奈良時代の出来事のまとめ|暮らしや政治、文学や建築についてまるっと解説【親子で歴史を学ぶ】

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平城京跡大極殿(奈良市)

 

奈良時代は、政治の仕組みや文化が目覚ましく発展した時代です。具体的にどのような特徴があったのでしょうか? 時代の始まりや主な政治の出来事を紹介します。人々の暮らし・文学・建築に関する知識も深め、子どもに話してみませんか?

奈良時代の始まりは?

奈良時代の時期については、二つの説があります。710~784年の74年間とするものと、710~794年の84年間とするものです。いずれの場合も始まりは710年です。どのように奈良時代が始まったのかを見ていきましょう。

710年、平城京へ遷都

平城宮跡に再建された朱雀門(奈良市)

 

日本初の本格的な都とされる藤原(ふじわら)京から、710年に平城(へいじょう)京へ移ったことで奈良時代が始まりました。元明(げんめい)天皇による、律令制度に基づいた天皇中心の政治が本格的にスタートしたのです。

平城京は、唐(とう)の都・長安(ちょうあん)を参考につくられた中国様式の都市です。総面積は約2500ヘクタールと広大で、都の中央部分には「朱雀大路(すざくおおじ)」と呼ばれる幅約74mの道が南北に渡ってまっすぐに敷かれていました。

碁盤の目のように区切られたこの都には、10万以上の人が住んでいたとされています。

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主な政治の出来事

奈良公園の鹿(奈良市)

 

奈良時代には、さまざまな政治における変化がありました。この時代に起こった主な出来事を紹介します。

公地公民制の崩壊

奈良時代に入ると、大化の改新(645年)により定められた、土地と人民の全ては天皇が所有するという制度「公地公民制」が崩れていきます。

奈良時代初期の農民には、土地を所有する権利はありませんでした。朝廷から貸し与えられた口分田(くぶんでん)で作物を育て、収穫した物で税を納めていたのです。

しかし、次第に口分田を耕す人の数は減少していきました。いつまでも自分のものにならない土地を耕して税を納め続けるという生活が、人々のモチベーションを下げていたためです。さらに、人口増加による口分田の不足という問題も起こっていました。

公地公民制のままでは十分な税が得られないと判断した朝廷は、723年に「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」を発布したのです。自分で土地を開拓した場合は、3世代までその土地を所有できるというものでした。

新しい土地政策

三世一身法により3世代まで土地を所有できるようになったものの、朝廷の思惑通りにはいきませんでした。結局、3世代が過ぎれば土地を返さなければならず、土地を開拓するのに多大な労力と時間が掛かるためです。

そこで朝廷が発令したのが、自分で開拓した土地は無期限で所有できるという「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」です。農民の働くモチベーションがあがったことできちんと税を納められるようになり、朝廷の財政もある程度持ち直したとされています。

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人々の暮らしの特徴

当時の人々は、どのような暮らしをしていたのでしょうか? 生活状況に焦点を当てて解説します。

和同開珎という貨幣が流通

奈良時代になると、708年に鋳造(ちゅうぞう)された貨幣である「和同開珎(わどうかいちん)」が流通しはじめました。それまでは物々交換が主流でしたが、国内で銅が採れるようになったことで、和同開珎がたくさん造られるようになっていたのです。

秩父黒谷で採掘された自然銅が朝廷に献上され、元号を「和銅」と改め、和同開珎が造られた(埼玉県秩父市)

 

平城京にある市場では各地の産物が取り引きされており、そこで和同開珎が使われていたとされています。

朝廷は、貨幣を広く流通させるために税を貨幣で納めさせたり、貨幣を貯蓄した人は「位」を受け取れる「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」という政策を実施したりしていました。

食事や服装などの生活状況

奈良時代には、身分により食事や服装に大きな違いが出はじめました。

貴族の食事は、肉・魚・野菜など十数品もの料理が高級な漆器(しっき)などに盛られた、かなり贅沢(ぜいたく)なものだったようです。一方、庶民の食事は一汁一菜が基本で、内容も玄米ご飯・野菜・海藻の味噌汁など質素なものでした。

服装は、「衣服令」という法によって、身分や位ごとに細かく決められていました。貴族など上流階級の人は絹の着物を着ることができましたが、庶民は麻の衣服が一般的でした。

文学や建築にも注目

東大寺大仏殿(奈良市)

 

奈良時代は唐の影響を強く受けており、当時の文化は「天平(てんぴょう)文化」と呼ばれています。現代に残る歴史的な文学作品や建築物も、数多くあります。どのようなものがあるのか、具体的に見ていきましょう。

最古の歴史書や歌集

飛鳥時代に執筆が始まり、奈良時代に完成した歴史書の一つが「古事記(こじき)」です。日本列島誕生の神話などが含まれており、天皇を神の子だと示すことで国を支配しやすくする目的があったと考えられています。

六国史の一つである「日本書紀(にほんしょき)」が完成したのもこの時代です。他に、日本各地の産物や風習をまとめた「風土記(ふどき)」も編纂(へんさん)されました。

現存する日本最古の歌集とされる「万葉集」もよく知られています。天皇や貴族だけでなく庶民の歌も収められているため、当時の人々の生活や心情を知る上で貴重なものとなっています。

建築物や仏像

奈良時代の建築物といえば、有名な奈良の大仏「盧舎那仏(るしゃなぶつ)像」がある「東大寺(とうだいじ)」が挙げられます。この時代には他にも多くの寺院が建てられており、「東大寺法華堂(ほっけどう)」「正倉院(しょうそういん)宝庫」「唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂」「法隆寺(ほうりゅうじ)伝法堂」なども広く知られています。調和の取れた美しさが魅力で、いずれも国宝に指定されている貴重な建築物です。

東大寺の大仏様「盧舎那仏」(奈良市)

 

仏像も数多く制作されており、種類もさまざまです。主に興福寺(こうふくじ)「八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)」のように和紙や麻布で制作されたタイプや、東大寺の「四天王立像」など粘土で制作されたタイプがあります。いずれも、豊かな表情でバランスのよい美しさが特徴とされています。

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政治の仕組みや文化が発展した時代

奈良時代は比較的短い期間であるものの、日本の歴史に欠かせない重要な変化や発展があった時代です。

墾田永年私財法や和同開珎などによって政治の仕組みが変わり、人々の生活も大きく変化しました。歴史書や歌集が作られ、多数の寺院が建てられるなど、さまざまな文化も発展した時代といえるでしょう。

奈良時代をもっと学びたい人におすすめの本

奈良時代をもっと知りたい人のために、子ども向け、大人向けとりまぜて、おすすめの本をご紹介します。

 

総監修/山本博文 シナリオ/三条和都 まんが/大谷じろう 監/渡辺晃宏|本体780円+税

全15巻の新・歴史学習まんがシリーズ。今回発売の2巻で扱うのは、ヒミコの治めた邪馬台国のあと、日本を治めていった「倭の五王」の古墳時代の話、仏教を中心にした国作りをすすめた厩戸王(聖徳太子)の飛鳥時代の話、さらに、奈良の大仏を造った聖武天皇などの奈良時代の話などです。

 

青山剛昌,あさだみほ|小学館

過去の時代へ飛ばされた少年少女=タイムドリフターははたして、名探偵コナンの助けを借りて現代へと戻れるのか。シリーズ4巻ではこの記事で扱った奈良時代のストーリーがコナンといっしょに学べます。

 

著/関 裕二|本体740円+税

645年、乙巳の変。天皇家簒奪を狙った逆臣・蘇我入鹿が誅殺され、改革の障害が取り除かれたことで実現した大化の改新。最大の功労者は、後の天智天皇、中大兄皇子と、藤原氏の祖、中臣鎌足――。正史『日本書紀』はそう伝え、学校の教科書でもそう習いますが、はたしてそれは真実なのか。歴史の真相に迫ります。

 

著/関 裕二|本体760円+税

シリーズ第5巻では、藤原京から平城京に都が遷った8世紀の歴史を振り返ります。『万葉集』の歌の数々からあぶりだされる平城京の闇。飛鳥の都を懐かしがる人々、藤原氏に命乞いをする古豪の貴族、なにものかに怯える女帝、聖武天皇を操っていたとされる光明皇后の心情。『万葉集』は大伴氏によって編まれた「正史告発の書」と見る著者が、万葉歌を手がかりに歴史の真実に迫ります。

 

構成・文/HugKum編集部

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