響を与え、二つの文化が融合して生まれたのが「ヘレニズム文化」です。
ギリシャ人が異なる文化を持つ相手の存在に気付いたことは、その後の哲学の発展につながりました。東洋と西洋の文化が混ざり合ったヘレニズム文化は、ローマがエジプトを支配するまで発展したのです。
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世界遺産に登録されたギリシャ文明の遺跡
現在も残るギリシャ文明の遺跡には、世界遺産に登録されているものもあります。観光地でもあるギリシャの、有名な遺跡をチェックしましょう。
アテネのアクロポリス
古代ギリシャのなかでも大規模なポリスであったアテネには、数々の歴史的な建物が残っています。特に有名なのは「アクロポリス」です。アクロポリスとは「高い丘の上の都市」を意味しており、要塞(ようさい)としての役割を担っていました。
「アテネのアクロポリス」として世界遺産に登録されたものには、「パルテノン神殿」も含まれています。パルテノン神殿は、かつて戦争で大破したものの、現在も修復作業が続いています。
大理石でできた柱が印象的な神殿など、ギリシャ文明の壮大なスケールを感じさせる場所です。パルテノン神殿のほかにも、女神像が並ぶ「エレクティオン神殿」など、数多くの見どころが存在します。
オリンピアの古代遺跡
オリンピアは、現在も続いているオリンピックの起源としても知られています。オリンピアは、ギリシャ神話の神・ゼウスの聖地であり、古代オリンピックとはゼウスに捧げる祭典でもあったのです。
オリンピア遺跡には、闘技場である「パラエストラ」や、陸上用のトラックがある競技場の「スタディオン」などが存在します。オリンピックで使われる聖火を採火する、「ヘラ神殿」も有名です。
ヘラ神殿は、ゼウスの正妻であるヘラにちなんで名付けられています。当時のオリンピックの光景がよみがえるような、迫力のある遺跡群が楽しめる世界遺産です。
デルフィの古代遺跡
パルナッソス連山のふもとに位置するデルフィは、古代ギリシャにおいて、世界の中心にあたると考えられていました。太陽神アポロンによる神託が行われていた聖域としても有名です。
神託の場であった「アポロン神殿」は土台しか残っていないものの、「大地のヘソ」と呼ばれる石が博物館に展示されています。豊かな自然を背景に遺跡を眺められる、雄大な景観も魅力です。
古代ギリシャでは、神殿を守護していた蛇・ピュートーンを祀(まつ)った「ピューティア祭」が開催されていました。当時使われていた野外劇場も、美しいスポットのひとつです。
ロマンの詰まったギリシャ文明
古代ギリシャで発展したギリシャ文明は、クレタ島を中心に始まりました。エーゲ文明と呼ばれる初期の文明が滅んだ後に、ポリスと呼ばれる都市国家が誕生したのです。
ポリス連合はペルシア帝国との戦いを制したものの、その後はマケドニア王国に敗れました。そのマケドニア王国もローマに敗北し、ギリシャ全土はローマの支配下に置かれたのです。
ギリシャは海に面した国であり、アジアにも近かったことから、オリエント文化の影響を受けてヘレニズム文化が生まれました。ギリシャ神話や歴史的な遺跡など、ロマンの詰まったギリシャ文明を学んでみてはいかがですか。
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構成・文/HugKum編集部