古典の響きは音読向き
吉田 確かに、耳で「読む」のは、目で読むのとは一味違いますね。
――実は、朗読している自分だけでなく、中学生の息子も、スマートフォンをいじる手を止めて、じっと聞き入っていました。
吉田 それはうれしいな。『アンジュと頭獅王』に興味を持ってくれたようですね。
――深夜、一人になったとき、息子は本を手に取ったようです。朝、起きたとき、本の位置が微妙にずれていましたから。サッカー小僧が本に、それもこれまでほとんど知らなかった古典文学に急に興味を持ったようで、ビックリしました。
吉田 思春期だから親にすり寄ってくることはなくても、子どもは、親が興味を持っていることに関心があると思います。親が楽しそうに読書している姿は、子どもを読書好きにするきっかけになるでしょう。
文学とは本来、日陰の存在
――多くの親が、子どもを読書好きにしたいと願っています。
吉田 本人が読みたいもの、興味をもった本や雑誌を読むことが読書好きへの第一歩だと思います。図鑑でもいいし、大人向けの週刊誌でもいい。親は子どもに「これを読みなさい」と強制的に与えなくてもいいと思うのです。
――大人の週刊誌には、あまり子どもに見せたくないものもありますが…。
吉田 確かに、週刊誌には色っぽい記事もありますね。でも、考えてみると、源氏物語だって、結構なメロドラマです。女の品定めとか、いたいけな少女から老婆まで女性遍歴を重ねるとか…。平安時代の読者は、物語の登場人物とモデルと思しき人物を重ね合わせて、週刊誌を読むような感覚だったのかもしれないし、人目を避けてドキドキしながらこっそり読んだのではないかと思います。谷崎潤一郎や川端康成といった文学上の名作と呼ばれる中にも、きわどいテーマや表現はたくさんありますよ。そもそも、文学は密やかに楽しむものですし。
――文学は密やかに楽しむもの?
吉田 文学は、ちょっと後ろめたい思いを抱えて読むものというか、日の当たらないところでこっそり読むからこそ、楽しいのです。それが、教科書に載って、白昼堂々「読みなさい」と言われるから、興味が削げるのです。人には大っぴらに見せられない部分、隠しておきたいことを読みたいというのが、人間の欲。「読むな」と言われたほうが、読みたくなるのかもしれませんね。
――今後、高校の国語で「文学国語」が選択制になるそうですが?
吉田 最初、その話を聞いたときは「それはマズイかも」と思いましたが、ちょっと考え方を変えてみれば、それもありかと思います。文学は、みんなが学ばなくてはならない学問ではなく、そもそもオプションのお楽しみなのです。基本的に興味を持った人が読めばいい。ただし、教科書に載っているから初めて知った、文学作品にふれるきっかけになったという人もいます。教科書で学ばなかったから文学に親しむチャンスを失い、そのまま読まなくなるという人が増える方向に向かうのは最悪です。難しい問題です。
古典エンターテインメントに挑戦
――新作『アンジュと頭獅王』について聞かせてください。そもそも、きっかけは?
吉田 「パーク ハイアット 東京」というホテルの25周年イベント事業の一環として、書き下ろし作品の依頼を受けました。
タイムレスなホテルで生まれた物語
――なぜ古典を選んだのですか?
吉田 実は、最初、このホテル(パーク ハイアット 東京)を舞台にした現代文学の作品を考えていました。ソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のような。ただ、実際書いてみると、しっくりこなくて。そこで原点に立ち戻りました。このホテルのテーマは「TIMELESS(時を超えて)」です。文学作品において「時を超えたもの」といえば、古典文学。それで古典文学を選びました。
――もともと古典文学に興味があったのですか?
吉田 振り返ってみると、確かにあったと思います。そもそも文学へのきっかけになったのが詩でしたから。詩は、時を超えて読み継がれている古典です。西洋の詩だけでなく、漢詩も好きでした。
――一口に古典文学と言っても幅広いですが、なぜ『安寿と厨子王』をモチーフに?
吉田 このホテルは、世界でも屈指のホテルです。価格もサービスも雰囲気も超一流で、社会で富や名声、いろんなものを手に入れた人が集う場所です。では、手にしたものが多い人たちが、その先に欲しいものとは何か。そう考えたときに、「慈悲」という言葉が浮かびました。
――超一流ホテルと「慈悲」の結びつきとは?
吉田 たとえば、私は車が好きでよく運転するのですが、自分の車が他車を「ブーン」と抜き去るとき、ちょっとした快感を覚えます。楽しいと感じます。でも一方で、自分の車の前に他車を入れてあげたとき、「ありがとう」とハザードランプが光るのを見るときも喜びを感じます。さて、どちらが自分にとって心地よいか。私は、場所を譲ったことに対してお礼を言われる快感、それが何にも勝るように感じるのです。心が温かく満たされるから。それを考えると、自分が死ぬ瞬間、どれだけ手に入れたかよりも、どれだけお礼を言われたかが重要だと思います。慈悲の心で彩られた後者の人生のほうが、価値が高いと思うのです。『アンジュと頭獅王』は、己の困難な状況を省みず他者を助けようとする気高い心を持った人々が多く登場する、慈悲の物語です。時代を超えて受け継がれてきたそんな慈悲の物語を、あえてこのすばらしい環境のホテルに滞在して書くことによって、私自身、何か新たな発見があるかもしれないと思いました。
古典文学はおもしろい
――読みやすさにこだわった工夫も、あちこちに見受けられます。
吉田 漢字の勉強をしてほしいわけではなく、ただただ日本語のリズムを味わって読んでもらいたいという思いから、漢字にはルビ(ふりがな)をつけました。小学校高学年、中学生でも無理なく読めると思います。また、重要な文言は、わざと大きな文字にして1ページを丸々使って、ドーンと提示しています。
――歌舞伎のストップモーションのように目立ちますね。
吉田 そうです。飛び出す絵本的なしかけというか、演劇的な効果を狙っています。長く受け継がれてきて大切なことが描かれているのに、古典というだけで敬遠されてしまうのは、もったいないですから。
――『アンジュと頭獅王』について、読者へのメッセージをお願いします。
吉田 「古典エンターテインメント」として、古典文学が好きな人だけでなく、これまで古典文学をなんとなく敬遠していた人にも楽しく読んでいただけたらうれしいです。いつの時代にも尊ばれてきた「慈悲」のように、時代を乗り越えて残っている古典文学もまた、私たちに喜びをもたらし、大切なことを教えてくれるのではないでしょうか。『アンジュと頭獅王』がそのきっかけになれば、著者として幸せの限りです。
後編はこちら
「人の幸せに隔てがあってはならぬ。慈悲の心を失っては人ではないぞ」――太宰府に流謫された父の信条を胸に刻む頭獅王は、邪見なる山椒太夫と息子・三郎に姉アンジュを責め殺され、執拗な追っ手から逃れ逃れて時空を超え、やがて令和の新宿へたどり着く。再び宿敵の親子と対峙した頭獅王は、慈悲の心を果たして失わずにいられるのか――。ヒグチユウコ描き下ろしの装画をまとった吉田修一の新境地。二十一世紀版山椒太夫物語。
インタビュー・文/ひだいますみ