体外受精に至った経緯
HugKumではこれまでも、男性目線の不妊治療を紹介してきました。今回の取材相手は現在、2人のお子さんを大阪で育てるgentaさんの話です。
「子育て」と書いたとおり、結果から言えば、gentaさん夫婦は2人の命を授かった形になります。しかし、今から10年ほど前にご夫妻は、体外受精まで経験した過去をお持ちです。
一般的に、不妊治療は、幾つかのステージに分けて考えられます。
通院治療
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人工授精
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体外受精(場合によっては顕微授精)
段階を進むごとに、「治療」の意味合いが強くなり、負担や難易度も増していきます。gentaさんの場合は通院治療・人工授精を経て体外受精まで進みましたが、そもそも治療を始めたきっかけ何だったのでしょうか。
「正直に言うと結婚当初は、子どもづくりにそれほど積極的だったわけではありません。営みを続けていくうちに、自然に授かると考えていました。
しかし、3年ぐらいたって、なかなかできないとなった時に、いよいよ妻が心配し始めて、家から車で30分ほど離れた場所にある有名な不妊治療専門クリニックに通院を始めました」(gentaさん)
「手伝い」の感覚が抜けなかった
スタートは、他の人と同じく通院治療(病院指導のタイミング法)からです。そのクリニックは大変有名で、予約を取っても数時間待ちが当たり前。そこで当時、gentaさんの奥さまは正社員の仕事を辞め、不妊治療に専念しました。
「正直に言いますが、このころはまだ私は、不妊治療に積極的ではありませんでした。いわゆる『手伝い』に近い感覚です。
病院の指示に従ってタイミングを見て営む夫婦生活とは別に、自然な感情で行為に及ぶ場合もあります。しかし、拒否されると『やることやらずに騒ぎ立てて、お金をかけて不妊治療なんてばかげている』などと感じる瞬間も正直ありました。
妻が仕事を辞め、経済的にも自分一人で支えなければいけない状況も重なり、過剰に反応していたのだと思います」(gentaさん)
通院治療で結果が出ず、人工授精(男性の精子を採取し、母体に授精する)へ進むとなった時も、gentaさんは「手伝い」の感覚が抜けなかったと言います。
「もちろん、通院には全部付き合っていましたし、妻のサポートも心掛けていました。
しかし結局、うちの場合は5回の人工授精をしても、生理が来てしまいました。人工授精の失敗のたびに、はれ物に触る感じで接していた記憶があります。
そうした経験を繰り返し、お金を使い続け、移動や待ち時間で通院のたびに何時間も費やしているうちに疲れてしまい『これ、意味あるのか』とお互いに言い出して、いったん治療を休みました」(gentaさん)
22個のうち18個の卵子が受精
その後は、自然に任せて夫婦の営みを続け、妊娠を待ったそうです。しかし結局は、毎月の生理が来る「リセット」のたびにへこむ日々が続き、体外受精を決断します。
体外受精とは何をするのでしょうか。gentaさんの場合は、
- 採卵する(妻)
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- 精子を提供する(夫)
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精子をふりかける(病院)
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受精した卵子を培養する(病院)
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受精卵を子宮内へ移植する(病院)
といったプロセスを経たそう。
「採卵の方法もいろいろあるみたいですが、妻の年齢を考え、母体にちょっと無理がかかるものの、多くの卵子を一気に採取してもらいました。その結果、22個の卵子が採取できました。
その22個に、私の精子をふりかけてもらうと、18個の卵子が受精します。その18個を今度は9個・9個に分け、それぞれを短期(2~3日)・長期(5~6日)で培養してもらいます。
これらの作業は培養士(正確には胚培養士)が担当します。すごく腕のいい方だったので、最終的には、短期培養した9個のうち、良好な受精卵(初期胚)を7個、長期培養した9個のうち、着床率の高い受精卵(胚盤胞)を3個用意できました。
いったんそれらを全て凍結し、卵子の採取でダメージを受けた母体の回復を待って、3個のうち1個の胚盤胞を溶解し、母体に戻しました」(gentaさん)
「陽性だったよ」とメール
その後は、クリニックの管理するスケジュールに沿って結果を待ちます。
受精卵を母体に戻してから2週間弱したころに、クリニックが妊娠の有無を判定します。gentaさんは、仕事の都合で立ち会えなかったため、その時は、奥さま1人で結果を聞き行ったそう。
「妻からの連絡はメールで夕方に来ました。『陽性だったよ』と。この『陽性』を一部では『妖精』と呼んで、『妖精が来てくれたよ』と表現する方もいるみたいです。うちの場合は、絵文字もなくテキストだけの文面でした。
後から聞いた話ですが、受精卵を戻した後、なんとなく妻は『妊娠した』と分かっていたみたいです。しかし、一喜一憂しないように、黙っていたみたいです」(gentaさん)
その日、gentaさんは自宅に戻り「良かったな」と奥さまに伝えそう。
実はgentaさん、不妊治療に対する「手伝い」感覚が消え、主体的な意識が芽生えたタイミングは、意外にもこの妊娠後だったのだとか。
「妊娠後の検査で、わが子の胎のうのエコー写真を見て初めて、『一緒に治療を受けている』という感覚が芽生えました。遅まきながら、そこから自分で情報を調べるようになり、ネットの『検索魔』になってしまったくらいです。
そのせいで、わが子が生まれてくる瞬間まで、ネガティブな情報に振り回されてずっと不安でした」(gentaさん)
「手伝い」感覚からの目覚めには行動が大事
お子さんの誕生日は2013年8月。2008~9年ごろに不妊治療がスタートしてから、さまざまなサポートを心掛けてきたものの、本当の当事者感覚の芽生えは妊娠後だったとの話。そんなgentaさんだからこそ、同じような境遇にある男性たちに伝えたい思いがあるそうです。
「自身が強く子どもを望まれている場合や、男性不妊が原因である場合を除けば、不妊治療は男性にとって『自分ごと』になりにくい面があると思ってます。
思えば、胚盤胞(細胞分裂を繰り返し着床可能になった受精卵)を母体に移植する日も、妊娠の有無を確定する判定日も立ち会っていません。
一方で、2人目の不妊治療の時は、主体的な自覚を持ち始めた後だったので、仕事をなんとか調整してでも立ち会いました。
不妊治療って、男が思っている以上に女性の負担は大きいと思います。一緒に取り組むべきだと頭で分かっていても、自分は協力的だと思っていても、足りていない場合もあるはずです。
そう考えると、『手伝い』感覚から男性側が早々に目覚めるきっかけを持てると理想的です。
男性にとって、何がスイッチになるかは分かりません。しかし、何かがスイッチになるはずです。私の場合は、遅まきながら、わが子のエコー写真でした。
不妊治療の経験から言えば、多少無理をしてでも、面倒臭くても、奥さまの通院にとりあえず付き合うなどの「行動」が大事になってくると感じます。とにかく「行動」を続けているうちに「スイッチが入る瞬間」がやってくるはずです。
その上で、夫婦二人三脚で不妊治療を乗り越え、皆さまなりの結果を手にしていただければと願います」(gentaさん)
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以上、gentaさんの不妊治療について紹介しました。gentaさんは現在、2人のお子さんを育てています。体外受精で授かった2人目の妊娠については下記の関連記事をご確認ください。
この記事シリーズが、新たな命の誕生を待ち望む人たちの道しるべや心の支えに少しでもなればと、心から祈ります。
▼gentaさんの不妊症治療のリアル「2人目」の場合
パパ目線の不妊治療、別ケースの記事はこちら
【gentaさんのブログ】
取材・文/坂本正敬
参考:『家庭医学書 医学館』(小学館)