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病弱だった子ども時代。いじめっ子に勝つためにフェンシングを始めた
–小学生の頃は、どのような子どもでしたか?
山田選手:ひどい喘息持ちで身体も気持ちも“か弱い男の子”という感じで、外で遊ぶよりは家の中でゲームをしているタイプでした。
習い事は母の勧めでピアノと日本舞踊をしていたのですが、スポーツをやってみたいという気持ちがあって。野球やサッカーに挑戦してみましたが、すこし動くとすぐに喘息が出てしまうのでチームから断られてしまったんです。そんな中、始めたのがフェンシングでした。
–フェンシングとの出会い、はじめたきっかけは?
山田選手:たまたま地元に教室があり、近所に住んでいたいじめっ子がフェンシングをやっていたんです。その子には、なにをやっても勝てなくて「僕もフェンシングを習って勝てるようになりたい!」というのが、きっかけです。それが小学2年生のときで、姉も一緒に通うようになりました。
パリ五輪日本代表チームのコーチを務めたサーシャとの運命的な出会い
–勉強とフェンシングの両立で苦労したことはありますか?
山田選手:中学校ではバスケ部に入りました。平日は部活、土日はフェンシング教室だったので勉強をする時間は、ほとんどありませんでしたね。
ですので、普段の授業で重要なポイントをチェックしつつ、テスト期間前の部活が休みになったときにぎゅっと詰め込んで勉強をしていました。
–フェンシングを競技としてやっていこうと決めたのは、いつですか?
山田選手:部活とフェンシングを続けていたのですが、大事な大会の時期が重なってしまうようになりました。どちらを選ぶかとなったとき、僕としてはバスケを続けたかったのですが、母はフェンシングをやらせたいという想いがあったようで。母の言うことは絶対なので(笑)フェンシングに重心をおくようになりました。
フェンシングを本気でやろうと自分で思い始めたのは中学2年生のときですね。フェンシングには3つの種目があり、僕は「フルーレ」をやっていたのですが、まあ才能がなくて勝てなかったんですよ。練習は厳しいし、勝てなくて楽しくない。何回も辞めたいなと思うことがありましたが、母が辞めさせてくれませんでした(笑)。
山田選手:中学2年生の時、気分転換に「エペ」という別の種目の試合に出てみました。すると、外国人のコーチが私の後ろに来て、「一緒にオリンピックを目指すことに決めたから、お前は今日からエペにするんだ」と言ってきたんです。それが、以来お世話になったサーシャコーチでした。
「初対面で突然なにを言っているのだろう?」と思ったのですが、どうせ勝てないのだからエペをやってみよう、と転向してから本気でフェンシングに向き合うようになりました。
その後、地元の三重県でフェンシングを続けながら、週末や夏休みに東京へ行きサーシャコーチの指導を受けていました。
–サーシャコーチとの思い出に残っているエピソードはありますか?
山田選手:サーシャと僕は、めちゃくちゃ仲が悪かったんです(笑)。海外遠征で個人戦が終った後に反省会をするのですが、サーシャがひとりずつ評価していくんですよ。それで、どんなに結果が良くても悪くてもなぜかいつも最後に僕が怒られる。中2からの付き合いでしたし、僕も思春期などでムカつくなと思う時期があって、サーシャに言い返しては喧嘩のようなことをしていました。
でもいつだったか、練習の昼休みに僕が床で寝ていたとき、サーシャが布団を持ってきて掛けてくれたことがありました。そのとき「サーシャは僕のことを息子のように思っているからこんなに厳しいのだな」と気づいて。サーシャなりの愛なのだと受け止めてからは一気に距離が縮まりました。チームのことやフェンシングのこれからなど、お互いに話すようになって。母子家庭で育った僕にとって、サーシャは父親のような存在です。
金メダリストへ導いた母のサポート
–お母さまはフェンシングを続ける中でどのようなサポートをされていましたか?
山田選手:良くも悪くも「行きなさい、続けなさい」と言い続けてくれたことですね。練習に行きたくなくてお腹が痛いなどと嘘をついても、すべて見破って、連れて行ってくれたのが何よりのサポートだと思っていて。もしあのとき「お腹痛いんだね。休もう」なんて言われてたら、僕は強くなれなかったと思います。
母子家庭なので金銭的にも大変だったと思います。海外遠征などもあり、同じくフェンシングを続けていた姉と二人分の費用を用意し続けるのは大変だろうと思い、大学時代にフェンシングをやめようと思ったことがありました。姉も強かったので、僕がフェンシングを辞め、働いて姉のサポートをしようと考えたんです。ところが、母に伝えると「私の生きる楽しみを奪わないで!」と怒られました。サポートし続けてくれた母には本当に感謝しています。
金メダリストが語る、フェンシングの魅力とは?
–フェンシングの魅力について教えてください
山田選手:フェンシングの魅力は、なんと言ってもあの一瞬の駆け引きと、突いたときの感覚がたまらないんですよ。
剣の先端には相手を突いた時にわかるようにスイッチがついていて、750グラムの力で押されると光る仕組みになっています。極めていくと指先と同じように動かせるようになるので感覚が研ぎ澄まされます。
–集中力やメンタルトレーニングで取り入れていることはありますか?
山田選手:集中力を高めるためにやってることと言えば、ゲームですかね。試合中は、緊張してる状態よりも、楽しいと思えるくらい気持ちに余裕があるときの方が良いパフォーマンスを発揮できるので、試合の合間にゲームをすることもありますよ。
メンタルのトレーニングで言えば、自分と対話をするようにしています。自分自身を客観視して、スマホのメモに気がついたことを書いて振り返っています。
子どもたちに「自分もトップアスリートになれる」と感じて欲しい
–これからの活動について教えてください
山田選手:フェンシングの魅力を多くの人に知ってもらうための活動をしていきたいです。現在、全国にフェンシングができる場所を増やすために体験会を開催していて、今後はフェンシング教室を展開していけたらいいなと思っています。
地元(三重県鳥羽市)では、小学生から中学生に向けの「山田優杯」を開催しています。せっかくなら参加者に楽しんでもらえる大会にしたいなと思い、イベントの内容は全て自分で考えています。参加した子どもたちの、友だちづくりの場にもなったら嬉しいです。
–フェンシングに向いている子の特徴などは、ありますか?
山田選手:剣やチャンバラに興味を持っている子ですね。子どもって、長い棒や剣で遊ぶのが好きだと思うので少しでも興味があれば挑戦してみてほしいですね。
フェンシングは集中力や観察力が身につくので、そういった部分を伸ばすためにもおすすめです。
-今後、挑戦したいことはありますか?
山田選手:いま一番やりたいのは、トップアスリートと子どもたちが交流できる運動会です。例えば、僕はフェンシングでは金メダルを獲ったけれど水泳は苦手で最近やっと泳げるようになったんです。トップアスリートは遠い存在のように思えるかもしれないけれど、たまたまその競技が得意だっただけで、普通の人なんだよというのを子どもたちに知ってもらう機会をつくりたいと思っています。
交流のあるさまざまな競技の選手に声を掛けて、子どもたちとチームを組み、かっこいいところだけではなくかっこ悪いところも見てもらって(笑)。トップアスリートは特別ではなく、自分も頑張ればできるかもしれないという可能性を子どもたちに感じてほしいです。
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写真/黒石あみ 取材・文/やまさきけいこ