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「開かない自動ドアの向こうから、君の泣き声を聞く」
君はまだ1歳だから、この時間を覚えておくことはできない。バナナの皮を振って踊った朝のことも、歩きたくて涙を溜めた朝のことも、きっとすべて忘れてしまうだろう。
だから僕は、この手紙を書こうと思う。僕らがどんなふうにして出会い、暮らしたのか。10年後か20年後か、いつか君が読めるようになったときのために、書き記していこうと思う。
~「ある朝、部屋で」より~
こんな序文からはじまる『1歳の君とバナナへ』は、note・オモコロなどのWebメディアで旅行記を中心に人気を博している会社員兼作家の岡田悠さん、はじめての育児エッセイです。
2020年に世界を席巻した新型コロナウイルス感染拡大で、予定していた結婚式は中止。その後の出産は、立ち合いはおろか新生児とのご対面は医師の撮影した“チェキ”。岡田さんにとって一生に一度のイベントは、未曽有のパンデミック下で、あらゆる「想定外」の状況を迎えます。
帝王切開の手術室の外で待つ岡田さんがようやく聞いたわが子の産声は「開かない自動ドアの向こうから」聞こえてきました。
ようこそ、世界へ。
この場所がどんなに美しくて面白いのか、これからゆっくりと語り合おう。
~「誕生:開かない自動ドアの向こうから、君の泣き声を聞く」より~
こうして岡田さんの「ニューノーマルの子育て」は始まるのです。
「育休は会社の制度ではなく、国の法律」
出産準備、誕生、そしてその後の一年の育休を通じて綴られる岡田さんのわが子への手紙は、「父親の育児参加」などという手ぬるいサポートレベルではなく、がっちりと育児に向き合ってきたからこその、痛切なリアリティと琴線に触れるエピソードに満ちています。
が、HugKumが推したいのは、この本がいわゆる「イクメンパパのほっこり育児エッセイ」ではなく、子育て当事者への現実的なエールが随所に散りばめられているという点。「ウチも完全このパターン」「こうすればなんとかなるのか」と膝を打たせるプラクティカルな言説が、同じコロナ禍の育児に折れそうな人たちや、子どもをもつことにためらう人たちを勇気づけてくれます。
たとえば、まだまだ取得者が少ないといわれる父親の長期育休。
1年という長期の育児休暇を取得した岡田さんも、上司との面談ではためらいがあったと言います。
「最低で3ヶ月……」
すこし緊張しながら、僕は答えた。本当はもっと長期間取るつもりだったのに、怖気づいてしまった。
~「妊娠中:1年間の育休を取る方法」より~
ですが、その後職場との調整の結果、最終的に1年間の育休を取った岡田さん。
まずそもそも、女性の育休も男性の育休も、会社の制度ではなく、国の法律で決められている。<中略> だから実のところ、1年間の育休を取る方法とは、法律に従うだけである。
またこれも基本的な仕組みとして、育休中の社員には、会社が給料を払う必要はない。雇用保険を通じて、国から給付金が支給されるからだ。
僕の友人でも、この仕組みを知らない人がかなり多かった。以前飲み会で、ベロベロに酔っ払った知人が焼き鳥の串を両手で振り回しながら「育休を何回も取る給料泥棒がいやがって」とくだを巻いていたけど、彼は根本的に誤解している。給料は誰にも盗まれていない。
あのとき焼き鳥屋で、彼の酔い方が怖くて訂正できなかったことをいまだに悔いているので、改めてここで強調しておこう。・育休は会社の制度ではなく、国の法律
・育休中は会社の給料の代わりに、国から給付金が出るこの2点を巨大な垂れ幕にして、東京駅のてっぺんから吊り下げて欲しい。
~「妊娠中:1年間の育休を取る方法」より~
そうは言っても休みづらい、そういう雰囲気ではない、というパパたちに理解を示しつつ、岡田さんは「それでも、人たるもの、休まねばならぬときがある」と言います。
育休からの復帰後「育休中にもっとやっておけばよかった、ということはありますか?」との問いに「子どもと、もっといたかったなと思います」と答えたという岡田さん。育児という仕事は1年というスパンでは到底おさまりきらないとう実感を得たからかもしれません。育休の1年なんてあっという間だったのでしょう。
いっぽう仕事に関しては、そのブランクが悪いことばかりではなかったといいます。
以前であれば、「こんなこと訊いてもいいのか?」「気分を害されないか?」などと心配になって、気軽に質問できない場面もあった。しかし1年休むとどうだろう。「すいません、1年で忘れちゃって」という枕詞をつけることで、あらゆる質問ができるではないか。これは革命だ。<中略>
いつでも疑問をぶつけられる、というのは当たり前のようでいて、意外なほどに心理的安全性を担保してくれる。おかげでとても気持ちよく仕事ができる。また1年休んだことで、仕事の意外な側面にも気づいた。例えば、仕事で褒められたら結構嬉しい。<中略> 「この資料いいね」と同僚に褒められたり、「この機能は助かった」とユーザーに感謝されたり、そんな小さなことだけで、結構、いや、めちゃくちゃ喜ぶようになった。1年間、君(※息子)のことを褒めてばっかりだったから、気づかないうちに自分も「褒め」に飢えていたのかもしれない。<中略>
あるいは、例えばExcelでセルの整理をするような、極めて退屈な作業。<中略> 久しぶりにやってみると案外、心が落ち着くではないか。子育ては常に気を張り、考えることが求められる。それに比べてExcelのセル整理は、何も考える必要がない。無心で没頭できる。一心不乱に単純作業へ向かうのは、なんだか瞑想しているみたいだ。Excelのセル整理はヶ、マインドフルネスだった。
~「10ヶ月:おにぎりを、大きく振りかぶって」より~
背中スイッチには「トッポンチーノ」
父親育休をめぐる提言があるかと思うと、実際の乳幼児育児でパパママが精神的にヤラれる「夜泣き」問題。これについても、岡田さんは著書の中で実践的な経験談を披露してくれています。
一度はまぶたを閉じて、寝たようなそぶりを見せる。だがこれはフェイクだ。こちらが油断してベッドに置いた途端に、君はカッ!と目を見開いて、烈火のごとく泣き始めてしまうのである。背中がベッドに触れた瞬間、まるでスイッチが入ったように覚醒する。
いわゆる「背中スイッチ」である。
参った。30分間の寝かしつけを一瞬で無に帰するこのスイッチは、一晩で何度も発動する。なぜだ。<中略>
悩んでいたところ、そういえば出産祝いで「トッポンチーノ」なるグッズをもらっていたのを思い出した。赤ちゃんの身長サイズの、ふんわりとした楕円形のクッションだ。<中略>トッポンチーノで君を包むように抱え、ゆらゆらと揺らしてみる。いつも通り、じきに君のまぶたは閉じていく。ここまでは予定通り。しかし気は抜けない。この表情に何度も騙されてきたのだ。僕はそっと中腰になり、トッポンチーノごとベッドに着地させた。ごと、というのがポイントである。背中がトッポンチーノに接したままであれば、スイッチが発動しないのではと考えたわけだ。
ベッドに着地しても、まだ君は起きない。腰がピリピリ痛む。君は起きない。僕は静かに息を吐き、トッポンチーノの下からゆっくり腕を抜いた。君は……起きない。起きない!
~「4ヶ月:眠れぬ夜に、トッポンチーノを揺らしながら」より~
トッポンチーノという秘密兵器で背中スイッチ問題を解決したかに見えた岡田さん。しかし現実はキビしく、その後あらたに発生したのが「お腹スイッチ」。
抱っこするときは、君を僕の身体に抱き寄せ、お腹をくっつけて揺らす。その方が体温が伝わって安心するのか、君もよく眠る。だが進化した君は、僕がベッドに置こうと身をかがめ、お腹が離れた瞬間を察知してしまうのだ。仕事のできるお腹である。<中略>
仕方がないから、身体を君のお腹にくっつけたまま、ベッドに着地させる。上半身を曲げ、君に密着する。すると君は気持ちよさそうに眠る。離れると起きるから、5分も10分も覆いかぶさっている。<中略> 君の体温を感じるのは悪くないが、腰には悪い。週末は整形外科で診てもらう予定だ。
~「4ヶ月:眠れぬ夜に、トッポンチーノを揺らしながら」より~
トッポンチーノとその後の「覆いかぶさりメソッド」は、これから赤ちゃんを育てる予定のパパママには、現実的なアドバイスとなりそうですね。
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「子どもができると、人生の主役は交代するのか?」
乳幼児とのリアルな現実は、子どもの成長とともに次々と新しい問題を呈していきます。
たとえば、保育園に通い出して情緒が不安定なころのわが子が「おにぎりを投げたとき」。
コロナで中止となった結婚式に代わって、親子三人で記念フォトを撮影する際に「機嫌が悪く泣き止まないとき」。
保育園でもらってくる風邪・発熱を親子ともに繰り返し、家族全員が不機嫌で「仕事も家庭も絶不調のとき」。
どの子育て家庭もぶち当たるこれらの壁を前に、岡田さんはどう考え、どうやり過ごしたのか。そのくだりは、ハードな乳幼児育児を過ぎた世代が読んでも、また現在真っ最中の人が読んでも「そうか。そう考えればよかったんだよね」という清々しい気づきに満ちています。
同時に、子どもをもつことに迷う人たちが本能的に感じる恐れについても、説得力あるメッセージが。
「子どもができると、人生の主役が交代する」
さて、君が生まれて2ヶ月が過ぎたが、実際のところはどうだろうか。
ひとつの変化として、「あ、主役どうぞ」と思うようになった。これは驚きだった。主役交代なんてまっぴらだと主張していた僕が、簡単に寝返ったのだ。
むしろ、すこし肩の荷が下りた安堵感すらあった。これまでずっと自分のことばかり考えてきて、ちょっと疲れていたのかもしれない。何者かにならなければ、というプレッシャーがどこかにあったのだと思う。でも、らうたし君(※息子)がいるなら、自分自身はどうあってもいい。僕は特別でなくていいのだと思うと、なんだか気が楽になった。<中略>別に、育児は楽しくて最高!とか言いたいわけではない。君が僕を完全無視して遊んでいるときは、とはいえ目を離すこともできず、ちょっと退屈だなあと思う。君をいくら抱っこしても泣き止まないときには、腰が痛くて嫌だなあと思う。でもそれら全部をひっくるめて、自分の時間だと思える。旅先で来ることのないバスを5時間待ったり、土産物屋に騙されて腹を立てたり、そういう時間を含めて旅だと思えるように、君といる時間は全部、僕の時間なのだと思う。育児は大変だよ、と語る友人たちの顔が、どこか満足げだった理由が、すこしわかった気もする。
君が生まれて、人生の主役は、交代するのかもしれない。
だからといって、人生そのものは交代しない。北野武という映画監督は、監督をしながら、同時に自ら主演を務めることで有名だ。でもたまには、主役を他の人に任せたりもする。主演が自分であろうとなかろうと、どちらも北野作品であることに変わりはない。それに似ていると思う。誰が主役になっても、僕は僕の人生を撮り続けるしかない。
~「2ヶ月:子どもができると、人生の主役は交代するのか?」より~
どんな旅行よりも育児が「旅」であることを気づかせてくれる
18歳のときにモロッコへ行ったことがきっかけで「旅」の魅力に取りつかれた岡田さん。以来、旅行記を中心に旅作家として、世界の広さを新鮮な目で描写してきた岡田さんの、初の育児エッセイ『1歳の君とバナナへ』は、どんな旅行記よりも、冒険と発見と涙と笑いに満ちた「旅」日記に仕上がっています。
それでも、歯固めに猛進していくように、はじめての離乳食に挑むように、恐れず歩めばいい。転がりすぎることもあれば、渋い味がすることもある。近くに見えたバナナへ、手が届かないこともある。そこから旅が始まる。しばらく落ち込んだあとに、また手を伸ばそう。届かなければ、一緒に悩んで考えよう。机にも裏側に凸凹があるみたいに、ルートはひとつだけではない。
~「6ヶ月:バナナに届かないから、旅へ出る」より~
子どもが首をもたげ、さらに上の空間へと立ち上がり、やがて歩いてその先へと旅を続けていくように、親としてのあらたな旅路を行く人、あるいはそんな旅への一歩をためらう人たちに、そしてかつて子どもだったすべての人に、岡田さんの“旅日記”をおすすめします。
著者
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構成・文/HugKum編集部