出口治明さんは京都大学卒業後、58歳まで大手生命保険会社に勤め、退社後ライフネット生命保険株式会社を創業、70歳で現職である立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任しました。
ところが学長就任2期目が始まってまもない2021年に脳卒中を発症し、身体麻痺などの後遺症に見舞われつつも、なんとリハビリを経た一年後には現職に復帰。
そのバイタリティ溢れる生き方はAPUの学生だけでなく、「人生をどう生きるか」「人は何をどう学ぶのか」の問いを発するすべての人に感銘を与えています。
「知識」と「考える力」があったから絶望しなかった
※ここからは『なぜ学ぶのか』(出口治明・著/小学館 YouthBooks)の一部から引用・再構成しています。
ある日突然病気で倒れ、右半身が不自由になる。会話や食事も思うようにならない。大好きだった読書や旅行もこれまでのようには楽しめなくなりました。本を読むのも、以前の3倍の時間がかかります。
そんな状況を見て、なぜ絶望することなく復帰に向けてリハビリを続けられたのか聞かれることもあります。けれども実際のところ、僕自身は淡々としていました。
それは、僕が人並外れた精神力を持っていたからではありません。これまで学んできた経験から、知識の大切さを知っていたから、そして考える力があったからだと思います。
具体的には、自分の病気に対して正しい知識を持つ。そして、データ(数字)・ファクト(事実)・ロジック(論理)を正しく使うことです。
「なぜ学ぶのか」と聞かれたら
なぜ学ぶのか。そう聞かれたら、僕は「人生をより面白く生きるためです」とこたえます。
「疑う」ために学ぶ
福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、「西洋の文明が発展したのは、すべて『疑うこと』の一点から出ている」と述べています。
16世紀にニコラウス・コペルニクスが地動説を発表し、17世紀にガリレオ・ガリレイが太陽黒点や金星の満ち欠けを観察して分析した結果、太陽のまわりを地球をはじめとする惑星が回っているのだということがわかりました。
周囲の人たちがそれまで疑いなく信じていた「常識」を、「ちょっと待てよ」「本当にそうなんだろうか?」と疑うことで、いつの時代もイノベーションを生み出す偉人たちが現れました。
なぜ常識を疑うことができたのでしょうか。それは学んでいたからです。「みんなが言っているから」「昔から言い伝えられてきたから」という言葉に納得せず、獲得した知識をもとに、自分の頭で考え続けたからです。
人間は生まれた時から、さまざまな常識を刷り込まれます。「男は男らしく、女は女らしく」「大企業に入社して、定年まで勤め上げるのがよいことだ」などです。
そうした常識の多くは、社会生活をスムーズに運営していくために生み出されたものです。しかし時代は絶えず変化しています。昨日の常識は今日の常識ではないかもしれません。江戸時代には、男性はちょんまげを結うのがあたりまえでしたが、いまの時代にちょんまげを結っていたら、おすもうさんでもない限り、ちょっとびっくりされるでしょう。
常識というのは、時代が変われば古びていくバイアス(思いこみ、偏考)です。長期的な視座に立って、何が本質なのか自分の頭で考えて、常識を疑ってみることが、これからの時代を生きていくためにいっそう大事な力になっていきます。
「自由になる」ために学ぶ
リベラルアーツという言葉を知っていますか?
日本では「教養」と訳されることが多いようですが、リベラルアーツというのは、もともと「人を自由にする技芸」という意味です。ギリシャ・ローマ時代に自由7科とされた科目、つまり文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の7科目のことでした。この自由7科は、奴隷ではなく自由な人間として生きていくために必要な学問だとされていたのです。
いまの時代で言うなら、リベラルアーツは人文科学・自然科学・社会科学に置き換えられるでしょう。こうした知識を学び、自分の頭で考えることで、人の言うなりに使われるのではなく、自由に生きていくことができる。「人は学ぶことで自由になれる」のです。
少し前ですが、「無党派層は選挙に行かないで、家で寝ていてほしい」と発言した政治家がいて、問題になったことがありました。特定の党を支持していない人が選挙に行かなければ、自分たちが当選しやすくなります。選挙に行くことは国民の権利ですが、そんなことはしないで家で寝ていてほしいという本心が出てしまったのでしょう。
権力者が人々を操ろうとするとき、「無知は力」となります。自分の頭で物事の本質を考えようとせず、政府やメディアの言うことを鵜呑みにして動く人々は、為政者にとっては支配しやすい存在です。
逆に、人々が意思を持って生きようとするとき、「知識は力」となります。自分で考える力と正しい情報があれば、「えらい人が言っているから、言うことを聞きなさい」「みんながやっているのだから合わせなさい」などと言われても、恐れずに自分の考えを貫くことができるのです。
知識がないばかりに権力者に振り回されたり、いやいやブラック企業にしがみついて生きていかなければならないのは、あまり楽しいことではありません。それよりも自分の頭で考えて自由に生きていく方が、よほど面白いのではないでしょうか。このことがわからず、無機質な暗記や詰め込み教育の結果、勉強嫌いになってしまう人がいるのは、残念なことです。
「人生の選択肢を増やす」ために学ぶ
5教科も勉強しなくてもいいと思う人もいるかもしれません。将来、英語を使う仕事につきたいわけでもないし、石油から発電する仕組みを知らなくても、スイッチを入れればちゃんと電気は使えます。読み書きと足し算引き算ができれば生きていけるから、それで十分だと思う人もいるかもしれません。それでもかまわないと思います。
ただ、学ぶということは自分の選択肢を広げることです。
いま、みなさんがスキー場にいるとします。雪質もコンディションも最高のゲレンデです。そしてみなさんはスキー1級の免許を持っています。楽しみ方は2つあります。思いきりスキーを楽しんでもいいし、そのへんに寝転がって、スキーをする人たちをぼーっと見ていてもいい。みなさんは、どちらが楽しいと思うでしょうか。
スキーの技術を身につけていれば、スキー場に行ったとき、どちらの楽しみ方がいいか、自分で選ぶことができます。今日は元気だからガンガンすべろうとか、昨日すべりすぎて疲れちゃったから、今日はのんびり眺めていようかなというふうにです。これはスキーに限ったことではありません。
何かを勉強するということは、自分の人生の選択肢を増やすということです。何かひとつでも学べば選択肢が増えます。選択肢の多い人生の方が楽しいと僕は思うのです。
人間なんて、いいかげんな生き物ですから、将来、気持ちなんかどう変わるかわかりません。だったら、とりあえず学んでみる。そうすることで、将来の選択肢がひとつ増えるかもしれない。僕はそういうスタンスを取っています。
「生きるための武器」を得るために学ぶ
人の一生は、どんなに長くても百年ちょっとです。王様でも一般人でも一日は24時間しかありません。同じように平等に与えられた時間の中で、目にする情報量は、それほど大きく変わらないでしょう。しかし、学ぶことによって、目の前の世界が何十倍、いえ何千倍、何万倍にも広がっていきます。
選択肢が増えるということは、〝武器〟が増えるということです。スキルや知識があれば、思わぬところで窮地を脱することができることもあります。
でも、どんな能力が役に立つかということは、そのときになってみないと誰にもわかりません。ですから、いま興味あることや好きなことを、ひとつひとつ勉強していけばいいのです。
※以上、『なぜ学ぶのか』(出口治明・著/小学館 YouthBooks)から引用・再構成
どのように学ぶのか、何を身に付けるのか
出口さんは「なぜ学ぶのか」を上記のようにすっきりと整理してくれたあと、「どのように学ぶのか」「考える力とは」といった問いにも明快な解答とヒントを与えてくれています。
「どのように学ぶか」
・「人」「本」「旅」から学ぶ
・若い頃から専門家に聞く習慣をつける
・古典の良さと、古典の毒に触れる
・インプットだけでなくアウトプットを
・まずは「型」から学び、「失敗」から発展させよ
身に付けるべき「考える力」とは
・「データ」「ファクト」「ロジック」で考える
・「エピソード」と「エビデンス」を区別する
・「タテ・ヨコ思想」で空間軸と歴史軸、両面からアプローチする
これらの示唆に富んだ「学び」へのフレームワークはもちろん、「世界を変えるのは無分別な人」などの金言にあふれた出口さんの著書は、予測不可能なこれからの時代を生きる若者や、彼らを育むHugKumファミリー世代には必見です。
常識を疑ってください。
そのために学び、自分の頭で考えてみてください。
空気など読まずに、自分の思うようにやってみてください。
ただ一度の人生を悔いなく、わがままに過ごしてください。
「変人たれ」
この言葉を、もう一度お贈りしたいと思います。『なぜ学ぶのか』(出口治明・著/小学館 YouthBooks)・末文より
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「常識を疑い、「無分別」な未来に挑戦せよ!」
58歳で起業。ライフネット生命保険株式会社創業者。70歳で立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任した著者が、「人・本・旅」から学ぶ極意を詳細なエピソードと共に綴る、未来を創る世代への熱いメッセージ!
著者:出口
構成/HugKum編集部