「青鞜社」とは? “原始 女性は〇〇であった”で知られる設立理由や発起人、その他の婦人運動も解説【親子で歴史を学ぶ】

日本史に登場する「青鞜社(せいとうしゃ)」は、どのような団体なのでしょうか。当時の時代背景を踏まえ、設立の理由や発起人などの基礎知識を解説します。青鞜社やその他の団体の活動内容から、女性の権利取得の歴史を考えてみましょう。
(上画像:『青鞜』創刊号(左)と、青鞜社創始者の平塚雷鳥(右)>

青鞜社(せいとうしゃ)の概要

青鞜(せいとう)とは、イギリス・ロンドンの急進的な女性を現した言葉「ブルーストッキング」の訳語です。急進的な女性を表す団体「青鞜社」の発起人や設立の年といった概要を確認しましょう。

平塚雷鳥(らいてう)が中心の女性グループ

青鞜社は1911年(明治44年)、平塚雷鳥・岡本かの子・神近市子を発起人として結成されました。与謝野晶子・田村俊子といった女流作家も加わり、30人の女性だけで構成された文芸団体です。

新しい女」として世間からの注目を浴びたものの、活動期間は5年ほどしか続きませんでした。1916年(大正5年)に経営難のために手がけていた文芸雑誌が休刊となり、青鞜社も解散したといわれています。

平塚雷鳥(国立国会図書館デジタルコレクション)

青鞜社が設立された理由・目的

青鞜社が誕生した理由・目的には、共通して「女性」というキーワードが存在します。時代背景と活動内容から、青鞜社の歴史をチェックしましょう。

女性に不利な時代背景

青鞜社が誕生した理由には、女性の社会的地位が低い当時の時代背景が大きく関係しています。特に1898年(明治31年)に施行された「明治民法」は、女性解放運動のきっかけになったともいえる法律です。

明治民法によって男子を中心とした家制度が確立し、妻は夫の許可がなければ勤労はもちろん、重要な契約を結べない「無能力者」として位置づけられました。

産業革命以後、新聞・牛乳配達などで働く「職業婦人」も存在したことから、女性の社会的地位の向上を望む声が強まったといわれています。

文学の力で女性解放を主張

女性が不当な扱いを受けている時代に誕生した青鞜社の目的は、女性における社会的地位の向上です。「新しい女」を宣言した青鞜社は暴力ではなく、文芸誌『青鞜』の誌面を通して主張を展開しました。

特に、平塚雷鳥が『青鞜』の「発刊の辞」に記した「元始、女性は太陽であった」は、青鞜社の代表的な言葉です。文芸団体・青鞜社は、文学の力で男性中心の法律・しきたりに抵抗すると同時に、女性の人間としての権利を主張しました。

なお、平塚雷鳥は一貫して「国家は妊娠・出産・育児期の女性を保護するべき」という「母性中心主義」を主張したことでも知られています。

「元始、女性は太陽であった」の発刊の辞で知られる『青鞜』創刊号
「元始、女性は太陽であった」の発刊の辞で知られる『青鞜』創刊号(国立国会図書館デジタルコレクション)

女性参政権を求める運動へと発展

青鞜社が設立した翌年、1912年(明治45年・大正元年)には明治時代が終わり、大正時代がスタートしました。大正時代は、民衆が自由を求める「大正デモクラシー」という運動が活発だった時期としても知られています。

大正デモクラシーにより政府は普通選挙を認めたものの、女性は対象外とされました。そのため、平塚雷鳥を中心とした女性解放運動は、女性の選挙参加を主張する「婦人参政権運動」へと発展していくのです。

なお、普通選挙法の成立と同時に、政府は「治安維持法」を制定して社会主義運動への圧力を強めていきます。

伊藤野枝。平塚雷鳥のあと『青鞜』の編集・発行を引き継いだ。社会思想家で夫の大杉栄とともに憲兵に虐殺された「甘粕事件」はあまりにも有名
伊藤野枝。平塚雷鳥のあと『青鞜』の編集・発行を引き継いだ。社会思想家で夫の大杉栄とともに憲兵に虐殺された「甘粕事件」はあまりにも有名。Wikimedia Commons(PD)

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青鞜社の解散後に起きた婦人運動

1916年(大正5年)に青鞜社が解散してからも、婦人参政権運動の流れは止まりませんでした。最後に、女性の権利を主張した3種類の婦人団体の結成年や主な活動内容を解説します。

新婦人協会

「新婦人協会」は、1920年(大正9年)に平塚雷鳥・市川房枝によって結成された婦人団体です。新婦人協会が結成された理由は、女性の政治的な活動を禁止した「治安警察法第5条」の存在でした。

1900年(明治33年)に制定された治安警察法第5条があったため、女性は選挙どころか、政治的な集まりにも参加できなかったのです。そのような状況で結成された新婦人協会による運動の結果、治安警察法第5条の一部改正を実現しました。

晩年の市川房江(国立国会図書館デジタルコレクション)

赤瀾会(せきらんかい)

1921年(大正10年)には、山川菊栄・伊藤野枝・堺真柄(まがら)・橋浦はる子などが「赤瀾会」という女性の社会主義団体を結成します。社会主義者の夫・父親を持つ女性が多く在籍し、日本社会主義における女性部隊ともいわれたようです。

山川菊栄が書き起こした「婦人に檄す(げきす)」のビラを作成し、労働者の祭典ともいえる「メーデー」への参加を呼びかけました。

山川菊栄  Wikimedia Commons(PD)

講演会なども開催して社会主義女性解放思想を広めようとするものの、政府からの弾圧を受けて1年足らずで消滅します。1923年(大正12年)に正式に解散し、新たに結成された「八日会(ようかかい)」に活動が引き継がれました。

婦人参政権獲得期成同盟会

新婦人協会で治安警察法第5条の一部改正に成功した市川房枝らは、1924年(大正13年)に「婦人参政権獲得期成同盟会」を結成します。

新婦人協会の運動を引き継ぎ、婦人参政権の取得を目指しました。しかし、婦人参政権の取得は実現しないまま、1940年(昭和15年)に解散へと至ります。

日本で婦人参政権を含む「男女普通選挙権」が認められたのは、第2次世界大戦が終わってからでした。終戦後の1945年(昭和20年)12月15日に男女普通選挙権が可決・成立し、条件を満たした女性も選挙に参加できるようになったのです。

青鞜社から女性の権利取得の歴史を学ぼう

1911年(明治44年)から約5年間続いた青鞜社は、女性のみで構成された文芸団体です。平塚雷鳥などを発起人とし、文芸雑誌『青鞜』で女性の権利を主張しました。青鞜社が誕生した明治時代は、男性を中心とする「家制度」を擁する明治民法が成立し、女性の地位は現代よりはるかに低かったのです。

現在、一般的な女性へも選挙権が認められているのは、青鞜社をはじめとする女性解放運動の結果ともいえます。青鞜社から日本における女性の権利取得の流れを学び、感じたことを親子で話し合ってみるのもよいでしょう。

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構成・文/HugKum編集部

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