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破天荒でこの上なく明るい「親父」に振り回される家族
――この実話の舞台は山形で、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんのお姉さん(叔母さんのかっちゃん)、ときどき急に帰ってくるおとうさんがご家族なんですよね。
すがちゃん最高No.1さん(以下、すがちゃん):そうです。僕と父親と母親は僕が3歳になるまでは東京に住んでいたらしく、そこは小さかったからあまり覚えていないんですよね。
僕はゲゲゲの鬼太郎がめっちゃ好きで、住んでいたマンションの向かいのコンビニにゲゲゲの鬼太郎のフィギュアがあって、親の目を盗んで「買いに行こう!」と出かけていったことだけはぼんやりと覚えています。3歳なので当然お金も持っていなくて、すごすご帰ってきたんですけれど(笑)。
その後、母親が亡くなって父の山形の実家に移り住んだみたいです。
――そのお父様がなんというか、破天荒で明るい方で……。すがちゃんをダシに使って女性をナンパしたり……。
すがちゃん:小学校のときとかに親父に連れられていろんなところにいったんですが、行く先々でとんでもないことをするんです。海に遊びに行ったときは、個人経営のおばちゃんの店の敷地内で無断で花火をしちゃったり。それも悪びれずあっけらかんとしているので、周囲も笑ってしまうというか。
でも、家族としてはイヤですよ。やってはいけないことを親父が目の前でするんですから。すごく変わった家庭環境なのにグレなかったのは、親父がすごすぎて、ああいうふうにしてはいけないんだって、自分でブレーキをかけたからだと思いますね。
でも、親父はオジサン独特のジメジメした感じはまったくなくて、めちゃくちゃ明るくとんでもないことをやらかすので、怒りを通り越してなんだかみんな笑ってしまう。本当にスゴイ人でした。
「変な家族」のことは人に言えなかった
――ご家族のことやお父様のことは、あんまり人には言いたくなかったですか?
すがちゃん:うちは親父だけでなく、ほかの人たちもキョーレツでしたからね。じいちゃんはほとんど人と話さないガンコな人、ばあちゃんは水道代を極端にケチるので皿を洗わないしトイレの流し方にも文句をつけるしいつも怒ってる、かっちゃんはいい人なんだけれど、真面目すぎて……。それぞれの人がかなり変わっているだけでなく、家族の和としてもなんだかうまくいってないというか。
小学校のときはすごく窮屈だった。家族の仲が悪くて不快だなって思っていました。顔合わせたら怒鳴り合いで。またよくないことに、うちが田舎の古い家で広くて、一人一部屋あるので、顔を合わすのは晩ご飯のときだけなんです。みんなそろったら、ケンカというか、親父が悪いんですけれど、お金の話などよくモメるんです。
すがちゃん:当時、親父の変な話は、エピソードトークみたいな感じでときどき友達に話していましたが、家庭環境のことはなにも話してなかったですね。「フツーの家庭だったらよかったのに」って思っていました。母親がいないことも隠していました。田舎特有の村文化があって、よけいなことではみだすのはよくない、みたいな空気が強いですから。
小学校には家庭環境が少し変わった子が何人かいたんですが、そういう子はそれぞれ本人も変わっている子が多く、「あいつは変」みたいに陰口をたたかれる。自分も家庭環境が変わっているから変わり者だと思われるのがいやだし、家庭環境のせいで自分も変な人間になっていってしまうんじゃないかというのもちょっと不安で、「フツーの明るい子として生きていこう」って思っていました。
真面目な叔母さんが「2人暮らししよう」という提案も突っぱねて
――そんな家庭の中で唯一「フツー側」の人、叔母のかっちゃんが、家族の世話だけの人生を考え直すかのように、ついに家から離れますよね。そのときに、小学生だったすがちゃんを救おうと思って、「一緒に東京に行こう」と行ってくれますが、行かなかったのはなぜですか?
すがちゃん:かっちゃんは親父とは真逆でした。本当に博愛の精神と自己犠牲の愛とかにあふれていて。だから親父との縁も切らなかったし、結局親父が死ぬまで面倒みているんです。「世界いい人選手権」とかあったら準決勝くらいいくんじゃないかと思うくらいで。本当は人間の世界じゃなくて、ムーミン谷とかで平和に暮らしていくのがよかったんだろうなぁと思います(笑)。
でも、かっちゃんは真面目すぎて小さなことを注意するし、心配するので、それはありがたいんだけれど、小学校高学年のお年頃男子は腹が立つときもあって……。家族についてのいやな思い出もあいまって、どっちかというと家族が居るほうが窮屈だろうな、かっちゃんだけでも面倒なんじゃないか、みたいな気持ちもありました。
すがちゃん:友達の家に行ったらお父さんとお母さんが仲良かったり、お父さんとおじいちゃん、おばあちゃんが仲良かったりして衝撃でした。仲のいい家族ってあるんだ、って。
中1一人暮らしで大変だったのは、夜の戸締まり。カマを持った泥棒にも入られて…
――ところが、おじいちゃんが亡くなり、おばあちゃんが施設に入り…………。もともとお父さんは気ままでほとんど家に帰って来ないので、あれよあれよという間に、中1で1人暮らしになってしまったのですよね。大変なことはたくさんあったと思いますが、一番大変だったことはなんですか?
すがちゃん:掃除洗濯だの料理だのはあたりまえに大変だったんですけれど、一番いやだったのは泥棒に入られてからの夜の怖さですよね。自分が家にいるときにカマを持ってる泥棒に夜入られたことがあったので、よけいに……。寝る前に家の鍵をすべて自分で閉めるんですが、その時間がめっちゃいやでした。
最悪だったのがキッチンのコンロとかのあるところに、人が出入りできるくらいの大きな出窓があって、お風呂場にもでっかい窓があるので、その窓ふたつを閉めるミッションが本当にいやでしたね……。
料理の知識がなさすぎて、友達の家の母親のしぐさで推測
――料理の仕方などはインターネットや料理本で調べることはしなかったのですか。友達の家でじっと友達のお母様のしぐさを見るとか、涙ぐましい努力をしていましたよね。
すがちゃん:あの頃はガラケーでしたし、料理本を見に図書館まで行くのもめんどくさいし、興味があったわけでもないので、自力で行こうと。
それに、基本的な知識がまったくないから調べようがないというのもあります。「だし」って何? くらいなので。料理本を見ても「だし100cc」自体がそもそもわからなくて。そういう意味では、学校から「書道の授業が始まります、筆を用意してください」って言われると、文房具屋さんに売っていることも知らなくて、すごく困ったこともありました。
すがちゃん:手作り系も困りましたね。給食袋にワッペンとか名前を縫うとかあると最悪です。自力で縫っていましたが。
給食費とかお金が必要なときはしかたなく叔母さんに連絡して、学校を休むときは福山雅治さんのものまねするとバレないんで……、いや先生は気づいていたと思いますけど、親の声真似して休むやつはゴマンといるので。
まあ、全体で考えると7~8割はなんとかなっていました。
「変わった」父親を三者面談に連れて行ったら散々だった
――学校って、三者面談とかありますよね。そのときは?
すがちゃん:親が忙しいって言ってひとりで受けてました。進路相談のときはしかたなくて、親父に一回だけ来てもらったんですが。想像通り散々だったんで。ちょっと早めに来たからって教室でタバコ吸ってたりとか。先生は苦笑いも含めて「豪快なお父さんですね」で終わらせてくれて、そんなにトラブルにもならなかったです。
親父も「好きに生きろ」しか言いませんでした。ただ、このカードは1回しか切れなかったですけどね。
――なかなか大変な中学時代。こんな経験をもとに大人になり、そして人気者になるすがちゃん。後半は家庭環境を初めて人に話した時のこと、大人になってからの家族関係や、その経験から考えたことを伺います。家族のことで悩むみなさんにもとても参考になりますよ!
後編はこちらから
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撮影/五十嵐美弥 取材・文/三輪泉