サンフランシスコ平和条約の概要
「サンフランシスコ平和条約」は、いつ、どのように結ばれたのでしょうか。条約の目的や締結国など、概要を紹介します。
第二次世界大戦後の対日講和条約
サンフランシスコ平和条約は、1951(昭和26)年9月8日に、日本と第二次世界大戦連合国との間で結ばれた講和条約です。正式名称は「Treaty of Peace with Japan(日本国との平和条約)」といいます。
1945(昭和20)年に「ポツダム宣言」を受諾(じゅだく)して無条件降伏した日本は、その後、アメリカ軍を主体とする連合国軍の占領下に置かれました。サンフランシスコ平和条約は、連合国が日本の占領状態を終わらせ、独立国とするために用意した講和条約です。
全面講和ではなかった
サンフランシスコ平和条約には、アメリカ・イギリスなど連合国と日本を合わせた49カ国が調印しています。ただし、一部の対戦国が参加しなかったため、全面講和とはならず、片面講和と呼ばれました。
9月4日から行われた講和会議には、日本を含め52カ国が参加しましたが、そのうちソ連・ポーランド・チェコスロバキアは署名を拒否しています。
インド・ビルマ(現在のミャンマー)・ユーゴスラビアは会議自体を欠席、中国と台湾は招待されませんでした。韓国も日本の対戦国ではなかったため、除外されています。
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サンフランシスコ平和条約で決まったこと
サンフランシスコ平和条約では、日本の主権回復に伴い、二つの項目が定められます。それぞれの内容を見ていきましょう。
日本の領土について
現在の日本の領土は、条約の第2章に定められています。主な取り決めは以下の通りです。
●日本は朝鮮の独立を認める
●日本は台湾・南樺太(みなみからふと)・千島(ちしま)列島などを放棄する
●沖縄・奄美(あまみ)諸島・小笠原諸島をアメリカの管理下に置く
アメリカの管理下にあった島々は、すでに日本に返還されています。しかし放棄した領土の範囲については、ロシア・韓国・中国と、日本との間で解釈が分かれています。
ロシアは「北方領土(択捉<えとろふ>島・国後<くなしり>島・色丹<しこたん>島・歯舞<はぼまい>群島)」、韓国は「竹島(たけしま)」、中国は「尖閣(せんかく)諸島」を日本が放棄した領土に含まれると主張し続けており、現在も解決にいたっていません。
日本の安全について
日本の安全を守る取り決めも、重要な項目の一つです。第3章において、日本は個別的・集団的自衛権を持ち、集団安全保障条約に参加できるとされました。
ただし、日本は憲法の下で武装解除しており、自衛権を行使する手段がありません。そこで日本とアメリカとの間で「日米安全保障条約」を締結し、アメリカ軍を日本に駐留させることが決まったのです。
現在も、日本にアメリカ軍の基地があるのは、日米安全保障条約が根拠となっています。
サンフランシスコ平和条約調印までの流れと、その後
サンフランシスコ平和条約は、どのようにして成立したのでしょうか。講和できなかった国との関係もあわせて解説します。
アメリカとソ連の対立が激化
第二次世界大戦が終わった後、世界は大きく「西側(アメリカを中心とする資本主義諸国)」と「東側(ソ連を中心とする社会主義諸国)」とに二分され、対立が激化します。
日本の植民地支配から解放された朝鮮でも、社会主義の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と、資本主義の大韓民国(韓国)が成立し、対立していました。
1950(昭和25)年、北朝鮮が半島の統一を目指して韓国に侵攻し、「朝鮮戦争」が起こります。アメリカは韓国を支援するために軍を派遣しますが、北朝鮮には同じ社会主義国家の中国が参戦したため、戦線は膠着(こうちゃく)しました。
そこで西側諸国は、日本を独立させて資本主義国とし、アジアの社会主義化を食い止めようと考えたのです。
当時の首相・吉田茂が締結を推進
西側諸国がアジアにおける日本の役割を重視したことは、主権回復を目指していた日本政府にとっても好都合でした。
先述の通り、サンフランシスコ平和条約は全面講和ではないため、国内では締結に反対する意見も出ています。とはいえ、アメリカとソ連・中国が対立している状況で全面講和を目指すのは、現実的ではありません。
当時の吉田茂(よしだしげる)首相は、反対意見を退けて条約締結を推進、日本代表として講和会議に出席します。平和条約に署名した当日、日米安全保障条約にも署名し、念願の独立を果たしました。
条約締結後の動き
条約締結後、日本は不参加国との間で個別に国交を回復させていきます。1952(昭和27)~1954(昭和29)年には、台湾・インド・ビルマとそれぞれ平和条約を締結しました。
1956(昭和31)年には「日ソ共同宣言」によってソ連と国交を回復し、ソ連の反対で実現できなかった「国際連合」への加盟を果たします。中国とは1972(昭和47)年の「日中共同声明」で国交正常化に合意、1978(昭和53)年に「日中平和友好条約」が締結されました。
韓国とは1965(昭和40)年に「日韓基本条約」を締結しています。ただし、そのとき、日本が韓国を「朝鮮半島唯一の政権」と認めたため、北朝鮮との国交は現在も正常化されていません。
日本が独立を果たしたサンフランシスコ平和条約
サンフランシスコ平和条約によって、日本は占領状態から脱し、独立国として再スタートします。とはいえ、アメリカを中心とする西側諸国の思惑が強く反映された内容に、賛同しない国もありました。
その影響は大きく、未だにいくつかの領土問題が残っているほどです。サンフランシスコ平和条約について親子で学び、国際社会における日本の現状理解に役立てましょう。
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構成・文/HugKum編集部