現役東大生は子ども時代に何してた?剣道の練習を「独自の勉強法」へ。豊元さんの場合

東大を目指すには有利とはいえない「非進学校」から、彼らはどのように東大に合格できたのか。とりたてて勉強好きではなかったという小学生だった彼らが、中学生以降、自主的に学びはじめ「東大にいく」と決意するまで。その主体性や勉強との取り組みは、どのような環境とストーリーの中で育まれていったのか。
『非進学校出身東大生が高校時代にしてたこと』の著者が取材したシリーズ第三弾です。

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東大合格者の日本一少ない県出身・母子家庭の豊元さんの場合

ここまで紹介した二人は、幼少期の読書体験が、中学生以降の学力や勉強との向き合い方に良い影響を及ぼしていました。最後に紹介するのは、小学生のときは、本を一冊読み通したことがない、自宅学習もした覚えがないという異色の東大生です。

教養学部教養学科3年の豊元慶太朗さんは、甲子園の常連校でもある私立興南高等学校(沖縄県)から4年ぶりの東大合格を果たします。

「東大合格者が日本一少ない沖縄出身で、学習環境は微妙で、母子家庭。僕が東大に合格できるということは、世の中の誰もが東大に合格できるということの証明です」

こう話す豊元さんの受験時代は、まさに「四当五落」(4時間睡眠なら合格、5時間睡眠なら不合格)を地でいく猛勉強。それを支えたのは、5歳から続けた剣道でした。

将来の夢はスーパー戦隊のアカレンジャー

豊元さんの小さい頃の夢は、スーパー戦隊のアカレンジャーになること。4歳の頃、新聞に掲載された剣道クラブの紹介記事のなかで、胴着を着て並ぶメンバーたちの姿がスーパー戦隊のように見え、「かっこいい」と憧れを抱きます。入部が認められる5歳から剣道クラブに所属。竹刀を振り回したいという願望とは反対に、素振り、すり足という基本動作の繰り返し。そんな単調な練習もとにかく楽しくて、大きな声で「め〜ん、め〜ん」と張り切ってやっていたそうです。

「一番小さかったんですけど、元気だったので、すごく可愛がられました。未就学児は、週2の稽古のはずなのに、僕は勝手に週4で通っていました(笑)」

初めて防具をつけたのは小1のとき。アカレンジャーのようにと赤色が基調の防具を選びました。

努力を認め、怠けを叱った母親

それ以来、生活の中心は剣道でした。楽しく通っていた剣道も、小2の頃から練習がどんどんきつくなり、監督から叱られることも増えました。そんなときは「行きたくない」と感じることも。母が仕事のため、放課後は祖父母の家にいた豊元さんは、寝たふりをしたり、体調が悪いとサボってしまうこともあったと言います。

「そのあと、仕事から帰ってきたお母さんにめちゃくちゃ怒られるんです。“お前はただサボっているだけだ。後輩に対して恥ずかしいと思わないのか!”と。自分で決めたことを続けないことに対してすごく厳しかったですね」

できる努力、やるべきことから逃げたときは厳しく叱る。しかし、試合で負けときは、「がんばっていたよ」「あの面がすごくよかったね」ととことんほめてくれる。結果ではなく、努力したことに対して前向きな言葉をかけてくれることが嬉しくて、さらに頑張ろうという気持ちにさせてくれたそうです。

小5では、先輩たちと全国大会優勝を経験し、小6ではキャプテンとしてチームを引っ張る存在となりました。

沖縄以外の都道府県名も知らなかった小学生時代

剣道以外にはまっていたのは、ゲームでした。5歳でゲーム機を買ってもらってからは、時間があればゲーム三昧。やりすぎると注意されるので、朝6時に起きてトイレに隠れてやったり、夜遅くに布団の中でこっそりやることもあったそうです。

「母にはバレていたと思います。でも、もうそこまでしてやりたいのかと諦めていたんじゃないですかね(笑)」

そのため、小学生の頃は、家で勉強したり、本を読んだりしたという記憶がないと豊元さんは言います。成績はというと、通っていた公立小学校での成績は、良い方でした。授業の内容はすぐに理解できるし、「なんでこんなわかりきった内容をわざわざ習うのかな」と感じることもよくあったそうです。

ただ、高学年の頃のクラスは学級崩壊状態。立ち歩く人や教室を出ていく人もいて、落ち着いて学ぶ雰囲気ではありませんでした。上下巻ある国語の教科書は上巻しか終わらない年もあったし、47都道府県名を学ぶ機会がなかったので、日本は「沖縄と内地」、それだけという感覚でした。

中学は剣道の強豪校へ

豊元さんにとって転機となったのは、小5のとき。担任の先生が私立興南中学校フロンティアコースへの推薦入学を勧めてくれたのです。公立中学よりも勉強を頑張れること、また、剣道の強豪校であること理由でした。

「小学校では、毎朝、掃除の時間がありました。クラスの子たちはよくさぼるので、真面目にやっていたのは僕だけ。その様子をみて、担任の先生が、全校優良賞という学校の賞に推薦してくれたこともありました」

推薦入学の決め手は「礼儀」と「真面目さ」

豊元さんの通っていた剣道クラブは、礼儀から始まり、剣道ならではの作法をしっかり叩き込まれます。上級生を見ていても、礼儀や作法がきちんとできている人ほど強い。それができない人はみっともないし、試合でも結果が出せない。だからこそ、自分も礼儀と作法をしっかりやらなくてはと思ってきました。その考えは、普段の生活でも、決められたことを守ることへの執念になったそうです。まわりに流されず、決まりを守る真面目さが認められての推薦入試でした。

それを最も喜んだのは、お母さんだったそうです。金銭的には厳しかったそうですが「車一台買ったと思えばいいから」とローンを組んで興南中学校に進学させてくれました。

剣道も授業も「やるべきことをちゃんと」

中学校でも剣道部に所属。平日は授業前の朝練に始まり、放課後は19時まで練習。休日も午前と午後の練習があり、剣道部にほとんどの時間を費やしていました。小学生の頃、あれほど夢中になったゲームはやる時間がなく、興味をなくしていきました。

中学に入学してみると、小学校とは違う雰囲気があったそうです。それは、勉強をして大学へ行くことが当たり前という雰囲気。そして、みんなが当然のように漢字を書いている。勉強する環境になく、また基礎学力がきちんと身についてない豊元さんは驚いたと言います。

やるべきことをちゃんとやらないのはカッコ悪い。

剣道で培った姿勢で、どんなに疲れていても授業を真面目に受け、多くだされる課題もしっかりこなしていきました。成績は約100人の同級生のなかで、15番くらい。豊元さんとしては、やるべきことをやっているだけで勉強をしているという意識がないのに、たまに一桁の成績をとることもある。

「剣道の時間を全部勉強に回したらもっと上にいけるんじゃないか。一度でいいから1番をとりたい」

そう思うようになりました。また、首里城のボランティアなど地域とつながった活動を経験することで、このまま剣道一色の中高生時代にしたくないという思いも生まれました。

10年続けた剣道をやめる

中3の8月、中学の引退試合を最後に剣道をやめることにしました。10年続けてきた剣道。もったいないと引き止める声もありました。やめても勉強なんてしないと言われたこともありました。豊元さんはそれらの声をはねのけるように、夏休みから剣道部の練習時間を勉強にあてました。すると、夏休み明けのテストでいきなりの学年1位。

やればできる。この思いが、さらなるやる気になりました。

剣道がそのまま勉強にシフトした高校時代

首席で高校に入学。高1のときに志望校を東大としました。

「一番受験科目の多い大学を受験しようと思ったんです。受験科目を減らして勉強をさぼるようになるのが嫌でした。剣道部が竹刀を振っている時間、勉強しなければ、剣道部のみんなに面目が立たないと感じました」

豊元さんには剣道部をやめた負い目が強くありました。剣道部の練習は相当きつい。真夏に防具をつけ、汗をかき、吐きそうになり倒れ込んでも、「立て」と言われ、竹刀でボコボコにやられる。それに比べたら、クーラーのきいた部屋で座っているだけでいい勉強は余裕だったと言います。

剣道のメソッドを取り入れた独自の勉強法

塾に通う金銭的な余裕がないため、独学で東大入試に向けた勉強をはじめました。小さいころから自学自習の習慣がなかった豊元さんですが、独学を進めるにあたっても剣道の経験が役に立ったそうです。

「剣道の練習にはルーティンがあって、ウォーミングアップ、基本の型の練習、体力づくり、そして対戦型の練習と流れがあります。勉強もそれに当てはめて習慣化していきました」

剣道をはじめた頃、素振りやすり足など型を徹底して叩き込まれました。調子が悪いときはいつも素振りの際の剣先がぶれていたそうです。素振りがうまい人は試合でも強い。基礎が大切なのは勉強も同じ。いきなり難問に取り組んで解けるわけがない。基礎を固めてから、難問へ。難問ができなければもう一度、基礎へ戻る。その積み重ねで、東大合格圏まで実力を上げていきました。

“負けに不思議な負けなし”

「剣道をやっているとき、まわりの人がよく言っていた言葉があります。“勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし”。試合に負けたときは、その理由はかならず思いつく。だから、今日やらないことで負けたんだとあとあと後悔したくないんです」

毎日、懸命にやるからこそ自分を信じることができた。今の自分は強いんだと思えた。剣道部時代に培った不屈の精神で、東大合格を勝ち取りました。

「東大で一番頭が悪」くても、他人にはない強みがある

「東大生になり、ほかの東大生とは根底にあるものが違う。小学生から知識の積み重ねがない僕は、そう感じてきました。上京してからも、東京の隣は静岡だと思っていたくらいですから(笑)」

「自分は、東大で一番頭が悪い」、そう思っていると言います。しかし、誰にも負けないものがあるとしたらそれは、一つのことに対して努力すること。その才能は、日本でも優れている方だと感じるようになったと話します。

剣道に熱中した10年を経て、豊元さんは、努力の仕方を理解しました。これから何かを始めるにしてもどう始めたらいいのか、どう進めればいいのかが剣道の経験からわかる。そして、今の自分は頑張れているのかと問いかけるとき。そのときに立ち戻るのも、また、吐きそうになりながら竹刀を振り続けていた小・中学生の時の自分です。

豊元さんは将来は、世界中どこに行ってもリーダーとなれるような人材になりたいと考えています。剣道の経験が豊元さんを東大へ導いたように、彼の将来を切り開いていくはずです。

※記事の画像は本文内の個人・団体と無関係です。

構成・文/太田あや
1976年、石川県生まれ。ベネッセコーポレーションで進研ゼミの編集に携わった後、フリーランスライターに。教育分野を中心に執筆・講演活動を行っている。『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)などの「東大シリーズ」のほか、『超(スーパー)小学生』(小学館)、『東大合格生が小学生だったときのノート/ノートが書きたくなる6つの約束』(講談社)などの著書がある。

作・太田あや小学館本体1300円+税

有名進学校からの合格者が極端に多い東京大学。そんな東大に「東大非進学校」から合格した現役東大生11名にインタビュー。 高校の授業のカリキュラムや指導ノウハウが整っておらず、周囲に競い合う仲間やライバルもいない環境で、彼らはどのように東大合格を果たしたのか。 「模試で校内偏差値は114なのに東大はC判定」「東大受験を担任に反対された」などのエピソードを取り混ぜながら、 それぞれの勉強法や役に立った参考書や問題集、予備校の活用法、勉強に適した環境づくりなどの情報も網羅しています。

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