アフガニスタンとは?
まずは、アフガニスタンの基本情報を押さえておきましょう。
どこにある国?
アフガニスタンは、南アジアおよび中央アジアに所在する国です。北はトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、東は中国、南にかけてはパキスタン、西はイランと隣接しています。
基本情報
正式名称
アフガニスタン・イスラム共和国
首都
カブール
人口
3,890万人
面積
652,225平方キロメートル
言語
ダリー語(ペルシア語系)、パシュトー語
民族
パシュトゥン人(40%)、タジク人(25%)、ハザラ人(20%)
宗教
イスラム教
(スンナ派)
アフガニスタンの歴史|先史時代から現在に至るまで
ここでは、先史時代から現在に至るまでのアフガニスタンの歴史をざっくりとお伝えしていきます。
「文明の十字路」と呼ばれた先史時代
アフガニスタンには10万年前頃から人間が住み、紀元前7000年からは新石器の文化があったといわれます。紀元前3000年から2000年にかけては、農耕文化の発展を背景に、ナイル、ティグリス・ユーフラテス、インダスといった河畔に都市文明が生まれつつありました。
さまざまな地域と面していることからアフガニスタンは「文明の十字路」と言われ、先史時代からイラン高原やメソポタミアの諸文化、インダスの文明と交流があったと考えられています。
紀元前6世紀中頃になると、イラン高原に興ったアケメネス朝ペルシア帝国が進出し、この地域はその支配を受けました。
アフガン王国の幕開け
紀元前3世紀には、ギリシア人が入植して、ヘレニズム国家のひとつであるバクトリア王国が成立。マウリヤ朝インド人による征服を経て、この地域では何世紀にもわたって仏教とヒンドゥー教が栄えます。
その後も、この地域はイラン人のササン朝ペルシアの支配やモンゴル帝国等、周辺の各勢力からの支配を数多く受け続けました。そんなアフガニスタンが独立した王国としての歴史を幕開けたのは、1747年、アフマド・シャー・ドゥッラーニーが総督(アミール)になってからのことです。
イギリスによる支配
1838年になると、当時インドを支配していたイギリスが、アフガン侵略を目的にアフガン戦争を開始。一度はアフガン王国が勝利したものの、1878年の第2次アフガン戦争の結果、この国はイギリスの保護国化を受け入れることとなりました。
第一次世界大戦後、インドでの反英闘争が激化したことをうけて、アフガン王国も独立を目指すようになります。1919年5月にはイギリス領インドに侵攻し、第3次アフガン戦争が勃発。1ヶ月にわたる戦闘を経て、両国は1919年8月8日にラワルピンディー条約を締結し、アフガニスタンは独立を回復することとなりました。
民主共和国化と紛争
第二次世界大戦後、隣国パキスタンとの国境問題をきっかけにソ連との関係を深めていったアフガン王国は、1978年には人民民主党政権を成立させ、国名をアフガニスタン民主共和国へと変更します。
しかしながら、反発するイスラーム原理主義勢力によるゲリラ戦が展開され、さらに、ソ連軍がそれを弾圧しようとしました。以来9年におよぶ戦闘へと拡大しましたが、結局ソ連軍はイスラーム原理主義勢力を抑えることができず、ゴルバチョフ政権のもとで、1989年にアフガニスタンから全軍を撤退させました。
内戦とタリバン政権の台頭
ソ連軍は撤退したものの、共産勢力とイスラーム勢力の各部族がそれぞれ武装集団を造り、権力を争うアフガニスタン内戦が激化します。
その中で、パキスタンをはじめとした近隣諸国が介入したことで、厳格なイスラム原理主義勢力のタリバンが急速に力を持ち始め、2000年までには国土のほぼ90%を支配しました。
タリバン政権は厳格な宗教理念に基づいており、聖者崇拝を禁止し、歌や踊りなどの娯楽や、女性の教育を否定する理念を国民に強制するものでした。
近年〜現在のアフガニスタン
2001年9月11日に「9・11同時多発テロ」が起きると、アメリカはその首謀者で国際テロ組織アルカイダのビン=ラディンをタリバン政権がかくまっているとして、その引き渡しを要求しました。
タリバン政権が拒否したことを受けて、アメリカとイギリスは同2001年10月7日、アフガニスタンに攻撃をはじめます。このアフガニスタン戦争によってタリバン政権は衰退。
開戦から20年目を迎えた2020年に、アフガニスタンからの撤兵を公約に掲げて大統領になったトランプ氏と、その後に続いたバイデン氏によってアフガニスタン戦争は終戦することとなります。
しかしながら、2021年にタリバン政権は復活します。このことによって、娯楽や女性にまつわる道徳は取り締まられ、公園やジム、美容院の利用も禁止されてしまいました。当時も多くの民衆がアフガニスタンを脱出しようとして混乱が生じましたが、今後もさらなる難民が生じると予想されています。
特徴や文化から見るアフガニスタンの魅力
多くの課題を抱える一方で、興味深い文化を持つアフガニスタン。ここでは、アフガニスタンの食べ物や文化、スポーツなどに目を向けてみましょう。
アフガニスタンで有名なもの
アフガニスタンの名産といえば、ラピスラズリやターコイズなどの宝石や、北部のトルクメン族によって手織りされた絨毯、「イスタリフ焼き」と呼ばれる陶器などが挙げられます。
ラピスラズリに関しては、アフガニスタンが世界最大の産出国と言われており、街ではブレスレットやペンダントをはじめとしたアクセサリーとして販売されています。
食べ物・食文化
アフガニスタンの主食はナンです。小麦は特に食生活に欠かせない食材で、ほとんどの農家が小麦を栽培しているといわれます。
またお米も食べられていて、アフガニスタンの国民料理として「カーブル風ポロウ」が挙げられます。
野菜に関しては、大根、きゅうり、トマト、レタスなどを生のまま盛り合わせにして食べることも。
遊牧民の文化も大きな基盤のひとつとなっているため、ヨーグルトなどの乳製品もよく食卓に上がります。
国技の「ブズカシ」やスポーツが盛ん
アフガニスタンでは、アフガンスポーツ連盟によって国内のスポーツが運営されています。人気のクリケットやサッカーのほか、バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、陸上競技、ボウリング、チェスなどがよく行われる種目です。
代表的な国技としては、馬に乗って子牛の死体を奪い合う「ブズカシ」と呼ばれるスポーツが挙げられます。タリバンによる第一次政権時代は禁止されていましたが、2021年以後のタリバン政権では認められており、昨今ではリーグ戦なども積極的に行われているようです。
危機にさらされている世界遺産・バーミヤン
「西遊記」の中で三蔵法師が訪れる場所としても知られるバーミヤンは、アフガニスタン中央に位置する地です。2〜3世紀頃から仏教が盛んになり、6世紀頃に造られたといわれる2体の大仏「バーミヤンの大仏」をはじめとした歴史的産物が所在する名所といえます。
しかしながら、2001年に偶像崇拝を否定したタリバンによって、2体の大仏や、およそ8割もの石窟に描かれた仏教画が破壊されてしまいました。
これを受けて、2002年以来国際支援による修復が進められ、その後の2003年には、ユネスコによって大仏を含む地域一帯が「危機にさらされている世界遺産」として世界遺産に登録されています。
一時は壊滅的な危機を迎えたものの、アフガニスタンが誇る貴重な遺跡です。
産業は、農業、建設業、鉱業がメイン
アフガニスタンの主要な産業は、農業、建設業、鉱業で、外国へは、ドライフルーツやスパイス、果物、鉱物などを主に輸出しています。
各種金属や宝石を含有する世界最大規模の鉱脈が存在しますが、それを開発・運送できるようなインフラが整備されておらず、未だ満足には開拓されていない状態のようです。
歴史や文化を把握して、時事ニュースへの理解を深めましょう
今回は、アフガニスタンの基本情報や、歴史、文化についてを簡単にご紹介してきました。
新聞やニュースなどで名前を見かけることが多いアフガニスタン。日本では「遠い国」と捉えられやすいですが、文化や生活についてを知ると、より身近な存在に感じられますね。加えて歴史を把握しておくと、今現在起こっている時事ニュースへの理解もさらに深まるのではないでしょうか。
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文・構成/羽吹理美
【参考文献】
・前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』(河出書房新社、2002年)
・清原工『日本とのつながりで見るアジア 過去・現在・未来 第6巻 西アジア』(岩崎書店、2003年)