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脳科学者・中野信子さんが「嫌い」という感情を分析
『ヒトはいじめをやめられない』『キレる!』など、世の中に多くのベストセラーを生み出している脳科学者の中野信子さん。新刊のテーマは人間なら誰もがもっている「嫌い」という感情について。この感情をしっかり理解して、戦略的に利用することに目を向ければ、同性、異性を問わず、他人との日々の付き合いが楽に、かつ有効なものになると中野さんは言います。初回はまず「嫌い」という感情はどうして起こるのか、を語っていただきます。
「嫌い」という感情は悪なのでしょうか?
私たちは、子供の頃から、友達は多ければ多いほど褒められ、食べ物は好き嫌いせず、何でも食べましょうと言われて育ちます。
だからでしょうか。
仕事でも、勉強でも、好き嫌いを表現するとわがままだと言われ、人に対して嫌悪感を示そうものなら、未熟で、心が狭い人だと捉えられてしまうことが多いように思います。
私はそんな社会の風潮をずっと、不思議に思っていました。
率直に、嫌いなものは嫌いではいけないのでしょうか。嫌いになるには、嫌いになる理由があるはずなのです。もちろん最初は「なんとなく嫌い」という漠然とした嫌いから始まることもありますが、その「なんとなく嫌い」にも何らかの原因があるはずなのです。
それなのに、「なぜ嫌いか」と問うことよりも、「嫌いなものをつくってはいけない」という社会通念のほうが上にきてしまう。これはとても奇妙に見えます。
なぜなら、「嫌い」という感情は、自分を守るために非常に大事なものだからです。
「嫌い」は自分を守ってくれる感情
自分にとって必要のないもの、もしくは害になるかもしれないものを回避するために不可欠の動機づけです。危ない事物には近寄らないでおくための、大事な感情でもあります。つまり、「嫌い」は脳に備えつけの重要なアラーム機能なのです。にもかかわらず、そうした感情を表に出すと、劣等な人間であと見なされる雰囲気があるのは、実に不思議です。
さらに、私たちは、「嫌い」と口にすること同様、他人から「嫌い」と言われることにも慣れていません。
自分とは違う人格をもっている人から「嫌い」と言われたとしましょう。そのとき、「ああ、あなたは私を好きではないのね」「あなたは私と違うのね」と淡々と受け止めてもよいはずなのです。しかし、多くの場合はあたかも自分が否定されたり、攻撃されたりしているように受け取ってしまう。
それでも人は、誰かを、何かを、嫌わずに生きていくことなどできません。自分がそうされたら嫌だと思っても、この感情を消し去ることは不可能です。
たとえ、あなたが周囲の人に対していつもよい顔をしていたいと思い、「嫌い」のようなネガティブな感情を消したいと願っても、それはできないのです。そしてどうしても消し去ることができないからには、この感情にはきっと何か意味が、役割があるはずなのです。
嫌いが悪で、好きが善ではない。
ということは、もっと「嫌い」の感情を深く考察することで、自分にとって大切なものが何なのか、そして手放すべきものが何なのかよく分かるのではないでしょうか。そして、「嫌い」の本当の意味と重要性が理解できれば、自分や相手の「嫌い」という感情も素直に受け止められるのではないでしょうか。
もちろん、嫌いな人とは最初から付き合わない、嫌いなことはやらない、とすべてを回避的に処理できる人もいるでしょう。人から嫌われてもまったく気にならないから、それ以上考えないという人もいるでしょう。もちろん、それらも有効な方法です。
でも私たちはかなりのエネルギーを割いて「嫌い」という感情を生み出しています。せっかくの強いエネルギーをみすみす捨ててしまったり、抑え込んで自分が苦しくなってしまったりするのはもったいないのではないでしょうか。
・同僚がどうしても嫌いで、妬ましい。
・家族に対してはなぜかイライラが募り、嫌悪してしまう。
・自分に自信がもてず、そんな自分が嫌いでたまらない。
・嫌いな作業がストレスで、会社に行くのが辛い。
そんなネガティブな「嫌い」の感情にも、必ず意味があるのです。
もっと「嫌い」という感情を解剖して、関わり方を見つけ、運用していくことで、あなたの人生はもっと豊かになっていくでしょう。
嫌悪というありふれた日常の悪感情とうまく付き合うことができたら、同調圧力や、主観などに左右されずに、日々をもう少しスマートに楽しむこともできるでしょう。
何よりも、嫌い、嫌われることに伴う苦しさから解放されるはずです。
「嫌い」は更新される
「この人のこういうところが嫌い」という主観は、「眼窩前頭皮質」による働きです。前述したように、「眼窩前頭皮質」は、「物事の価値を見極め、判断をして、よりよい選択をさせる」部分ですから、「嫌い」と感じたからには、それなりの価値判断がなされています。
この人は「強引」、「おしゃべり」、「無口すぎる」、「おせっかい」、「とっつきにくい」等々、気に入らないことはいくらでも存在するでしょう。
ところが、この眼窩前頭皮質が行っている価値判断の基準は、頻繁に更新されています。
それは、眼窩前頭皮質が属している前頭皮質全体の特徴でもあります。
例えば、高校生の頃は、おしゃべりな人がすごく苦手だったのに、社会人になり、いろいろな立場の人と話すことによって自分の知識や価値観が広がり、おしゃべりな人も悪くないと思い直すようになるなど、眼窩前頭皮質の基準が更新され、「おしゃべりな人が好き」とリニューアルされるのです。
昔は印象派の絵が好きだったけれど、今は、抽象表現のジャクソン・ポロックが好き、というのも、経験により眼窩前頭皮質の基準が更新されたことによります。
異性への好みも、以前は運動ができて、きれいな顔で、ちょっと近づきがたいような男性が好きだったけれど、今は、外見はちょっと冴えなくても、優しくて面白くて、自分の話を聞いてくれる年上の男性が好きといったように価値づけが変わるのです。
娘が父親を嫌うのはセキュリティ機能
思春期の女性が父親を避けたり、父親のにおいに敏感に反応したりして、嫌悪感を露わにするようになるのは、「扁桃体」が反応している可能性があります。より本能的に「嫌い」になっているわけです。
女の子が思春期を迎え、身体的に子供を産むことができる年齢になると、自然と遺伝子の近い男性を遠ざけるようになります。
いわばセキュリティの一つで、ごく自然な生理的な反応であり、父親の存在そのものが嫌いなのではないので心当たりのある方はご安心を。むしろ健全な父娘関係だと喜ぶべきかもしれません。
特に「扁桃体」による「嫌い」は、においに反応すると言われているため、「お父さん、臭い」と言われたら、「脳の健全な反応」によるものと諦めて、思春期の症状として正常に成長している証拠と考えましょう。
時期がくれば、眼窩前頭皮質での価値基準が更新されて「やっぱりお父さんは頼りになるな」と思われるようになるなど、関係改善が期待できますから、一時の辛抱です。
思春期の女子はグループで男性を嫌悪する
女子は思春期になると、父親以外の大人の男性に対してもこれを嫌う反応を見せることがあります。
大人の男性が集団でいると「オヤジ臭い」などと言って、その場から離れようとする行動も見られますし、男子が女子の身体的な特徴について話すことにも過敏になり、嫌がる傾向も生じます。
特徴的なのは本質的な「嫌い」とはやや機序が異なるのですが、女子が学校の教員など、身近な成人男性を嫌うときにグループ化する傾向があることです。これはリベンジされないための、一種のセキュリティ的な行動であり、つまり、「嫌い」は、女子同士のコミュニティづくりにも影響するわけです。
女子は共通して好きなものがあるときに仲がよくなりますが、共通して嫌いなものがあるときは、さらに仲がよくなり、結束が強くなります。
思春期の女子が誰かを嫌悪やいじめの対象とするのは、女性の本能として、グループをつくり、仲よくなろうとする習性があるからです。
例えば、グループの中にいれば、育児の過程で外敵から子供を守ることができますし、また、相互に協力しながら保育するということもできます。
そうしたグループの結束を高めるために有効なのが、グループ外に共通の敵をもち、制裁行動を起こすということです。
グループの敵は、クラスの男子でもいいし、グループに属さない女子、さらには、若い男性の担任である場合もあります。若くて、優しそうな先生が標的にされるのは、対象にしても怒られない=リベンジされないような相手だからです。
ですから、標的になってしまった先生は本当にお辛いと思いますが、先生を嫌うという行為も、人格を見て嫌いと言っているわけではなく、女子個々人の「嫌い」になっているわけでもないことが多く、彼女たちのコミュニティづくりに寄与していると捉え、ご自身を責めないでいただきたいと思います。
そもそも本当に嫌いなら、完全に無視し、遠ざかるはずです。もはや話題にもせず、相手にもしたくないはずなのです。
子供は「嫌い」という言葉を、記号として使うこともある
子供たちは「嫌い」という言葉を非常に簡単に使います。これは、幼児に限らず、中高生くらいでも発達の度合によってそうすることがあります。
しかし、それは「眼窩前頭皮質」の「嫌い」や、「扁桃体」の「嫌い」といった脳の働きによる「嫌い」ではなく、大きな意味がないことも多いのです。
「ヤバイ」「ウザイ」「ダサイ」「ダルイ」などと同じように、反射的に出る口癖のようなもので、子供は、「キライ」とか、「イヤ」という言葉を、記号として使うことがあるのです。
ゲーム感覚で、「キライ」という記号をつけ、「この人はハブにするキャラ」として扱い、いじめが起きることもあります。
それは、前頭前皮質が未発達なため、相手が傷ついたり辛い思いをするという思いに至らず、そうした行動を取ってしまうことにあります。
ですから、子供たちから「キライ」と言われても、あまり気にしないほうがよいでしょう。真面目な大人ほど気にされると思いますが、それは本当に嫌いなわけではなく、語彙の少ない子供が、「もっと自分を見てほしい」という気持ちの裏返しで言っていることも多いのです。
また、思春期の女子と同じように、子供たち同士のコミュニティを保つための、アイコンとして「キライ」という言葉が使われ、その対象として選ばれてしまったということもあるでしょう。
そういう意味では、こうした「キライ」は、前頭前皮質が未発達の「子供らしい行動」と言えるでしょう。
著者:中野信子(なかの・のぶこ)
1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部応用化学科卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピンに博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。科学の視点から人間社会で起こりうる現象及び人物を読み解く語り口に定評がある。現在、東日本国際大学教授。著書に『心がホッとするCDブック』(アスコム)、『サイコパス』(文藝春秋)、『脳内麻薬』(幻冬舎)『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館)など多数。また、テレビコメンテーターとしても活躍中。
「嫌い」という感情を生かして生きる!
人間誰しも、他人に対して部分的あるいは全体的に「好き嫌い」という感情を抱きがちです。「”嫌い”という感情を抑えられれば、もっと良好な人間関係を築けるのに・・・」とも考えますが、そもそも好悪の感情は、人間として生きていくうえで必ずついて回るもの。ならば、「嫌い」という感情をしっかり理解して、戦略的に利用することに目を向ければ、同性、異性を問わず、他人との日々の付き合いが楽に、かつ有効なものになります。そこで本書では、“嫌い”の正体を脳科学的に分析しつつ”嫌い”という感情を活用して、上手に生きていく方法を具体的に探っていきます。