ナショナルトラスト運動とは
ナショナルトラスト運動とは、どんな活動で、どのような目的があるのでしょうか。見ていきましょう。
目的
ナショナルトラスト運動は、イギリスで生まれ、世界に広まった運動です。産業が発展し、工業化が進むなかで、失われていく一方の自然環境や歴史的建造物を守り、次の世代、さらには後世に残していくことが目的です。
内容
ナショナルトラスト運動では、参加者一人ひとりがお金を出し合い、自然環境や歴史的建造物を買い取り、保護していきます。
「ナショナル」には「国の」「国民の」という意味がありますが、ナショナルトラストの場合は「国民の」ということです。そして、「トラスト」は日本語で表すと「信託」となり、大切なものを信頼できる人に託して、管理してもらうという意味です。
つまり、ナショナルトラストとは、参加者一人ひとりがお金を出し合って購入した大切な土地や歴史的建造物を、参加者から託されて預かり、守っていく運動です。国民から信頼されて成り立つ運動ともいえます。
日本では現在、数多くの団体が、美しい自然や歴史的建造物の保護に取り組み、その大切さを伝えていく啓発活動などを行っています。
ナショナルトラスト運動発祥の地・イギリスでの歩み
ナショナルトラスト運動が生まれたのは、19世紀後半、産業革命が進んだイギリスです。石炭をエネルギー源とする産業革命によって工業化が進み、自然環境や歴史的建造物が急速に失われていきました。その状況を危惧(きぐ)した3人の市民が「ナショナル・トラスト」の仕組みを考え出しました。
急速な自然破壊と都市化の進展
産業革命では、石炭と蒸気機関の利用で、大規模な機械制工業が誕生しました。それまでの農業を中心とした社会から、工業を中心とした社会への変革ともいえます。
そして、大きな工場を造るために、田畑が潰(つぶ)され、工場での仕事を求めて、多くの人が都市に集まるようになり、古い建物は壊され、大勢の人が暮らすための建物が次々と造られていきました。自然破壊と都市化が急速に進んだのです。
1895年、ナショナル・トラスト設立
そうした状況を憂いた3人の市民が、市民一人ひとりがお金を出し合って、土地や建物を購入し、大切な自然環境を守り、保護していくという「ナショナル・トラスト」の仕組みを考え出しました。
1895年にはボランティア団体として「ナショナル・トラスト」が設立されます。正式名称は「National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty(歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト)」で、団体名が運動の名称にもなっています。
現在、イギリスの「ナショナル・トラスト」は、会員数が400万人を超える、世界最大級の自然保護団体となっています。
ピーターラビットとナショナルトラスト
「ピーターラビット」の生みの親、絵本作家のビアトリクス・ポターは、ナショナル・トラストの活動に熱心に取り組んだ一人です。
ポターは、イギリスの湖水地方(ニア・ソーリー)に暮らし、本の印税が入るたび、湖水地方の美しい風景を守るために土地を買い取り、その維持・管理をナショナル・トラストにゆだねました。
1944年、77歳で生涯を終えたときには「絵本の印税で取得した4000エーカー(東京ドーム約350個分)の土地をナショナル・トラストに寄贈する」という遺言を残しました。
1907年、ナショナル・トラスト法
ナショナル・トラストはボランティア団体でしたが、その活動には国や自治体との協力や連携が不可欠でした。
1907年には「ナショナル・トラスト法」が制定され、買い取った土地を守るために資産譲渡を不可とすることや、取得した土地には税金がかからないなど、ナショナル・トラストの取り組みを支援する体制が整えられました。
日本のナショナルトラスト運動の歴史
次に、日本のナショナルトラスト運動の歴史を見ていきましょう。
きっかけは鎌倉・鶴岡八幡宮の裏山
日本では、第二次世界大戦からの復興を経て、経済が急速に発展した1960年代、いわゆる高度経済成長期に全国各地で開発が進められ、自然が失われていきました。日本を代表する古都・鎌倉も例外ではありませんでした。
1964年、日本初のナショナルトラスト団体
毎年、お正月に大勢が初詣(はつもうで)に訪れることでも有名な鎌倉・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)。その裏山である「御谷(おやつ)の森」に、宅地開発の計画が浮かび上がりました。鎌倉に住んでいた作家の大佛次郎(おさらぎ-じろう)氏をはじめ、多くの市民が「御谷の森」を守るために立ち上がり、イギリスのナショナル・トラストの仕組みにならって募金活動を行います。
1964(昭和39)年には「鎌倉風致保存会」を設立。その後、市民からの募金と市からのお金を合わせて森を買い取りました。この取り組みが日本における初のナショナルトラストとされています。
1987年、日本初の自然環境保全法人が誕生
鎌倉での取り組みが報道された新聞記事などが契機となり、その後は、日本各地でナショナルトラスト運動が展開されていきます。1983(昭和58)年には「ナショナル・トラストを進める全国の会」が誕生、第1回全国大会が別荘地の開発計画に対して、土地の買い取りを試みていた和歌山県田辺(たなべ)市で開催されます。
1987(昭和62)年には、土地の買い取りを進めていた「天神崎(てんじんざき)の自然を大切にする会」が日本で初めての自然環境保全法人として認められました。
最近、田辺市の天神崎は「日本のウユニ塩湖(えんこ)」といわれ、SNS映えスポットとしても知られています。その背景にはナショナルトラスト運動の成果があったのです。
1992年、社団法人日本ナショナル・トラスト協会が設立
任意団体として設立された「ナショナル・トラストを進める全国の会」は1992(平成4)年、環境省(当時は環境庁)の認可を受けて「社団法人日本ナショナル・トラスト協会」となります。
現在は、全国50以上の地域で活動している団体のまとめ役として、日本のナショナルトラストを推進しています。
ナショナルトラスト運動が行われている日本の場所
ナショナルトラスト運動が展開され、貴重な自然環境が守られている場所は、市民のレクリエーションや小・中学校の環境学習の場として、さまざまに利用されています。代表的な場所を見ていきましょう。
北海道斜里町:しれとこ100平方メートル運動の森・トラスト
鎌倉「御谷の森」に続く活動として知られているのが、北海道斜里(しゃり)町での取り組みです。1977(昭和52)年、斜里町は開発の危機にあった知床(しれとこ)国立公園内の開拓跡地を買い取るために募金活動を開始します。「しれとこ100平方メートル運動」と名づけられた活動は、全国から多くの寄付を集めました。
土地を買い取るためにスタートした運動は、1997(平成9)年に原生林と生態系の再生を目指す運動へと進化し、今も取り組みが続けられています。
埼玉県所沢市:トトロのふるさと基金
東京と埼玉にまたがる狭山(さやま)丘陵は、映画『となりのトトロ』の舞台のモデルになったといわれています。東西約11km、南北約4km、面積約3000ヘクタールにわたって広がる丘陵には、武蔵野(むさしの)の里山の風景が残されています。
「トトロのふるさと」と呼ばれる場所を残すために、1990年に現在の組織の起源となった「トトロのふるさと基金委員会」が設立され、1991年には開発計画のあった雑木林を「トトロの森1号地」として取得。以来、50を超える場所を取得しています。
和歌山県田辺市:天神崎の自然を大切にする会
先に紹介したように日本初の自然環境保全法人となった「天神崎の自然を大切にする会」の取り組みは、鎌倉と並んで日本のナショナルトラスト運動のスタートとされています。天神崎は観光地として知られる南紀・白浜温泉の対岸に位置する田辺湾北側の岬です。海流や地形の影響から海洋生物の宝庫となっています。
1974(昭和49)年、別荘地の開発計画を知った市民は、開発業者から土地を買い戻す運動を開始します。多額の費用がかかるため、全国で募金活動を展開しました。当初は自然林を保全するための活動が主でしたが、今ではダイバーの協力を得て、海底掃除活動なども行っています。
あなたの守りたい場所は?
イギリスで生まれた「ナショナル・トラスト」の考え方や取り組みは、今や世界中に広がっています。
私たち一人ひとりにできることは小さなことかもしれません。ですが、「ナショナル・トラスト」が3人の取り組みから始まったように、一人ひとりの力を合わせれば、大きな力になります。
地球温暖化やそれに伴う自然災害の激化、地球規模で広がるゴミ問題など、自然環境や歴史的建造物を守ることの大切さは、ますます大きくなっています。
皆さんが守りたい場所、次の世代に残したい場所は、どこでしょうか?
※なおこの記事では、一般的な活動の呼び方としては「ナショナルトラスト」と記述し、団体名はその表記に従って「ナショナル・トラスト」としています。
構成・文/HugKum編集部