日本の子どもの読解力は本当に上がったのか。PISAの結果15位→3位をどう考える?

子どもの「国語力」「読解力」について考えるシリーズ記事。今回は最新の「PISA国際学力テスト」の結果から、日本の子どもたちの読解力事情ついて考察します。
執筆/伊藤氏貴(明治大学教授/文芸評論家)

PISA(学習到達度調査)で読解力が15位から3位に大躍進

〈PISAで読解力が15位から3位に大躍進〉というニュースがありました。PISAとは、OECD参加国の15歳を対象とした、読解、数学、科学の3分野にわたる3年に1度の学習到達度調査のことです。

この中で日本は、数学、科学の2分野ではつねにトップ層に入りつづけてきましたが、読解力は2000年の第1回で8位となんとかトップ10には入ったものの、つづく2003年では14位に落ち、教育関係者を落胆させました。これがいわゆる「PISAショック」というものです。

これを契機にさまざまな対策が練られてきました。高校の国語の指導要領も大きく変わり、大学入学共通テストも以前のセンター試験から様変わりしました。これもPISAショックの影響によるものです。

今回の3位というのは、これまでの最高位であり、これも文科省をはじめとする各方面の努力の賜物だとすれば、日本の子どもたちの読解力は安心だ、と胸をなでおろせるかもしれません。ですが本当にそうでしょうか。こうした一見喜ばしいニュースに軽々に踊らされないためにも「読解力」が必要です。

先に2つの論点を示しておきたいと思います。

1.今回のPISAの結果をどう「読む」べきなのか。
2.子どもたちの「読解力」はこれで安心と言えるのか。

 PISAの結果をどう「読む」べきか

最近「エビデンス」ということばをよく聞きます。

「その話にはエビデンスがあるんですか?」などと、日常会話ですら使われるようになってきました。

ですが、「エビデンス」がほんとうに「エビデンス」として機能するかどうかは、実は難しい問題です。数字は嘘をつかない、としばしば言われますが、使い方次第で意味は変わるものです。

PISAの結果に関しても、まさしくそれが順位という数字であるがために、根拠のあるものとして大きく扱われてきました。PISAショックにしても、今回のめでたい3位についても同様です。

ただし、グラフを見ればわかるとおり、これまでPISAの読解力は順位の乱高下を繰り返してきました。PISA向けの対策が2003年から着実に行われてきたとすれば、2012年から2回続けて下落したという結果は説明がつきません。

ですから、今回の躍進も「15位から3位へ」という数字自体に偽りはないものの、それだけを「エビデンス」として「読解力の向上」を「読む」ことはできません。2012年にも4位という好成績でした。そこから再び下落したのです。

また、ちなみに前回の調査で1位だった中国は、コロナの影響で今回参加していません。さらに、今回の調査では、参加国全体の平均点が下がっています。順位は上がったとしても、それは日本の「読解力の向上」を意味するのではなく、たんに他の国々が下がっただけなのかもしれません。

複雑な背景や状況の変化に注意すべき

数字はたしかに重要な根拠になりえますが、それを真の「エビデンス」とするには、たとえば「8位から14位へ」とか「15位から3位へ」とかいう一回限りの事象でなく、前後の長い文脈に目を広げることも必要です。

また、たとえ「3位」であったとしても、「前回の1位が今回は不参加」というような背景を知ることも重要になってきます。前回日本が15位に終わったことの原因にも、新たに試験に導入された機器の扱いに日本の子どもが慣れていなかったためではないか、という本質的でない要素も挙げられています。

では、今回の結果を私自身はどう捉えるのかと尋ねられるとすれば、恥ずかしながら「わからない」と正直に答えるよりほかありません。

ただ、もう少し正確に言えば「今回の急上昇だけで何かを語るべきではない」となるでしょう。一度の上昇では「傾向」とまで言い切れませんし、また背景となる事象が複雑すぎます

そしてさらに言えば、こうしたPISAの順位の乱高下にあまり過敏になる必要はないと思います。

PISAの「読解力」とは

そもそもPISAの「読解力」(正確には「読解リテラシー」)とはどういうものでしょうか。

日本の「国語」でいう長文読解だけでなく、複数の資料から必要な情報を抜き出すことや、それに基づいて自分の考えを述べるところまでが含まれます。これは、生活していくうえで「読む」ことを必要とする具体的場面を想定して作られたものです。

日本は、長文読解は悪くないものの、複数の情報からの情報処理は少し低く、自分の考えを述べる設問はさらに低いという傾向がありました。意見論述は白紙答案が多くを占めていたのです。

このうち、前者に関しては、形式への不馴れがあると思います。(ただしこれは「エビデンス」に基づくというより、私自身が教師としてこれまで子どもたちに接してきた経験則からにすぎませんが)。多少の練習をとおしてコツさえ摑めば、それほど怖れることはありません。

「読解」のあとの「意見」が苦手な国民性

一方、もう一つの、自分の考えを述べる、ということはいわゆる「読解力」を超えているように思えるかもしれませんが、文章を読み、そこから根拠をもって考えをまとめることは、広い意味での「読解」に含まれるということなのでしょう。

そして、この意見論述へのためらいは何とかしなければならない問題です。これは一朝一夕にどうなるものではないでしょう。国民性も関係しています。

私は以前、予備校で帰国子女だけのクラスをながらく担当していました。そこでは「国語」ではなく「日本語」という授業でしたが、普通の長文読解の授業でも、生徒たちはあててもいないのに勝手にしゃべりはじめます。授業内容に関係ない私語ではなく、あくまで文章に対する自分の意見です。それを受けとりながら、最終的に妥当な「読み」へとまとめていく作業は大変楽しいものでした。

日本の普通の教室ならば、生徒の表情を見ながらどこまで理解しているかを探らねばなりませんし、指名してもあたりさわりのない回答をするばかりで、大胆な意見は滅多にでてきません。もちろんこれは遺伝子の問題ではなく、育った環境の違いです。

PISAを含め、「読解力」の問題ではあくまで言える意見の範囲も決まっているのですが、普段から自分のことばで何かを言ったり書いたりする機会がないと、こうした問題すら白紙答案になってしまいます。

たんなる好き嫌いでなく、「なぜそう言えるのか」という根拠をきちんと示したうえで自分の意見を言う。これが日本で育った子どもの不得意とするところです。これ以上深くは立ち入ることができませんが、そこには反論への恐怖があります。自分の意見を否定されることが、自分自身を否定されることだと思ってしまいがちなのです。

今回のPISAの結果の内訳はまだわかりませんが、おそらく改善されてはいても、意見論述の問題はあまりできていなかったのではないかと推察されます。順位の乱高下に関係なく、この点はよく考えていかなければなりません。

子どもたちの「読解力」はこれで安心と言えるのか

より詳しい結果が出るまでは正確なことは言えませんが、もし今回PISAの順位が上がったとしても、それが情報処理の部分の点数が上がっただけで、意見論述で白紙が多いようであれば、到底安心とは言えないでしょう。

複数の資料から必要な情報を見つけ出してまとめるという作業はAIに任せておけばよいという時代がすぐそこまで来ています。

一方、意見を言うということに関しては、SNSなどを通じて誰もが簡単に発信できるようになってきましたが、むしろこれは「読解力」という点ではマイナスに作用していると思われます。

先ほど、「日本で育った子どもは自分の意見を言うのが苦手だ」と言ったことに反するのではと思われたかもしれませんが、彼らも匿名ならば、あるいは許し合ったクローズドの関係ならば好き勝手に意見を言います。そうではなく、公に自分をさらし、根拠に基づいて意見を言う、ということが苦手なのです。

SNSの「言いっぱなし」「論破がかっこいい」という風潮が危険

考えたことを素直に披露するためには、お互いに相手の意図を汲んであげようという姿勢が必要です。一方、SNSで飛び交うことばは短く表層的で、それを受け取る側も相手の意図などはなから気にせず、自分の好き嫌いで反応します。これできちんと意見を言いあう力が身に着くはずはありません。

そもそも意見を言う最大の目的は、よりよい結論あるいは合意に到達することです。それを勘違いして、ともかく一度言った意見を通すために相手を論破するのがかっこいいとするような風潮も、真の意味での国語力にはマイナスです。

自分の意見をよりよいものに磨き上げるためにも、相手の話を聞く、他人の書いた文章を読むことが必要です。それはすばやい情報処理ではなく、じっくりと傾聴・熟読することで可能になります。

スピードや効率ばかりが求められる今、その意味での「読解力」は、依然として、あるいは前にもまして、安心どころか非常に危うい、と思っています。

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記事執筆

伊藤氏貴(いとううじたか)|明治大学文学部教授・文芸評論家
昭和43年生まれ。都内私立中・高一貫校の英語教師、大手予備校の現代文講師などを経て、現在に至る。中学、高校の国語教科書の編集委員を務める。著書に『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』『国語読解力「奇跡のドリル」小学校1・2年』『教育論の新常識 格差・学力・政策・未来』(共著)などがある。

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