歴史の授業などで、「大宝律令(たいほうりつりょう)」という名前を聞いたことがあるかもしれません。しかし、その内容まで詳しく知っている人は、少ないのではないでしょうか? そこで、法典が成立するまでの経緯や、定められた内容について紹介していきます。
大宝律令とは
大宝律令とは、どのようなものなのでしょうか? 大宝律令の概要と、その後に制定された「養老(ようろう)律令」との違いも解説します。
701年に施行された法典
大宝律令は701年、文武(もんむ)天皇により施行された法典です。この法典の施行によって、刑法・行政法・民法が日本で初めてそろいました。唐(とう)の律令制度を見本に作成され、施行が大宝元年であったことから、大宝律令と呼ばれています。
律令の「律」とは刑法のことで、罪を犯したときに、どのような刑罰が与えられるかを示したものです。「令」とは行政法・民法のことで、国や政治の仕組みや税などについて定められています。
この律令は、律が6巻、令が11巻の計17巻で構成されていました。現在、大宝律令そのものは残っておらず、さまざまな文献などから内容が推定されています。
養老律令との違い
大宝律令に関連する法典の一つが、養老律令です。編纂(へんさん)は、右大臣「藤原不比等(ふじわらのふひと)」の主導で行われました。
大宝律令より後に制定されたものですが、全く新しい内容ではありませんでした。養老律令を編纂した藤原不比等は大宝律令の編纂にも関わっていますが、大宝律令には少し不備があったとされています。この不備を修正し、新たに制定されたのが養老律令です。
養老律令の制定は718年(養老2)という説がありますが、定かではありません。720年(養老4)に藤原不比等が亡くなったことなどから作業が停滞したとされており、757年(天平勝宝9)に施行されています。
大宝律令成立までの流れ
それでは大宝律令は、どのような経緯で成立したのでしょうか? 成立するまでの背景や、編纂に関わった人物についてみていきましょう。
中央集権国家の確立が目的
大宝律令が制定された背景には、大きな目的として「中央集権国家の確立」があります。日本では当時、徐々に朝廷による支配が行われるようになっていました。しかし、地方豪族の力がいまだに強く、内乱も絶えず、安定した体制とはいえない状態が続いていたのです。
このような状況では、力を増してきていた唐・新羅(しらぎ)などの外国から攻め入られたときに対抗することができません。国を一つにまとめ、国力を高めるには、天皇中心の体制を作ることが大切で、そのために律令が必要だと考えられました。
681年に天武(てんむ)天皇が律令制定を命じたことから、本格的な律令の制定に取り組むことになったのです。
最初は「令」のみ制定
唐にならって、日本でも律令制度を取り入れようという動きは、天智(てんじ)天皇のころから見られるようになりました。天智天皇と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が制定した「近江令(おうみりょう)」が、日本で初めて制定された令とされています。
また、その後、持統(じとう)天皇によって「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」も発布されました。しかし、あくまでも令のみで律はなく、唐にならいすぎていて、日本にはなじまない箇所もあったといわれています。
編纂に関わった中心人物
大宝律令の編纂は、「刑部親王(おさかべしんのう)」と藤原不比等の2人が中心となりました。刑部親王は律令制定を命じた天武天皇の第9皇子で、藤原不比等は近江令を制定した中臣鎌足の次男です。
刑部親王が編纂事業をまとめるリーダーではありましたが、実質的な作業は、藤原不比等が中心となって進められていきました。
この2人を含め、全員で19人が大宝律令の編纂に関わったとされています。編纂のメンバーには、唐出身の官僚や渡来系氏族などが多く含まれていました。
大宝律令の内容
日本初の律令である大宝律令は、どのような内容だったのでしょうか? 律と令、それぞれについて、定められた内容を詳しく紹介します。
律の刑罰について
律では、「五刑八逆(ごけいはちぎゃく)」について示されています。五刑とは「笞(ち)刑・杖(じょう)刑・徒(ず)刑・流(る)刑・死刑」の五つで、罪を犯したときに与えられる罰のことです。
笞刑は細い棒で打つこと、杖刑は太い棒で打つこと、徒刑は懲役刑(最大3年)を指します。流刑は、近流(こんる)・中流(ちゅうる)・遠流(おんる)と3段階ある島流しで、死刑は絞首刑と斬首(ざんしゅ)刑の2種類です。
貴族は金銭を納めることで、五刑を免除される場合もありました。しかし、八逆と呼ばれる重大な犯罪、謀反(むへん)・謀大逆(むだいぎゃく)・謀叛(むほん)・悪逆(あくぎゃく)・不道(ふどう)・大不敬(だいふけい)・不孝(ふきょう)・不義(ふぎ)を犯した際には、貴族でも許されず、死刑になることが大半だったとされています。
中央政府の仕組み
中央政府の仕組みとして、「二官八省(にかんはっしょう)」の官僚体制が作られました。二官とは、国政を担う「太政官(だいじょうかん)」と、祭祀(さいし)を担う「神祇官(じんぎかん)」です。神祇官は新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)を執り行ったり、全国の神社の管理を担ったりしていました。
国政を担当する太政官の配下は、さらに細かく分類され、これを八省と呼びます。八省は左弁官局管轄の中務(なかつかさ)省・式部(しきぶ)省・治部(じぶ)省・民部(みんぶ)省と、右弁官局管轄の兵部(ひょうぶ)省・刑部(ぎょうぶ)省・大蔵(おおくら)省・宮内(くない)省です。
その他にも、役人を監視するための弾正台(だんじょうだい)、都の警備を行うための五衛府(ごえふ)の設置も定められています。
地方行政の仕組み
地方行政の仕組みとしては、「国郡里制(こくぐんりせい)」と「五畿七道(ごきしちどう)」を理解しておきましょう。
国郡里制とは、日本を60程度の国に分割し、さらにその国を郡・里に分割していく仕組みです。里長(りちょう)は地域の力のある農民が務め、郡司には地方の豪族が選ばれ、国司は中央から派遣される貴族が務める形で地方を治めました。
国のうち、都周辺の五国(大和国・山城国・摂津国・河内国・和泉国)は五畿と呼ばれます。その他の国々は七道(東海道・東山道・山陽道・山陰道・北陸道・南海道・西海道)に区分されました。
都と各地方をつなぐ道路は、七道と同じ名前で呼ばれ、現在も東海道などの名称として残っています。
税制度の仕組み
税を徴収する体制は、以前から徐々にでき上がってきていましたが、大宝律令で正式にまとめられました。大宝律令で定められた税の種類について解説します。
地方と中央へ納める税
当時の税制度は、「祖(そ)」「庸(よう)」「調(ちょう)」などの物を納める税と、「雑徭(ぞうよう)」という労働で納める税がありました。この中で、祖と雑徭は地方に対して納める税です。
祖は収穫した米の約3%、雑徭は各地方において土木工事などに従事する形でした。日数は年齢によりますが、最大で年間60日にもなったとされています。その間の給料や食料の支給はなかったため、ただ働きのような状態でした。
庸と調は、中央に納める税です。庸は麻布で納めますが、都(みやこ)で年間10日労働する「歳役(さいえき)」に代えることも許されていました。調は地方の特産物を納めます。都に物を納める際には、たとえ遠方からでも都まで運ぶ必要があり、これも農民には大きな負担だったといわれています。
兵役で納める税
兵役で納める税は、「軍団(ぐんだん)」「衛士(えじ)」「防人(さきもり)」の3種類です。
軍団は地方の警備で10日間、衛士は都の警備で1年間ですが、防人は九州の警備を3年間という長期間、兵役に就く必要がありました。また、任地までの交通費や食料は自費で、非常に負担は大きかったといわれています。
なお、兵役は成人男性のみに課されるもので、女性にはその義務がありません。そのため、税負担を軽くする目的で、戸籍にのせる性別を偽ることもあったようです。
大宝律令は日本初の本格的法典
大宝律令は、日本で初めて、刑法・行政法・民法がそろった本格的な法典です。この法典が制定・施行されたことで、天皇が中心となって人民や土地を支配する中央集権化が、強力に推し進められることになりました。
古代日本の国家体制の礎となった大宝律令について理解し、知識を深めましょう。
もっと詳しく知りたい方のために
大宝律令のころの時代背景をもっと知りたい方のために、参考図書をご紹介します。
小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史2「飛鳥の朝廷」
大陸からわたってきた仏教は、日本にどのような影響を与えたのか。聖徳太子が行った政治とはどのようなものだったのか。等々、古代日本の国家づくりの流れを追いながら、大宝律令ができる以前の歴史の流れを一望できます。また、日本神話をわかりやすく解説したり、日本中に残る古墳についても紹介していますので、今につながる古(いにしえ)の名残を知ることができます。
小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史3「奈良の都」
いよいよ都が奈良に定められ、律令制度をはじめとする古代国家の体裁が整いはじめます。海を渡ってきた仏教とその広がり、大仏建立までのあらまし、貴族や庶民の生活や文化など、緻密な時代考証をもとにまんがで再現しています。奈良時代の「天平文化」や万葉集などのなりたちについても、図版や写真でわかりやすく解説。
山川出版社 日本史リブレット「律令制とはなにか」
大宝律令のねらいである「律令制」とはなにか。古代日本と隋や唐との律令法の比較研究を盛り込みながら、天皇制の唐風化や、奈良時代中期から平安時代にいたる中国風の儀礼の伝来について解説。日本の歴史の基礎となった古代国家の様相をひもときます。
構成・文/HugKum編集部