帝国主義とはどんな政策? 特徴や始まりについて学ぼう【親子で歴史を学ぶ】

近代の歴史に登場する「帝国主義」とは、どのような政策なのでしょうか。政策の特徴や広まった経緯を知れば、当時の歴史に対する理解をもっと深められるかもしれません。日本にも関係の深い帝国主義について、わかりやすく解説します。

帝国主義とは?

「帝国主義(ていこくしゅぎ)」と聞くと、「古代ローマ帝国」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。武力で他国の領土を奪い、支配下に置く行為全般を、広い意味で帝国主義と呼ぶこともあります。

しかし、他国を支配しようとする目的は国によってさまざまです。

帝国主義は、厳密には、他国支配の政策の一つであり、他の政策とは分けて考えるのが基本です。帝国主義の定義について、簡単に紹介します。

領土や市場の拡大を目指す政策

帝国主義とは、19世紀後半~20世紀前半にかけて、欧米諸国がとった領土や市場の拡大政策を指す言葉です。帝国主義には、軍事侵攻だけでなく、経済力や技術力などの優位性を背景に、他国を支配することも含まれます。

当時、工業の発展によって資本主義が発達した欧米諸国は、原料の調達先や製品の市場を国外にも求めるようになります。

そこで、発展の遅れているアジアやアフリカなどを植民地化したり、有利な取引を強要したりして、自国の強化に利用したのです。

「資本主義の最終段階」と定義する者も

一方、ロシアの革命家・レーニンは、帝国主義は「資本主義の最終段階」であると定義しました。

彼は著書「帝国主義論」の中で、資本主義が発達すると国内の市場が飽和して、必ず国外へ市場を求める帝国主義が現れるとしています。

しかし、国外の市場にも限りがあるため、帝国主義を進める国家同士でいずれ争いが起こることは避けられません。

また、国内では資金力のない中小企業が淘汰(とうた)されていき、一部の大企業や銀行が富を独占します。こうなると、国民の多くが搾取(さくしゅ)される側にまわってしまい、豊かな暮らしはできません。

レーニンは、このような状況を生み出す資本主義を批判し、社会主義こそが資本主義のもたらす多くの問題を解決するとしました。

レーニンの銅像(ロシア・ウラジオストク)。ウラジオストク駅前の広場に立つ。最盛期には、ソ連全土に約1万4000体もあったというレーニン像。1991年のソビエト崩壊で、旧ソ連の構成国はレーニン像を数千単位で取り壊した。

帝国主義の歴史

帝国主義という言葉は、いつ頃から使われるようになったのでしょうか。誕生の経緯や、現在の帝国主義のあり方を見ていきましょう。

イギリスから広まった言葉

帝国主義は、もともとフランス皇帝・ナポレオンによる、皇帝国家の実現政策を表すときに使われた言葉です。

それが1870年代以降は、イギリスが進めた植民地拡大政策をめぐり、領土拡張主義や植民地主義を指す政治用語として使われるようになりました。

この頃、イギリスでは第2次産業革命が起こり、産業の中心が軽工業から重化学工業に移っています。重化学工業では、設備投資やエネルギー調達に巨額の資金が必要となりました。

このため、資金力のある企業だけが生き残り、資本の独占が進んでいきます。ライバルのいなくなった独占企業は、さらなる利益を求め、国家権力と結び付きます。こうして経済的な支配も視野に入れた、領土拡張政策が本格化するのです。

イギリス以外のスペイン、フランス、ドイツ、ロシアといった列強国も、同様の領土拡張政策をとるようになります。

アメリカの帝国主義

アメリカは、南北戦争(1861~65)が終わった1865年以降、工業国家として急成長を遂げています。1880年頃には、工業生産量がイギリスを抜き、世界のトップに輝きました。

工業の発展によって独占資本が形成されたアメリカも、イギリスと同様に帝国主義を進めます。

まずは、1898年にスペインとの間で起こった「米西戦争(べいせいせんそう)」に勝利し、キューバをスペインから独立させて保護国としました。

同時に、スペインの植民地であったプエルトリコ・フィリピン諸島・グアム島も譲り受け、カリブ海やアジア方面進出の拠点とします。

グアムのスペイン古橋。グアム島南西部アガット地区2号線沿いにある。18世紀のスペイン統治時代に架けられた橋。当時のスペインの建築技術を駆使した眼鏡橋で、正式名称は「タライファク橋」。

 

以降、アメリカは軍事侵攻をせず、インフラの整備や貿易振興などの支援政策で勢力を拡大していきます。国家同士の関係はあくまでも対等であるとして、自国の方針を帝国主義ではなく「パン・アメリカ主義」と表現しました。

現代における帝国主義

第二次世界大戦(1939~45)が終わると、それまで植民地にされていた国が次々に独立します。植民地支配を許さない国際的秩序も生まれ、それまでの帝国主義は意味をなさなくなりました。

経済面においても同様で、あきらかに他国を支配・抑圧するような手法を取れば、国際的な非難を浴びることになるでしょう。

ただし、独占資本や国家が持っている侵略・拡張の野望が失われたわけではなく、他の形で支配が進むケースは十分考えられます。

なお、現在の世界地図でアフリカ大陸の国境線に直線が多いのは、ヨーロッパ諸国による分割支配の名残です。地図上で緯線や経線に沿って支配領域を決めたために、民族や宗教などの区分を無視した不自然な国境線となってしまいました。

アフリカ大陸。地球儀に引かれている国境線は、明らかに直線になっている箇所が数多く見られる。欧米各国が、帝国主義によって植民地支配をしていた名残といえる。

日本の帝国主義

明治以降の日本が、アジア地域で展開した領土拡張政策も、帝国主義と呼ばれています。日本の帝国主義とは、どのようなものだったのか、概要を見ていきましょう。

大陸へ進出し、領地を広げた

黒船がやってきた頃(1853)の日本は、欧米諸国の植民地にされてもおかしくない国でした。実際、開国の際には不平等条約を結ばされ、たいへんな苦労をしています。

それでも明治維新以降は、急ピッチで近代化を進め、欧米に追いつこうとします。日露戦争に勝利して(1905)、国際的な存在感を高めた日本は、領土拡大の野望をむき出しにして、韓国や台湾、満州などへ支配領域を広げていきました。

ただし、日本の帝国主義は、資本主義から生まれた欧米の帝国主義とはやや意味合いが異なります。日本の目的は、アジア圏に広大な「大日本帝国」を築くことで、古代ローマ帝国やナポレオンの時代に近いものと考えてよいでしょう。

日本の帝国主義の崩壊

日本の帝国主義は、1945(昭和20)年の第二次世界大戦終戦によって崩れ去ります。敗戦国となった日本は、支配地域をすべて手放し、連合国の占領下に置かれました。

明治以降、懸命に努力して軍事力を増強してきた日本でしたが、アメリカの指導の下、非軍事化及び民主化政策が進められることになるのです。

多くの国が勢力を拡大した帝国主義

帝国主義には、さまざまな意味がありますが、いずれにしても、自国の利益のために他の国を犠牲にする考えであることに変わりはありません。

現代の国際情勢下においても、軍事侵攻の有無にかかわらず、自国の利益を優先するためだけの一方的な押し付けが横行しています。

世界平和を乱す思想を蔓延させないためにも、帝国主義について子どもには正しい歴史を伝えていきましょう。

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構成・文/HugKum編集部

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