リンカーン大統領とは
「リンカーン大統領」は、いつの時代に活躍した人で、どのようなことをした人なのでしょうか。歴史に名を残した理由もあわせて解説します。
第16代アメリカ合衆国大統領
エイブラハム・リンカーンは、1861〜1865年にアメリカ大統領を務めた人物です。「奴隷解放(どれいかいほう)」と、南北に分裂しかかっていたアメリカの統一を果たした功績で知られています。
歴代大統領の中でも人気・知名度ともに高く、ゆかりの地スプリングフィールドには、ライブラリーや彼の住んでいた家などが残されています。
同市にあるリンカーンの墓は、アメリカ国民の寄付金によって建てられたものです。近くに立つ銅像の鼻を触ると幸福になれる、との言い伝えもあり、亡くなってから150年以上経った現在も多くの人が訪れています。
失敗を積み重ねながらも、偉大な功績を残す
リンカーンの人生は、失敗や挫折(ざせつ)の連続でした。生家は貧しく、大人になって事業を始めるも失敗して多額の借金を抱えます。選挙には何度も落選しているうえに、恋人を亡くしたり、ノイローゼにかかったりして、私生活も順調ではなかったようです。
それでもリンカーンはくじけず、51歳のときに、ついにアメリカ大統領に選ばれます。リンカーンが今も多くの人に愛される理由は、失敗を重ねながらも最後に偉大な功績を残した点にあるといってもよいでしょう。
現在の教科書では「リンカン」と表記
近年の世界史の教科書では、リンカーンではなく「リンカン」と表記するのが主流です。高校用の教科書はほぼすべてが、中学校でも一部の出版社が「リンカン」としています。
出版社が表記を変えた背景には、できるだけ現地の読み方に近づけたいとの思いが込められています。今後は教科書以外の分野でも、リンカーンからリンカンに表記が変わっていくかもしれません。
なお、リンカーンと並んで有名なルーズベルト大統領も、同じ理由で「ローズベルト」に変わっています。
リンカーン大統領の生涯
貧しい家に生まれたリンカーンは、苦労の末に、大統領にまで上り詰めます。その波乱に満ちた生涯を見ていきましょう。
貧しい環境から下院議員、そして弁護士に
1809年2月12日、リンカーンは、ケンタッキー州ホッジェンビル近郊の丸太小屋で生まれました。両親は開拓農民で、一家はリンカーンが生まれた後、西へ向かってインディアナ州、イリノイ州へと移住します。田舎を転々としたリンカーンは、あまり学校にも通えず、自分で勉強して成長しました。
成長後は、川舟乗りや雑貨商・郵便局長・測量技師などさまざまな職を経て、1834年にイリノイ州の下院議員へと選出されます。議員を務めるかたわら、独学で法律を学び1836年に弁護士資格を取りました。
1846年には、アメリカ合衆国下院議員に当選しましたが、一期だけで政界を退き、その後10年間は弁護士として活躍します。
奴隷制度拡大に危機を覚え、政界に復帰
当時のアメリカは、北部の「自由州(奴隷制度のない州)」と南部の「奴隷州」の対立が深まり、分裂の危機にありました。リンカーンは、この状況に危機感を覚えて政界への復帰を決め、イリノイ州共和党から大統領選に出馬します。
共和党は、奴隷制度拡大に反対する政党で、リンカーンはその思想に共感して入党したのです。一度は落選したものの、1860年には見事に当選し、翌年、第16代アメリカ大統領に就任します。
それまでの大統領は南部の出身者が多く、奴隷制度の廃止には消極的でした。しかし、リンカーンが大統領になったことで、奴隷州の多くが衝撃を受けます。
奴隷州のうち、11州が連邦を脱退して南部連合を結成し、アメリカの分裂は決定的となりました。リンカーンは南部連合を倒すことを決め、「南北戦争」と呼ばれる内戦が始まります。
奴隷解放の父となるも暗殺される
大統領就任当初、リンカーンは南部諸州の連邦脱退を思いとどまらせるために、奴隷制度廃止を急ごうとはしませんでした。しかし、最終的に内戦となったことで、戦争の目的として奴隷制度廃止を掲げるようになります。
1863年1月、リンカーンは「奴隷解放宣言」を出して、南北戦争の目的が奴隷制度の廃止にあることをはっきりと示します。劣勢だった北軍は、国際世論の支持を得て勢いを盛り返し、同年7月の「ゲティスバーグの戦い」に大勝します。
翌年の大統領選では再びリンカーンが当選、1865年には南軍が降伏して内戦はようやく終わりました。「奴隷解放の父」として本格的に活動しようとした矢先、リンカーンはワシントンの劇場で南部派の俳優に狙撃され、56年の生涯に幕を下ろします。
リンカーン大統領の名言
リンカーン大統領の名前を聞くと、有名な演説を思い出す人も多いでしょう。演説を含め、リンカーンが残した名言を紹介します。
有名な演説など、さまざまな名言を紹介
教科書にも載っている「人民の、人民による、人民のための政治」は、ゲティスバーグの戦いの戦没者墓地奉献式で演説したときに出た言葉です。民主主義を象徴する表現として、今もさまざまなシーンで引用されています。
リンカーンは、ほかにも多くの名言を残しています。「あなたが転んだことに関心はない。そこから起き上がることに関心があるのだ」は、いくつもの失敗を乗り越えてきたリンカーンならではの名言でしょう。
「ほとんどの人は 、自分が決意した分だけ幸せになれる」といった、勇気を与えてくれる言葉もあります。
偉人の功績から人生訓を得よう
リンカーン大統領は、貧しいながらも努力を惜しまず、政治家や弁護士になって活躍しました。大統領になった後は、奴隷制度の是非で分裂の危機にあったアメリカをまとめ、奴隷解放を実現します。
なにごともあきらめず、粘り強く取り組む姿勢を見せてくれるリンカーンの生き方は、人生のよいお手本といえます。子どもにも功績をしっかりと伝え、学びや気づきを引き出してあげるとよいでしょう。
こちらの記事もおすすめ
構成・文/HugKum編集部