「3C政策」の基本をチェック
3C政策とは、イギリスが推進した政策のことで、インドにつながる道を手に入れるために行われました。まずは、3C政策の基礎知識を詳しく見てみましょう。
イギリスが推し進めた植民地政策
3C政策は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、イギリスが推進した世界政策のことです。植民地政府の首相を務めていたセシル・ローズの名前を取って「セシルの夢」とも呼ばれています。
セシル・ローズは熱心な帝国主義者で、イギリスが世界を支配すれば、全人類が幸福になれると信じていました。そのためイギリスは、海外へ積極的に進出しようと計画していたのです。
三つの場所の頭文字が由来
3C政策の3Cとは、インドの「カルカッタ(Calcutta)」、エジプトの「カイロ(Cairo)」、南アフリカの「ケープタウン(Cape Town)」、これら3都市の頭文字を取って名付けられました。
カルカッタ(2001年から、名称を「コルカタ」に変更)は、インドの東に位置しており、世界屈指の大都市であるといわれています。
カイロは、エジプトの首都でアラブ文化圏の中で特に人口が多く、グローバルな都市です。
ケープタウンは、南アフリカ共和国の都市で、現在では世界都市になっています。
3C政策の目的
3C政策の目的は、カルカッタ、カイロ、ケープタウンの3カ所を結んだ三角形の領域内を押さえ、インド洋の制海権と通商航海の独占的地位を高めることでした。
イギリスにとって、インドは最重要植民地であり、インドにつながる道を強固にしたかったのです。そのために、カルカッタ、カイロ、ケープタウンの3カ所を結ぶ政策を打ち出しました。
3C政策の流れ
3C政策は、イギリスがカルカッタ、カイロ、ケープタウンの3カ所を結び、インドへの道を強固にするための政策でした。ここからは3C政策について、より詳しく解説します。
3C政策を行った背景
19世紀後半のヨーロッパ諸国は、争いが激化しており、各国が植民地を拡大しようと奔走していました。
そのなかで、イギリスはドイツに対抗するため、フランス、ロシア帝国の2カ国と手を組み、「三国協商」と呼ばれる協調関係を築いたのです。
その一方で、ドイツ、オーストリア、イタリアの3カ国で組まれた「三国同盟」との対立を悪化させてしまい、世界を二つに分けた勢力均衡政策は深刻化しました。
インドへ通じるアフリカ縦断政策
「アフリカ縦断政策」とは、イギリスのアフリカ植民地化政策のことで、アフリカの北部と南部を植民地化して連結させようとしました。
まずイギリスは、エジプトにあるスエズ運河に着目します。スエズ運河を通ることで、最短ルートでインドに渡ることができたためです。
1875年、財政破綻に陥ったエジプトの隙を狙って、スエズ運河株式会社の株式を取得しました。
エジプトの南にあるスーダンでは、イギリスの進出によって反乱が勃発(ぼっぱつ)します。イギリスが勝利したものの、イギリスと同時に「アフリカ横断政策」を進めていたフランスとの衝突事件が発生しました。
フランスがイギリスに譲った形で事件は解決し、3C施策の推進につながったのです。
「3C政策」と「3B政策」
イギリスが行った3C政策と対立したのが、「3B政策」です。3B政策とは、ドイツ帝国が推進した政策で、イギリスを刺激し、第一次世界大戦にまで発展する結果となりました。
「3C政策」と「3B政策」の関係について見てみましょう。
3B政策とは
3B政策とは、ドイツ帝国の第3代皇帝ヴィルヘルム2世によって行われた帝国主義政策のことで、19世紀末から20世紀初頭にかけての長期戦略でした。
3B政策の3Bとは、ドイツの「ベルリン(Berlin)」、トルコの「ビザンティウム(Byzantium)」、イラクの「バグダード(Baghdad)」と3カ国の都市名から取った頭文字です。
3B政策の目的は、ドイツ帝国の西アジア進出です。ベルリン、ビザンティウム、バグダードの三つの都市を、バグダード鉄道で結び、中東をドイツの経済圏に入れることが目的でした。
政策の対立が第一次世界大戦の原因に
3B政策が成功すれば、イギリスが権利を握っていたスエズ運河の価値が下がる原因になります。
また、イギリスの植民地であるインドへの脅威になる可能性もあり、3B政策はイギリスにとって都合の悪い政策でした。
そのため3B政策は、東アフリカからインド洋までの広範囲を治めようとしていたイギリスを刺激することになり、イギリスの3C政策とドイツの3B政策は対立します。
両国での打開策が見つからないまま対立が続き、第一次世界大戦の原因となったのです。
【まとめ】さまざまな国へ影響を与えた3C政策
3C政策とは、イギリスが推進した世界政策のことで、カルカッタ、カイロ、ケープタウンの3カ所を結んだ三角形の領域内を制圧して、インドへの道を強固にするのが目的でした。
3C政策が行われた背景には、ヨーロッパ諸国の争いが激化しており、各国が植民地を拡大しようと紛争していたことがあったのです。
イギリスの政策と同時期に、ドイツでは3B政策が行われており、西アジアへの進出を計画していました。3B政策はイギリスを刺激する結果となり、両国は対立して第一次世界大戦の原因にもなったのです。
3C政策は、植民地となっていた国だけではなく、世界各国にさまざまな影響を与える結果となりました。
もっと学びたい人のための参考図書
小学館版 学習まんが15「第一次世界大戦とロシア革命」
歴史教科書で有名な山川出版社の編集協力を得て誕生した「学習まんが世界の歴史」。第15巻では、19世紀末~20世紀初めごろまでのヨーロッパを中心に、第一次世界大戦をはさむドイツの野望、ロシアでの革命など激動の世界史を追っていきます。各国の帝国主義がどのように衝突し、どのように対戦へとつながるのか、リアルなドラマとして読むことができます。
集英社版・学習漫画 世界の歴史16「第一次世界大戦 戦火におおわれるヨーロッパ」
政治家や学者、冒険家に芸術家など傑出した人物たちの活躍により形成されてきた歴史を人間ドラマを通して紹介する漫画「人物世界史」。この第16巻では、オスマン帝国が衰え、かわって台頭する欧州強国の対立構造を浮き彫りにしていきます。第一次世界大戦のころの国際情勢がドラマチックに描かれています。
構成・文/HugKum編集部