子どもと向き合う時間は、一喜一憂のとまどいの連続。子育てに行き詰まることも日常です。歌人・俵万智さんが詠み続けた「子育ての日々」は、子どもと過ごす時間が、かけがえのないものであることを気づかせてくれます。「この頃、心が少しヒリヒリしている」と感じていたら、味わってほしい。お気に入りの一首をみつけたら、それは、きっとあなたの子育てのお守りになるでしょう。

たんぽぽのうた1 靴を履く日など来るかと思いいしに
靴を履く日など来るかと思いいしに今日卒業すファーストシューズ

赤ちゃんって本当に小さかったんだ。。。
出産のお祝いに、淡いブルーのベビーシューズをいただいた。形が、あまりにも愛らしいので今も部屋に飾っている。いただいた時には、「靴かあ……靴を履く日なんて、来るのかなあ」という印象だった。しかも、この小さい靴がけっこう大きく見えたのだから、赤ちゃんって本当に小さかったのだなと思う。今では、半年に一度「ええっ、もう履けなくなっちゃったの~」と焦って買い替えなくてはならないところまで、成長した。
そして最近、一番しみじみと成長を感じるのは、息子と二人、並んで寝転んで、それぞれが本を読んでいるときだ。数年前には、こんな時間が訪れるなんて、夢にも思わなかった。
たんぽぽのうた2 親子という言葉見るとき
親子という言葉見るとき子ではなく親の側なる自分に気づく

年々強くなる「親の側なる自分」という感覚
新聞やテレビのニュース、本のタイトルからコマーシャルまで、世の中には「親子」という言葉があふれている。いつごろからだろう。自分を「親」の側として、それらの語を眺めるようになったのは。
子どもを産んだ瞬間に、生物学的には親なのだろうが(いや、身籠もった時から?)ごく自然に自分を親と思えるようになったのは、赤ん坊との時間を、ある程度経てからだった。
「もとはみな赤ちゃん」というあの感覚は一時で消えたが、「親の側なる自分」という感覚は、年々強くなっている。「親子で楽しむ」と見出しにあれば、もちろん両親と私のセットではなく、自分と息子のセットが頭に浮かぶ。
千年紀を迎えた『源氏物語』を再読すれば、紫の上に我が子を託した明石の君の辛さが、半端でなく思われる。子別れの場面では、幼い姫の言動に涙を誘われるが、それはつまり母親の心の痛みの表現だったのだ、と気づかされる。
俵万智『子育て歌集 たんぽぽの日々』より構成





短歌・文/俵万智(たわら・まち)
歌人。1962年生まれ。1987年に第一歌集『サラダ記念日』を出版。新しい感覚が共感を呼び大ベストセラーとなる。主な歌集に『かぜのてのひら』『チョコレート革命』『オレがマリオ』など。『プーさんの鼻』で第11回若山牧水賞受賞。エッセイに『俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々』『旅の人、島の人』『子育て短歌ダイアリー ありがとうのかんづめ』がある。2019年評伝『牧水の恋』で第29回宮日出版大賞特別大賞を受賞。最新歌集は『未来のサイズ』(角川書店)。https://twitter.com/tawara_machi
写真/繁延あづさ(しげのぶ・あづさ)
写真家。1977年生まれ。 長崎を拠点に雑誌や書籍の撮影・ 執筆のほか、出産や食、農、猟に関わるライフワーク撮影をおこなう。夫、中3の⻑男、中1の次男、小1の娘との5人暮らし。著書に『うまれるものがたり』(マイナビ出版)など。最新刊『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)が発売中。
タイトルイラスト/本田亮