東京の大学を卒業後、九州の大手鉄道会社に総合職として勤務した瀬咲さん。キャリアがスタートした当時の話から伺いました。
大手鉄道会社に勤務していた時代

本社から配属され2年間、現場で駅員に
相坂 会社員時代は、どんな仕事をされていましたか?
瀬咲 入社して新入社員研修を終えてから、約2年弱は現場で働いていました。最初は駅員として常駐し、その後は車掌になるための研修を受けてから車掌として、実際の電車に乗って勤務していました。
駅員として駅で起こるトラブルに対応したり、車掌として電車の一番後ろに乗って、ドアの開け閉めや社内アナウンスなどを行っていました。
相坂 車掌さんですね! 今の瀬咲さんからは全くイメージできなかったです。その時はどんなことが大変でしたか?
瀬咲 まず、24時間以上の勤務が日常なんです。泊まり込みでの勤務になります。終電が終わったあとに車内確認などがあって、その後、宿泊所があるのでそこに行って2時間睡眠をとり、また始発から勤務です。本当に体力勝負でした。
相坂 それは本当にハードですね…。女性には体力的にきつい職場でしたか?
瀬咲 24時間以上の勤務は、体力的にも相当きつかったです。
特に駅での勤務は、ほとんどが男性という中で、私は本社から来た総合職の若い女性ということもあって、ちょっとやりづらさはありました。「どうせ育ててもすぐ本社に戻るんでしょ」という周囲の目線が気になりました。本社から来ている若手の総合職に対して、面白くないと感じる方もいたのかもしれません。
相坂 立場の違いなどがあると、やりづらさはありますよね。そんな状況がずっと続いたのですか?
瀬咲 初めは、少しギスギスしていたのですが、それこそ早めに出勤して掃除をしたり、丁寧に挨拶をしたり、社会人として基礎的なことを徹底することで、現場の社員の方からも「あの子、いい子じゃん」と認めていってもらった感じです。仲良くなると、年配の現場社員の方が朝から競艇に連れて行ってくれることもありました。
相坂 穿った見方をされるからこそ、社会人として基礎的なことは大事ですよね。この時は、男性社会でのやりづらさというよりは、本社から来た若手という立場からのやりづらさだったのですね。
瀬咲 まさにそうです!
不妊治療・育休・仕事復帰で葛藤の日々
不妊治療で職場に引け目を感じることも
相坂 2年経ち、本社に戻ってからはどうでしたか?
瀬咲 本社に戻ってからは、基本同じ総合職の方ばかりでオフィス勤務だったので、現場特有のやりづらさはなくなりました。
でも、結婚してから、なかなか子どもを授かることができず、不妊治療していたんです。フルタイムで働いているとクリニックに通うのも大変だし周りにも気を遣ってしまって、両立が大変でした。「しょっちゅう休んでるな」と思われているんじゃないかと、申し訳ないと感じてしまうことがしんどかったです。
不妊治療を始めてから夫が転勤になったので、夫とのスケジュール調整も大変でした。
会社を辞めたいなと思っていたものの、私には会社員しかできないとその時は思っていたし、転職も考えたときに九州だと条件の合う転職先もなかなか見つからず…。そのときはまだ大手企業の安定を捨てるのもとても怖かったです。
産休育休を経て、0歳で仕事復帰

相坂 転職しようにも、なかなか条件に合う企業がなければ、そのままでいいかとなりますね。
瀬咲 結局、辞めたい気持ちも抱えながらですが、有難いことに子どもを授かることができ、産休育休に入りました。
育休中は、復帰したときにちゃんと仕事できるかどうか不安でした。マミーブレインってあると思うんですけど。記録や判断力が鈍ってしまったら、仕事復帰したときに大丈夫かなという心配がありました。
そして、子どもの保育園問題にも直面しました。本当は、3歳頃まで育休をとって面倒を見たい気持ちがありました。ところが、地方都市でも保育園は激戦なので、0歳入園を逃したらなかなか入れないと聞き、仕方なく保育園に預けて復帰を決めました。
相坂 復帰される前後で葛藤もあったのですね。復帰してからはどうでしたか?
瀬咲 復帰したら、本当に大変で…。復帰のときにちょうど役職も上がってしまい、時短勤務でも業務量は変わらず、全然仕事が終わりませんでした。
保育園のお迎えまでに仕事が終わらないし、途中で仕事を投げ出して保育園にダッシュで向かっていました。毎日ギリギリで、両立なんてできなくて、本当に毎日疲弊していきました。
起業を決意!安定を捨て、退職に踏み切れたわけ

大企業で安定も、働き方に疑問を感じ始めた
相坂 結果的には退職して起業への道を歩まれますが、辞めると決断するまで葛藤はありましたか?
瀬咲 当然ありました。一度、大手企業の安定を手放すとそのポジションにはほとんど戻れないことも分かっていました。いろいろな考えの人がいると思いますが、私は、不妊治療の末に授かった子どもと、平日触れ合えるのはたった3時間と考えると、この働き方に疑問を感じ始めていました。
相坂 大手企業の安定を捨てるのも怖いけど、今の働き方も続けたくないと思ったとき、最後に退職へ踏み切れたのはなぜですか?
瀬咲 自分の母の姿を見ていたからかもしれません。母は私が幼い頃からずっと働いていました。熊本の田舎ですが、私が1歳の頃から公務員として働き始めたそうで、私は幼い頃は祖父母に面倒を見てもらっていました。
フルタイムで働く母を尊敬する一方で、幼い頃に感じた寂しさも記憶残っていました。幼い頃、母ともっと一緒にいたかったなあという気持ちもあったんです。
会社には時短やフレックスなど柔軟な働き方をサポートする制度があるのですが、一緒に働いている上司や同僚の手前、制度の利用を言い出しにくかったり、そもそも業務が忙しくて使いづらかったり。制度はあるとはいえ、実際にはなかなか柔軟な働き方が難しいというのが現実です。ならば、幼い娘との時間も大切にできる働き方は起業しかない!と思い、決意しました。
バリバリ働く母に「会社を辞める」と報告するのが怖かった
相坂 お母さんは、地方都市で周りは結婚して家庭に入る女性が大多数の時代に、バリバリ働かれていたとのこと。当時、幼い子どもを預けて働くことに、周りの反対とかはなかったんでしょうか?
瀬咲 母も働く上で周りの理解を得やすかったという環境に恵まれていた部分もあると思います。職場も理解があったし、私たちを預けて面倒を見てくれた祖父母も、孫の世話を楽しんでくれたし、元々農業を祖母もやっていたので、ある意味働くことへの抵抗感はなかったと思います。
相坂 周りの環境やサポートにどれだけ恵まれているか、という点が女性が働く上で重要みたいなところはありますよね。そんな地方都市でバリバリと働いていた瀬咲さんのお母さんですが、瀬咲さん自身はそんなお母さんからキャリア観や価値観など影響を受けていますか?
瀬咲 めちゃくちゃ受けていると思います。子どもを2人預けてずっと働いてきて、大変だったと思うんです。自分が子どもの頃はその大変さを理解できていない部分もありました。当時はまだ子どもだったので、仕事よりも「選んでもらえなかった私たち」という寂しい思いも抱えていました。
社会人になってからは、仕事の大変さもわかってきて。だから、大変なことがあるたびに「母はすごかったんだな」と尊敬する気持ちが湧きました。そして、そんな母の姿を見てきたから、自分もこうあるべき、ちゃんと働かないといけない、そう思っていました。
相坂 辞める決意をしてから、お母さんにそのことを報告したときはどうでしたか?
瀬咲 母に伝える時はとても緊張しました。母に何と言われるか、どう思われるかを考えると、なかなか辞めるって言えなかったです。1か月半くらいずっと言えないままでした。
会社を辞めるって言った瞬間は、表向きにはあんまり言われなかったですが、母は内心では「なんのために大学まで行かせたのかな?」と思っていたかもしれません。母の価値観として、女性でも自立すべきというのがありましたから……。
でも、辞めて起業したというと、私の活動に期待して応援してくれているのは感じます。せっかく入った大手企業を辞めると聞いたときは落胆してたと思うのですが、辞めて専業主婦やパートではなく起業という道だったので、母としては納得している感じです。
相坂 やはり女性は母親のキャリア観や価値観に影響を受ける部分はありますよね。今の瀬咲さんのキャリア観の根底にあるのは、お母さんの働く姿や尊敬の気持ちなのかもしれないですね。
地方都市だから……と、働き方を諦めない強さ
「女性は自立してキャリアを築くべき」という瀬咲さんのお母さんの価値観は、現代にも通じるものを感じました。地方都市だから、子どもがいるからという理由で、働きたい気持ちを諦めない強さも感じます。後半では、瀬咲さんの仕事と家庭の両立、パートナーシップ、地方都市に暮らす女性のキャリア形成についてお話を伺います。
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1993年生まれ、熊本県出身、起業家。大学卒業後、大手鉄道会社で営業・運輸・財務などの業務を経験。結婚後、3年間の不妊治療を経て出産。育休復職後、仕事と子育ての両立に悩み「働き方を変えたい」と退職、起業を決意。 現在は、女性のキャリアや働き方に関する相談を受けるほか、企業向けのセミナーを実施、「在宅起業」を目指す女性のためのマンツーマンサポートサービスを展開。個人のライフスタイルに合った働き方を提案。現在は2歳の娘の育児を楽しみながら、自由でやりがいのある仕事を確立。 サポートを通じて、真面目で頑張り屋な女性が輝きながら自分らしく働ける社会の実現を目指す。

株式会社LASSIC代表取締役CEO。主に法人向けにマーケティングPR支援事業と個人向けにキャリアデザイン事業を展開し、自身も国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得。大手広告代理店勤務を経て、33歳で起業。自身が不妊治療と仕事の両立で悩んだ経験や“キャリア迷子”を経て独立した経験から、ワーママや女性のキャリア支援に尽力。会社設立から3か月後、第一子出産。現在は3歳&0歳の娘の子育てと起業に奮闘中。
取材・文/相坂サオリ