【保育者・柴田愛子さんが語るコロナの今2】「新しい生活」?いいえ、「新しい自分」を育てていく時が訪れています

緊急事態宣言が解除されて、ホッとしたのも束の間。はたまた感染者が増加して、暑さはどんどん厳しくなるのにマスクは必須。常時、熱中症の心配もしなくてはならないような状況になって、不安感や危機感は増すばかり。4月に寄稿していただいた「愛子先生の子育てお悩み相談室」でおなじみの、自主幼稚園「りんごの木」の代表を務める柴田愛子さんに、その後の生活の変化、思いを綴っていただきました。

インターネットに追いかけられて、せっかちで貧しい人になりそうに

3、4月新型コロナウィルスの報道に熱が帯びてきたときは、ちょっと覚悟を決めた感がありました。「緊急事態宣言」になり外出を極力しないことにしたら、家の中がやけに散らかっていることに気づきました。急に降って湧いた休日気分になり、片付けや、掃除、料理にと日頃は手をかけていないことに時間を使い、睡眠時間もたっぷり。いやぁ、時間に縛られないっていうのはこんなに快適だったかしらとさえ思っていました。

「私って変化に強いかも、いつも前向き」などと鼻歌交じり、ひんしゅくではありますが、今までにない開放感さえ味わっていました。

頭の半分のコロナ不安はぬぐえないので、もう半分は児童文学や山岳サスペンスを読んだり、内容が濃いDVDを見たり、いい音楽を聴いたりしながらバランスを保っていました。

 が、すごい勢いで私を追かけてきたのは近代文明インターネットです。

仕事関係の人は新しい覚悟をしてしまったのでしょう。オンラインという近代文明怪獣が急に膨れて「相談にオンラインでのってください」「セミナーをしましょう」と、やったことのない依頼がきます。

「私、もう年寄りだから新しい事はできません」とお断りするも「できないなんて言っている場合ではありません」とお叱りまで受けて、しぶしぶ始めました。

その辺から、気ぜわしい毎日が始まってしまいました。

頭の半分はコロナ、半分はインターネットとなってきたら、バランスは最悪。時間も朝から晩まで占領されていきました。

そしたらね、どうなったと思います? よりせっかちになったんです。もともとせっかちではありますが、より早いスピードを求めるようになっちゃった。メールの返信が来ない。問い合わせに即答えない! で、腹が立つんです。で、怒りになってしまうんです。「何考えてんの!」「こっちのつもりがあるんだから、返信してよね!」ってな具合です。なんかどんどん貧しい人になっていきました。

 

みなさんもこの新型コロナになってから情報や社会の状況に振り回されながら、自分の気持ちが激しく動いていませんか? まさにトンネルに入った状態。はじめは後ろに明かりを感じるし、先の事もよくわからないからそんなに怖くはなく新しい出来事に興味さえ持った。

しかし後ろも前も真っ暗になると不安はやがて恐怖になる、ここでいままでにない自分の姿にであう方もいるでしょう。やがて、出口が見えてきたら一気に走って、暗闇から解放されるうれしさを感じるんでしょうね……。そして、出てみたら今までの景色とは全く違う感じを受けるだろうと推測します。いまは、どの辺でしょうね?

 自粛生活でストレスたまり攻撃的になったママ。異変に気づいた長男と夫が取った行動は・・・

こんな経緯を辿った家族がいました。

夫も自宅、はじめは家族5人の生活にうれしかった。けれど、毎日3回も食事を作る。いったいいつまでと思ったら、無性に腹が立ち怒ってばかり。子どもに攻撃的になっていった。

お母さんの異変に気づいた夫と子ども。4年生の男の子が「ごはん、焚いてあげる」と、1年生の妹と一緒に毎回焚いてくれるようになったそうです。ちなみに鍋で焚くそうです。するとそれがおいしくて、自分で塩をかけて食べるようになった。夫は庭にナスやトマトなどの苗を植えて、とうとう収穫にまでたどり着いた。彼女は反省をしながらも、家族ってこういうことかもと落ち着きを取り戻したそうです。

話を聞きながら、私の子どもの頃を思い出していました。5人きょうだいでしたし、今のように電化製品があったわけではなかった昭和20年代後半。母の忙しさに見かねて子ども達が「風呂たき当番表」を決めたり、家事の手助けをしたものです。この”見かねて”が大事かもしれません。家族のいい関係に繋がっていくのかもしれません。

自分を見失いそうになったら「まぁ、いいか」とあきらめましょう。家事や宿題を「やらなきゃ」と考えることを放棄していいんです

もちろん、こんないい話しばかりではありません。

「夫婦の考え方がこんなに違ったことを始めて知った! もう、夫が細かいんです。子どもに叱ってばかりで、おまけにオンライン会議でうるさいから出ていってくれと言われて子どもと散歩に出かけたり……」。腹立たしいという方は結構多かったです。

家に子どもといるのが苦しくて、子ども連れでいいという仕事を見つけた人もいます。

医療関係の人は、まったく出られない、マンション内でさえ歩けなくて息を潜めての暮らし、ズームだけが救いだったそうです。「医療従事者の方に感謝」とよく耳にしますが、家族はこんな思いをしていたのかと驚きました。

子どもがコロナを怖がって、まったく外出出来なくなってしまった。さらに、幻覚幻聴まで始まって、24時間目が離せない状態になり、心療内科に行った方もいます。子どもの心の傷を思うと、辛いです。

それぞれにいろんな心の体験をしながらここまできました。

 

そこで求められたのは自分の判断ではないでしょうか?

危機感や不安感は微妙に違う。そう、事実がわからないから感覚が研ぎ澄まされていきます。そして、少しは安心出来る方法を自分で見つけていくよりないのです。

だって、自分を守るのは、自分しかないからです。

学校に、保育園に、幼稚園に来ていいと言われても、自分がなんとなく危機感を感じるなら行かなくてもいいんです。

山ほどだされた宿題を、まるで家が学校や塾を請け負ったかのように励まなくてもいいんです。家の中がぎくしゃくしているのに、さらにいやがる子どもを特訓では親も子もかないません。あなたのこと、あなたの家のことは、もはや自分の領分なのです。

そこで自分らしさを見つけるために「まぁ、いいか」とあきらめたり、流したりすることをお勧めします。

離島状態の我が家を想像するのです。周囲に気を遣わない暮らしです。

「きょう、お風呂どうしようか?」「入らない」と子どもがいうなら「まあ、いいか」。「シャンプーしない」「まあ、いいか」。一日一回は外であそんだほうがいいらしいとの情報。「行こうか?」「いかない」まぁ、いいかといった具合です。

 

どうでもいいことに縛られて自分が見えなくなっていること、多くないですか?

つまり「まあいいか」と流せるものはあなたにとっては、本当はあまり大事に思っていないことなのです。人間、案外どうでもいいことに縛られて自分が見えなくなっていることが多いものです。今回のコロナのお陰で、大事にすることは生きていることだけと気づいたという方がいました。

その方が言っていました。私、ずっと周囲に気遣いをしながら生きてきました。

今回初めて家から出なくてもよくて、お腹空いたら食べればよくて、片づけたいときに片づけるというのが出来たんです。「ねばならない」がなくなったら、心が軽くなり羽ばたいた気がしました。新しい自分に出会えてよかったですと。もちろん、背景にそれを良しとしてくれた夫がいたんですけどね。

 「新しい生活」ではなく、「新しい自分」を育てていく機会かもしれません。

私もここで大きなステップを越えようとしています。オンラインなどによる仕事の仕方です。しっくりしないところもありますが、便利であることも確か。考えようによっては、これは体が動かなくても、寝たきりになっても口が動けば仕事が出来る。つまり、年寄りにはありがたい時代を迎えているのかもと考え始めています。どこまでやれるかはわかりませんけどね……まあ、進んでみましょう。

【保育者・柴田愛子さんが語るコロナの今】行動が不自由だからこそ、心と頭は自由でいたい
とうとう緊急事態宣言が出される事態となり、一層の緊張を強いられる日々です。先行きが読めず、きままに外にでられない日常は、殊に小さいお子さんを...

 

記事執筆

柴田愛子|保育者・自主幼稚園りんごの木代表

保育者。自主幼稚園「りんごの木」代表。子供の気持ち、保護者の気持ちによりそう保育をつづけて半世紀。小学生ママ向けの講演も人気を博している。ロングセラー絵本『けんかのきもち』(ポプラ社)、『こどものみかた』(福音館書店)、『あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます』(小学館)など、多数。親向けの最新刊に『保育歴50年!愛子さんの子育てお悩み相談室』(小学館)がある。

写真/繁延あづさ

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