お兄ちゃんは小1の2学期から登校が苦しくなった
―小・中学生における不登校の子は、およそ30万人。多くの子や親御さんが悩んでいますが、きょうだいで不登校は珍しいでしょうか。
実は、そうでもないようです。私自身、同時にという場合もあれば、時期がずれて不登校になる例も見聞きしています。個人的には、不登校はきょうだい間に影響があるものだと思っています。特に、低学年に多いようです。
― 不登校のきっかけはあったのでしょうか?
お兄ちゃんは、1年生の1学期は普通に通っていました。でも、2学期になると、「一緒に来て~」と言うようになり、朝、学校まで送っていく毎日が始まりました。最初は校門の前まで一緒に行き「下校のとき、ここにお迎えにくるね」と言って登校させました。その状態が1か月ぐらい続きました。その時は、何とかして学校に行かせなきゃいけないという気持ちでいっぱいでした。
そのときの本人の気持ちは、相当ザワザワしていたと思います。まず、玄関で靴を履くときに動きが止まるようになり、私をチラッと見るんです。その目は「行かなきゃダメ?」と言っていました。
― おなかが痛いとか、気持ちが悪いというような訴えはなかったですか?
それはありませんでした。でも、学校に行きたくない気持ちはどんどん大きくなっていき、昇降口まで送るようになったときには、ぽろぽろ泣くようになりました。その後も、「今日は廊下で見ているね」「教室の後ろに立っているね」とだましだまし、何とか親子登校していました。
私は給食が終わるまで見守っていました。当時、弟は幼稚園に通っていましたが、末っ子(第5子)はまだ赤ちゃん。抱っこしながら、お兄ちゃんに付き添っていました。
― それはとても大変でしたね!
母として、私が何とかしなくちゃ、できることはしてあげなくちゃという気持ちでした。
でも、お兄ちゃんは本当に苦しかったようです。運動会までは何とか行けていたのですが…。完全に不登校になったのは3学期です。インフルエンザにかかり、出席停止になったことがきっかけでした。
周囲のサポートをうまく得られず孤独に
― 不登校になったとき、お母さんご自身が取り乱すようなことはありましたか?
それが不思議なんですが、「まさか、どうして不登校に⁉」とか「なんで、学校にいけないの?」とは思いませんでした。早生まれで、体も小さく、小さい頃から性格的にも繊細な子だなと感じていたせいかもしれません。「あ~、そうなるよね」「やっぱりそうなったか」という感じでした。
子どもに対しては、この子が悪いわけじゃない、この子は学校が苦痛なんだなと受け止めていました。ただ、当時はあまり情報が入ってこなくて、毎日あがいていました。子どもの不登校に悩んでいる母親(私)のサポートやアドバイスをしてくれる人がいない、寄り添ってくれる人がいないことが苦しかったです。
― 学校には相談しましたか?
担任の先生は新卒だったので、あまり有効なアドバイスはもらえませんでした。学年主任の先生は第一子のときにお世話になったこともあり、「何でも相談してくださいね」と声をかけていただいてはいたのですが…。その先生もクラス担任をしていらっしゃるので、別のクラスの子に対して、全力のサポートを求めるのは無理だと思いました。
校長や副校長などの管理職の先生も、親身になって寄り添ってくれる様子はありませんでした。たとえば、不登校に悩む親同士で情報交換をしたり、つながったりしたくて、「この学校では、うちだけが不登校なのですか? ほかにもそういうお子さんはいらっしゃいますか?」と聞いても、「個人情報なので」と教えてもらえませんでした。
― 学校外部のサポートには頼らなかったのでしょうか?
教育委員会が設置している教育相談所にも行きました。いろいろとアドバイスはもらえましたが、学校との連携にはつながらず、学校と悩みを抱えた家庭の橋渡しをする役割はしてもらえませんでした。教育相談所で聞いた話やサポート案を一から学校に伝えなくてはならないのは、私にとっては相当なエネルギーが必要で、心が折れました。
― 何度も説明を繰り返すのは想像以上に辛いですね。お父さんは?
相談相手にはならなかったですね。子どもの様子を話しても、実際に朝、登校を渋る様子を見たり、教室での見守りをしたりしていないせいか、ピンと来ないというか…。帰宅したとき、「今日は登校したか?」と聞くだけ。小学生は学校に登校するのが当たり前と思い込んでいる様子でした。
弟が登校を渋ったとき、やっと不登校の実態が分かったようでした。私はお兄ちゃんを見なくちゃいけないので、弟をお父さんに学校へ送ってもらったとき、廊下で泣き叫ぶ我が子を見て、「これは登校できないな」とようやく分かったようです。
お兄ちゃんに続き、弟も不登校に
―2年生に進級したときも、不登校は続きましたか?
2年生になって担任の先生も教室も変わるから、「一度、先生にご挨拶しに行こうか」と子どもを誘いました。親が付き添う形で、何とか登校はするようになりました。
― 7歳の子どもの「生きているのがイヤになる」という言葉は、グサリときますね。
そんな状態の子どもを、心を鬼にして学校に連れていく中で、ある日、ふと思ったんです。この子は、なんでこんなに毎日泣くんだろうと。7歳の子どもが「生きているのがイヤ」と泣くほど、追い詰められていると気づいて、無理なことをさせるのはもうやめようと思いました。その日から完全な不登校です。
―おうちでのお兄ちゃんの様子はどうでしたか?
学校に行かないていいと分かってから、みるみるうちに表情が明るくなりました。それまでは、とにかくぽろぽろと涙を流していたのが、私のそばにいて、レゴとかプラレールなどで好きな遊びに夢中になって、気持ちが落ちついたようでした。
正直に言うと、私自身、子どもをだましだまし、学校に連れていくのは辛かったし、罪悪感がありました。今思い返しても、あのときはかわいそうだったなと思うくらいです。だから、家でリラックスして過ごしている姿を見て、毎日泣いて暮らすより、楽しそうに過ごせるほうがいいやと思いました。これを機に、「我が家のちゃんとした不登校生活」が始まりました。
―その時はどんなことを心配していましたか?
最初は勉強の遅れを心配していました。学校を休んでしまうと、勉強についていけないのではないかと不安でした。学校に行かないなら、わたしが全部教えなくちゃいけないとさえ、思いました。それに、このまま何年、不登校が続くのだろう、将来、引きこもりになってしまうのではないかというのも不安でした。
― お兄ちゃんが3年生になったとき、弟が1年生になります。弟の不登校のきっかけは?
兄の影響だと思います。きょうだいW不登校に突入しました。
― 突入しちゃいましたか。
はい、突入! スゴイ生活になりました。長いトンネルの始まりでした。というのも…。
この後、お兄ちゃんの不登校がきっかけで、弟も不登校に。W不登校児を抱えたお母さんの覚悟、子どもの成長に寄り添う生活、そしてようやく見えてきた希望の光とは?後編に続きます。
後編はこちら
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取材・文/ひだいますみ