小学生の「いじめ」。はじまりと親ができる対処法とは? ~脳科学者・中野信子『ヒトは「いじめ」をやめられない』に学ぶ

※この記事は『ヒトは「いじめ」をやめられない』(中野信子・著/小学館)の一部から引用・再構成しています。

子供が学校に行くようになると子供の世界はぐんと広がり、親の知らないことが多くなります。そんな中でわが子は無意識にでもいじめる側に立ってはしまわないか、そしてもしわが子がいじめられていたら、親としてどのように対応したらよいのか。あまり考えたくないことだけれど、もしその事態に陥ったときに大切なのはスピードです。予備知識を備えて損はありません。「いじめ」たくなるきっかけ、ほんの小さな「いじめ」の糸口を知って、忍び寄る「いじめ」からわが子を守りましょう。

脳科学者・中野信子さんの「いじめ」回避策を脳科学の観点から説いた7万部越えのベストセラー『ヒトは「いじめ」をやめられない』から、小学生の親として知っておきたいことをお伝えします。

「団結」という名の落とし穴

団結の意義を見直す

「団結」という言葉のイメージが良すぎるあまりに、なかなか受け入れられないことかもしれませんが、「団結」を要求しすぎることにも、一定の歯止めが必要だと思います。
これは学校そのものの存在意義にも触れてきてしまうので、さまざまな議論があり得るかと思いますが、「団結は良いことだ」と言う人も、その意義とデメリットについて、一歩立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと思います。
悩ましいのは、多くの人が、団結がいじめを生むし、愛情が強いほど攻撃的になるし、仲間を大切にすることと戦争が実はリンクしているということを認められないことです。

いじめは悪い子だけがやるものだ。だから悪い子を正せばなくなるのだと思いがちですが、人間はそもそも理想的な存在ではないということを、まず前提として受け入れなければなりません。
現在は、子供たちは教室という逃げ場のない枠組みに押し込められ、「みんなで仲良く」「みんなで力を合わせて」と要求されます。

 

学校行事が多い2学期は、集団を作る機会が増え、逸脱者があぶりだされる

これは、個性的な子供にとっては息苦しいし、より逸脱者をあぶり出すための圧力が強くなっていきます。そして、「みんなと仲良くすることが正しく」、「友達が多い子が良い子」とされることで、子供たちにとっては「ぼっち」になることは、辛く、苦しいものだという意識が植え付けられてしまうのです。

「友達がいないからといって悪いことではない」「みんなと違う考えが悪いことではない」という別の価値観を教えることがあってもよいのではないでしょうか。

そして子供たちにも、集団を作れば、考え方や行動が違う人に対して、どうしても許しがたいという気持ちが生じてしまうものなのだということを意識してもらったほうがよいと思うのです。
「いじめてはいけないよ」と教えるだけではなく、「人間というのは、本当はズルをしていない人に対しても、『ズルをしているかもしれないから懲らしめてやろう』という気持ちが生じるものなのだ。そしてそれはとても危険なことなのだ」ということを教えることは必要だろうと思うのです。

もしそうした人間の特性を知っていれば、「あの子を懲らしめてやりたい」と心が揺らいだときに、「これは強くなると危険なことになる感情なのだ」と気づかせ、より自分の感情を客観視する力を育てることができるのではないでしょうか。

 

いじめの悪意は見えにくく、止めにくい

いじめている側は「正義」を持っている

そんな思いが小さく芽生えてから、子どもたちの属する集団が邪悪な思いを持つ集団に変わってしまうことはそれほど難しいことではありません。
子供を信じないということではなく、子供はごくシンプルに「成熟していないヒト」である、という現実を認識する必要があります。

子供の脳は発達段階で、抑制が利きません。限度を知らないので、いくらいじめるなと言っても行動を止めることはほとんど不可能でしょう。
結局は、大人が見えないところで隠れてやってしまうだけです。そして、いじめをやめられない理由は、子供たちにとっていじめは楽しいことであり、いじめている側に力と正義を感じさせてくれるものだからなのです。だからこそ、これを根絶することが難しいのです。
子供のいじめの特徴として、加害者は自分たちの行為をそれほど深刻に捉えていないということが挙げられます。「きもい」「うざい」といった暴言も、何を理由にそのような言葉を使っているのか、本人たちもわからないまま「何となく」使っているのです。

そして、いじめが集団で行われるときのおぞましさは、いじめている側に正当性があると思っていることにあります。いじめる側の規範意識は高くなっており、自分たちは意地悪をしているわけではなく、みんなに迷惑をかけている人に制裁を与えているのだという意識を持っているのです。

いじめを止めようという人が現れても、「この行為をやることによって、みんながいいと感じられる状態になるのに、なぜ、おまえだけやらないのだ。この行為を止めようとするおまえがいることによって、団結が乱されるのだ」と、かえって標的にされてしまいます。こうなると、知識的には排除行為は悪いとわかっている子どもでさえ、自分たちが一度集団に入ると、自分たちの行為を止められなくなってしまうのです。

「いじめ」はいじめられている子供に止めることはできない

「いじめ」には、自分たちに従わない人は放置するという選択肢はないのです。
集団によるいじめは、一度攻撃が始まれば、誰もがその行為に正義を感じ、快感の中毒になっていきます。その過程の中で、いじめられている側、暴行を受けている側としては、自分たちの力だけでそれを回避することは容易ではありません。
これは、降っている雨を止めることと同じくらい難しいことです。

最も有効な方法は「攻撃の手が伸びないところまで逃げ切る」「親に報告する」という方法なのでしょうが、真面目な子供ほど、逃げてはいけないと思ってしまったり、保護者に心配をかけたくないと思ってしまったりして、事態は潜在化してしまいます。

 

子供に空間的に距離をおく権利を与える

攻撃したい人の衝動を「どうにか抑制できる」とは、思わないほうがよいでしょう。
あたかもそれは、甘いものが大好きな人の前にスイーツを置いておいて、食べてはいけないと言っているようなものです。
もはや本能的な行動といってもよいものなのです。蟻の巣の横に砂糖壺を置いておいて、蟻に砂糖を食うな、というようなものかもしれません。
回避策は、目の前に食べ物を置かないこと以外にありません。
いじめの被害が想定されるような状況を発見した場合には、空間的に距離をおいてしまう、離れてしまう以外ないのです。

例えば、いじめの被害を受けた子供には、学校以外の場所で学習する権利を与え、eラーニングなどを活用するという支援の方法がもっとあってもよいと思います。
最近では大学もeラーニングを活用する動きが増えていますし、将来的には必要に応じてインタラクティブ性を確保した、どこからでも、いつでも学習できる学習システムが主流になるという意見もあります。
もちろん、現在もフリースクールなどがありますが、もっと気軽に学校以外の場所で学習できる環境を用意することができればよいと思います。
ここ近年はベテラン教師の大量退職が学校現場で問題になっていますが、個人的にはそうした退職された先生方のリソースを活用することも検討してよいのではないかと思います。
子供の知能の発達には、いろいろな大人との関わりがあったほうがよいというデータもあり、子供たちにとって、学校の先生以外の大人に出会えるチャンスが増えることは、コミュニケーション力を高めることにつながります。
そもそも学校で行わなければならない学習は何だろうか、と見つめ直すいい時期なのかもしれません。

自宅学習だけでは、子ども同士のコミュニケーションを学べないという指摘があるかもしれませんが、コミュニケーションを学ぶ方法がいじめだとしたら、あまりにも過酷すぎます。時には死を覚悟してまで学ばなければならないコミュニケーションとは何なのでしょうか。
きっと、他の方法でも十分に学べる場があるはずです。

 

学校を休むといじめは酷くなるのか

いじめられた子供が学校を休んだり、他の場所に一時避難した後、また同じ学級に戻ってきたとき、加害者の子供たちはどのような反応をとるのかも気になるところです。
これは、十分に時間的、空間的距離をとった後であれば、オキシトシンというキーワードから考察すると、「よそ者」という扱いになるので、「排除しなければ」という感情はすぐには湧かないだろうと考えられます。
もちろん、その人の振る舞いがあまりにも気に入らないということがあれば、また同じことが起こる可能性はあるでしょう。
しかし少なくとも、適度に、定期的に距離をとるということは回避策の効果として大きいと思います。例えば週に3回学校に来て、週に2回はeラーニングで学ぶといったような、多様かつ柔軟な避難措置が求められます。

結婚後仲が悪くなる夫婦というのは、育った環境が違う他人同士だから価値観がずれていて仲が悪くなるのではなく、仲間になったはずなのに、自分の思った通りにしないのがムカつく、という感情から仲が悪くなることが多いようです。
オキシトシンが低く、お互いの関係が冷めてしまって破綻する夫婦も当然いますが、オキシトシンが高すぎて、お互いに排除する立場になってしまって破綻、ということも珍しくありません。ですから、ご主人が単身赴任するなど、一緒にいる時間があまり長くないというご夫婦だと、いつまでも仲が良かったりします。これはオキシトシンが高くなりすぎないことでうまくいっているのでしょう。「60%のカップル」を目指すのが、良好な関係を長続きさせるコツなのかもしれません。

これと同じ状況が学校のクラスでも考えられます。
「仲間のくせに、あいつは空気が読めないから気に入らない」と思っていたのが、距離が遠くなることで仲間という意識も薄くなります。そして時々ひょっと現れると、言い方は悪いのですが、他人として扱われるわけで、その状態では、おまえも空気を読め、といった圧力はかかりにくくなるのです。

しかし、「他人」として扱われることに「寂しい」「耐えられない」と感じる子も当然いるでしょう。その場合には、一時避難することにより心理的な負荷が高くなるため、いっそ転校するという方法のほうがよいかもしれません。
いずれにせよ、休学する、転校するなど、いじめの加害者から空間的・時間的距離をおくことは、子どもの性格や状態に合わせる必要がありますが、回避策としては十分に、そして早急に検討すべき方法であると思います。

 

 

『ヒトは「いじめ」をやめられない』

著者:中野信子(なかの・のぶこ)

1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部応用化学科卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所にて、ニューロスピン博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。科学の視点から人間社会で起こりうる現象及び人物を読み解く語り口に定評がある。現在、東日本国際大学特任教授。著書に「心がホッとするCDブック」(アスコム)、「サイコパス」(文藝春秋)、「脳内麻薬」(幻冬舎)など多数。また、テレビコメンテーターとしても活躍中。

小学館新書(本体780円+税)

構成/HugKum編集部

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