経済的支援制度がある私立中学は実は多い
しばらく塾を休んでいた島津順くんが黒木を訪ねる。母親と二人暮らしになったら経済的にとても私立中学に通うことなど無理になるから、中学受験をあきらめるというのだ。それは自分の意志だとも言う。
が、同時に、「先生、最後にちょっと見てほしいものがあるんです」と言って、島津くんは、開成の過去問の答案を、黒木に見せながら、その問題をどうやって解いたのかを嬉々として語る。黒木は「鮮やか!」と言って、中学受験をあきらめると言いに来た生徒のノートに、大きな花まるをつける。そのときの目も、あの慈しみ深い目だ。
島津くんは「やった! 超うれしい!」と目を輝かせる。子どもが、自分にとって本当に大切なものと出会ったときにだけ見せる目の輝きだ。そして島津くんは「やっぱ最高だよね、開成の問題。こんな問題出す学校にチャレンジしたかったなあ」とつぶやく。
中学受験の世界をあまり知らないひとたちにはこのシーンが、現実にはあり得ない完全な作り話に見えるかもしれない。でも、入試問題は学校からのラブレター。そのメッセージを受け取り、その学校に行きたいと本気で思う中学受験生は、実際にたくさんいる。ラブレターへの返事を書くかのような気持ちで、解答用紙に向かっているのだ。島津くんの父親が「苦行」として大学受験勉強に取り組んでいたのとは大きな違いだ。
そこに島津くんの母親も現れる。開成には、経済的な理由で学費を払うことが難しい生徒に対する奨学金制度があることを、黒木は母親に伝える。合格さえすれば、島津くんにも開成に通うチャンスがあるということだ。
この奨学金制度は実際に存在する。同窓会が中心となって資金を募り、まずは高校からの入学者を対象に、2015年度から運用を開始した。2020年度からは中学受験生にも対象が広がった。
また、開成のような奨学金制度ではなかったとしても、入学後、経済的な理由で学費納付が困難になった家庭に対する経済的支援制度は、実は多くの私立学校が用意している。縁あって一度仲間になった生徒なら、卒業までみんなで支えよう、困ったときはお互い様というわけである。
「経済的な理由は、順さんが開成受験をあきらめる理由にはならない」と言う黒木に対し、母親は「受験はそもそも主人……父親が無理矢理やらせてただけ」と返すが、順くんは「無理矢理って訳じゃないよ、ママ。本当は、本当は、自分の力を試したい。俺、開成受験したい」と訴える。
島津家を演じる俳優陣の表現力は圧巻
順くんを演じる羽村仁成さんの演技がすばらしかった。大きな不安や恐怖を感じながらも自分を奮い立たせて、高い壁に挑もうとする少年の内なる闘志を見事に表現していた。
私の知る限り、順くんのようなトップクラスの生徒でなくても、一見やる気がなさそうに見える子どもでさえ、多くの中学受験生がその闘志を内に秘めている。努力が報われないかもしれない不安に押しつぶされそうになりながらも、その不安を打ち消すために努力を続ける。まるで映画「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公・フロドや、漫画「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎の鬼気迫る想いと同じなのだ。
内なる闘志に照らされるわが子の横顔を見たとき、中学受験生の親は、「これだけ頑張っているんだからなんとか報われてほしい」と切に願う一方で、「これだけ頑張れるようになったんだから、結果なんてもうどうでもいい」と思えてしまう、アンビバレントな感情にたどり着く。結果の如何にかかわらず、中学受験を笑顔で終えられた親にはこの点が共通している。そのときの親の感慨を、母親に扮する遠藤久美子さんがこれまた見事に演じきっている。
原作では、中学受験からの撤退を訴える島津くんの母親に黒木が語りかける問いが重い。「順さんにどんな人間になってほしいのか」「『既に開成に挑んでいる順さん』の気持ちはどうするんですか?」「我慢も無理もする必要はありませんが、受験は続けたほうがよろしいかと」。
そう、中学受験をするからといって、できない我慢や無理をする必要はないのだ。あくまでも子育てという壮大な営みの一部として中学受験という機会を利用するのであって、そこから得られるものは「合格」という結果だけではない。そんなことを改めて考えさせられる話である。
ドラマではこのあと、島津順くんが会社帰りの父親を待ち伏せして、自分の力で開成合格を勝ち取ってみせると宣言するシーンがある。注目すべきはそこでの父親の表情だ。自分が思い描いていたのとはまったく違う形で順くんが人間的成長を遂げていることを目の当たりにして、中学受験に挑戦する本当の意味に気づいたような様子が見てとれた。これを表現する金子貴俊さんの演技も見事だった。中学受験に挑戦する本当の意味については、ぜひ拙著『なぜ中学受験するのか?』も参照されたい。
次回予告には、上杉海斗くんが「どうしてママは僕たちの向いている向いていないを決め付けるの?」と言うセリフがある。そう。「うちの子に向いている学校はどうやったら見つかるでしょうか?」などと問われることも多いが、そもそも親であったとしても、わが子の向き不向きがどうしてわかるのか。それ自体が思い込みであることも多い。
また、灰谷が黒木に「何があなたを変えてしまったのですか?」と問うシーンもある。一見、責めているようにも見えるが、見方を変えると、師に教えを請うているようにも見える。冷徹な合格請負人だった黒木がどうして無料塾の「スターフィッシュ」を熱心に運営し、桜花ゼミナールに転職したのか、そのいきさつが次回、明かされるのではないだろうか。予想が外れたらごめんなさい。
ドラマの第5回を見逃したというひと、もう一度見たいひとは、ネットサービス「TVer」で、12月11日21:59まで視聴可能だ。ドラマ公式ホームページでは「第8回」のダイジェスト動画が見られる。「第9回」を予習したい人は、「次回予告」をどうぞ。
文/おおたとしまさ
『二月の勝者 -絶対合格の教室-』第9話は12月11日(土)夜10時より放送/日テレ系列
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ビックコミックスピリッツで大ヒット連載中の中学受験漫画『二月の勝者-絶対合格の教室-』と気鋭の教育ジャーナリストのコラボレーション。「中学受験における親の役割は、子どもの偏差値を上げることではなく、人生を教えること」と著者は言います。決して楽ではない中学受験という機会を通して親が子に伝えるべき100のメッセージに、『二月の勝者』の名場面がそれぞれ対応しており、言葉と画の両面からわが子を想う親の心を鷲づかみにします。