学問の神といわれる菅原道真。気になる生涯や逸話について学ぼう【親子で歴史を学ぶ】

菅原道真は学問の神様として知られる人物です。子育て中の人なら、いつかあやかりたいと思うこともあるでしょう。道真の人物像を学んでからお参りに行けば、より良いご利益が得られるかもしれません。道真の生涯や有名な逸話、神様になった経緯を解説します。<上画像・神奈川県・久里浜天神社の牛乗り天神像>

菅原道真とは

「菅原道真(すがわらのみちざね)」とは、どのような人物だったのでしょうか。活躍した時代や職業について見ていきましょう。

平安時代に活躍した学者・政治家

道真は、平安時代の貴族で、学者や政治家として活躍した人物です。代々学者の家に生まれた道真は、幼い頃から大変賢く、和歌や漢詩も得意としていました。

教養豊かな道真は、民衆に慕われており、天皇からも信頼されます。朝廷でも順調に出世を重ね、最後は右大臣まで昇進しました。

しかし、あまりに有能であったのをライバルに妬まれ、陰謀によって九州に左遷されてしまいます。そのまま無念の死を遂げた道真でしたが、後に祀(まつ)られ、学問や文芸の神様として全国各地で信仰されています。

菅原道真の生涯

菅原道真の人生は、常に学問とともにありました。誕生から晩年までの生涯を見ていきましょう。

京の都に生まれ、幼くして才を発揮する

道真は845(承和12)年6月、京都の中流貴族の家に生まれます。曽祖父は高名な学者で、祖父は私塾を創設するなど、菅原家は学問を生業(なりわい)とする家柄でした。道真の父も、幼い頃から詩の才能を認められています。

道真もレベルの高い教育を受けて育ち、5歳のときに和歌を詠むなど、その才能は周囲から神童と呼ばれるほどでした。

道真は18歳のとき、現在の大学生に相当する「文章生(もんじょうしょう)」試験に合格します。菅原家の中でも、道真ほど若い年齢で合格した人はおらず、その秀才ぶりがうかがえます。

学問の神様・菅原道真(イメージ)

学者として最高位の文章博士に

文章生となった道真は、ますます勉学に励み、優秀な成績を残しました。33歳のときには、学者として最高位の「文章博士(もんじょうはかせ)」に任命されています。

文章博士は、現在の大学教授と同程度の地位と考えられています。30代前半で大学教授になったと考えれば、大変な速さといえるでしょう。

37歳のときに父親が亡くなると、菅原家の私塾経営も引き継ぎ、優れた学者を多く世に出しました。なお道真は、学問だけでなく武道にも才能を発揮しており、弓は百発百中の腕前だったと伝わっています。

右大臣に出世

やがて、道真は宇多天皇(うだてんのう)の信頼を得て、政治家として活躍するようになります。894(寛平6)年には、道真の提言により、長く続いた遣唐使(けんとうし)の停止が決まりました。

次の醍醐天皇(だいごてんのう)の代には、左大臣に次ぐ役職・右大臣に就任します。貴族とはいえ、一介の学者がここまで出世することは、当時としては異例でした。

このため、左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)をはじめ、道真の出世を快く思わない有力貴族も多かったようです。

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大宰府への左遷から晩年まで

道真の有能ぶりを脅威に感じた左大臣の藤原時平は、なんとかして道真を右大臣の座から引きずり降ろそうと企みます。

このとき、道真の娘は、醍醐天皇の弟・斉世親王(ときよしんのう)の妻になっていました。そこで時平は、「道真が醍醐天皇を廃して、義理の息子の斉世親王を即位させようとしている」と、根も葉もない噂を天皇の耳に入れたのです。

驚いた天皇は、道真を右大臣から降格させ、大宰府(だざいふ)の役人として都から遠く離れた九州へ行かせてしまいました。

現地での暮らしは厳しく、衣食もままならなかったといいます。左遷から2年後に、道真は病気になり、都へ帰ることなく59歳の生涯を終えました。

菅原道真に関するエピソード

菅原道真には、多くの人から慕われていたことを示すエピソードが残っています。代表的な話を二つ見ていきましょう。

菅原道真と牛との関係

道真を祀る神社に行くと、必ず座った牛の像が迎えてくれます。牛は道真の使いで、頭をなでると賢くなり、傷や病気の部分をさすると症状が良くなるとして、参拝客に人気です。

太宰府天満宮・延寿王院前の「御神牛(ごしんぎゅう)」(福岡県太宰府市)。全国各地の天満宮に祀られている「臥牛像」のことで、「なで牛」「使い牛」ともいう。「北野天神縁起絵巻」(国宝、北野天満宮蔵)では、牛車で道真公の亡骸(なきがら)を運ぶ途中、牛がうずくまっている横で、埋葬するための穴を掘る絵が描かれている。

 

牛が使いになった理由は、以下のように諸説あります。

・道真が丑年(うしどし)に生まれ、丑の日に亡くなった
・道真の遺骸を牛車(ぎっしゃ)で運ぶ途中で、牛が座り込んで動かなくなったため、その場所に埋葬した
・道真が牛をかわいがっていた
・大宰府へ向かう途中、刺客に襲われた道真を牛が守った

いずれにしても、道真と牛との間には深いかかわりがあり、長い年月を通して、さまざまな形で伝承されたことが分かります。

菅原道真と飛梅伝説

もう一つのエピソードは「飛梅(とびうめ)伝説」です。太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)には樹齢1,000年以上の古い白梅の木があり、ご神木として祀られています。

この梅には、京都の道真の屋敷から、一晩で九州まで飛んできたという伝説があるのです。

身に覚えのない罪を着せられ、突然九州行きを命じられた道真は、京都を離れる前に大好きだった梅の木に向かって別れの歌を詠みました。

「主(あるじ)の私がいなくても、春を忘れず九州まで香りを届けておくれ」という内容でしたが、梅の木は道真の側(そば)にいたいと願い、ついてきたのです。

この梅については、京都の屋敷の庭から知り合いが運んできたもので、京都とのつながりを隠すために道真が飛んできたことにしたとの説もあります。

菅原道真が神社に祀られる理由

菅原道真はいつ頃から、どのような事情で、神社に祀られるようになったのでしょうか。「学問の神様」とされる理由も合わせて解説します。

死後、怨霊として恐れられた

道真が亡くなって間もなく、都では藤原時平をはじめ、道真の左遷にかかわった人が不審な死を遂げます。日照りや洪水、落雷といった異常気象が多発し、疫病も流行しました。

相次ぐ異変に、都の人々は道真の祟りではないかと噂します。朝廷は左遷を取り消して道真の名誉を回復しますが、異変は一向におさまりません。

間もなく、醍醐天皇も宮中への落雷に関するショックで亡くなってしまいました。怨霊を鎮めるために、人々は大宰府や京都の北野(きたの)に神社を建て、道真を祀ることにしたのです。

北野天満宮「三光門(さんこうもん)」(京都市上京区)。1607(慶長12)年に豊臣秀頼が造営した中門で、楼門と拝殿の間に立つ。ひときわ壮麗な造りと、正面に掲げられた後西(ごさい)天皇ご宸筆(しんぴつ)の「天満宮」の勅額(ちょくがく)によって、北野天満宮のシンボル的な存在となっている。

学問の神様として祀られることに

時が経つうちに、怨霊の要素は薄れ、道真は学問の神様として祀られるようになります。

学者の家に生まれ、自身も優秀な学者だったことが主な理由です。和歌が上手だった道真にあやかり、和歌や連歌(れんが)、書道をたしなむ人からも支持されています。

また、怨霊の道真は、落雷や洪水といった自然現象を起こして都の人々を恐れさせたため、自然を司る神として、農民からも信仰の対象とされます。

道真を祀ることは、五穀豊穣(ごこくほうじょう)につながると信じられ、各地に神社や祠(ほこら)が造られていきました。

菅原道真が祀られている神社

道真を祀る神社は、「天満宮」「天神社」「菅原神社」「老松(おいまつ)神社」などと名付けられ、全国に1万社以上存在します。

天満宮や天神社の名称は、道真の神号が「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」であることが由来です。

特に有名なのが、北野・太宰府・防府(ほうふ)の「日本三大天神」です。防府天満宮は、道真が大宰府に向かう途中で立ち寄った場所に立っています。関東では湯島・亀戸・谷保(やぼ)の三社が有名です。

子どもが受験に臨む際などは、近くの天神様を探して、お参りに行ってみるとよいでしょう。

谷保天満宮(東京都国立市)。関東三大天神の一つ。道真公が大宰府に左遷の折、三男・道武は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に配流された。父の死の報に、道武は父を祀る廟を建てて鎮座したのが創建とされる(903)。1181(養和元)年、甲州街道沿いの現在地に神殿を遷(うつ)した。東日本において、最も古い天満宮である。

天神様として親しまれている菅原道真

菅原道真は中流貴族であるにもかかわらず、学問を武器に右大臣にまで出世した実力派です。道真を妬んで政界から追い出した貴族たちも、死後の世界にまでは手を出せなかったのでしょう。

無実の罪を着せられて亡くなったことで、かえって道真は神聖な存在となります。死後1,000年以上も学問の神としてたたえられ、「天神様」と親しまれていることを知ったら、本人も驚くかもしれませんね。

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構成・文/HugKum編集部

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